1月21日におこなわれたオバマ大統領の就任式でのスピーチはすばらしかったですね。力づよく、詩的で、平易なのに格調高い英語。ことばによってリーダーシップを示すというのはこういうことか、と聞き惚れました。

「要旨」は各新聞のウェブサイトに載っているのでパスしますが、ロマンティストとしての私がとりわけ魂をゆさぶられたのは、この部分。

We are made for this momet, and we will seize it - so long as we seize it together.

 やや大胆に訳すと、「私たちはいまこの瞬間のために生かされている。心をともにし、時機をつかもう」という感じでしょうか。Seize the moment という表現から連想するのが、Sieze the day、ラテン語のCarpe Diem(カルペ・ディエム)です。ホラティウスの詩の中に出てくるのですが、今この瞬間をつみとろう、というニュアンスのことば。こういう詩的な響きを感じさせるスピーチは、アタマでの理解を通り越して、ハートまで届きます。だからこそ、ヒトラーの前例にみられるように、危険と裏腹でもあるのですが。

ちなみに、この部分は、朝日新聞(紙版)の「全文訳(要旨)」ではみごとにカットされていました。まあ、私が関心をもつことはだいたい、「要旨」的なことからは無視されることばかりなのですけれど。

さて。そういわけで、リーダーとしてのチャーチルです。

危機に際して不安を抱いている人々の心を、ことばによって束ね、ポジティヴな方向にもっていく、というスピーチの手腕が、しびれるほどすばらしいのです。例を挙げるときりがなくて、ひとつひとつのスピーチに「血と労苦と涙と汗のスピーチ」「決してあきらめるなスピーチ」「鉄のカーテンスピーチ」などなど愛称めいたものがついてたりするのですが、ここではもっともチャーチルらしいと思うスピーチ、「輝かしい時スピーチ」のなかの一節をご紹介しますね。

時は1940年、ナチスドイツがヨーロッパを席巻し、ドイツ軍に対峙するのはイギリスただ一国となった苦しい戦況下です。国家的危機のさなかに首相に就任したチャーチルは、最悪の事態、すなわちドイツ軍侵入を警告しなくてはならなくなった演説のなかで、ウルトラC級のレトリックを駆使して、聴衆を鼓舞します(英語は、サビの部分だけ掲載します)。

「イギリスの戦いが今や始まろうとしている。キリスト教文明の生存はこの戦いにかかっている。われわれイギリスの生命、わが国の諸制度、わが帝国の長い歴史は、この戦いにかかっている。

 それゆえに、われわれは心を引き締めてみずからの義務を果たし、もしイギリスとその連邦が千年続いたならば、子孫が、『これこそイギリスのもっとも輝かしい時であった』と言うように振る舞おう

(Let us therefore brace ourselves to our duty, and so bear ourselves that if the British Empire and its Commonwealth last for a thousand years, men will still say, "This was their finest hour".)」.

最悪としか思えない逆境を、「もっとも輝かしい時」に変換してしまう、輝かしいレトリック。状況は、こちらの解釈次第で、悲劇にも喜劇にもいかようにも変わりうることをあらためて教えられます。出口なしに見える時、崖っぷちに立たされたように見える時、私は必ずこのスピーチを思い出し、発想を切り替えて新たな行動を試みるのです。「あとから振り返った時に、このサイアクの時が私のもっとも輝かしい時であったと思えるように、振る舞おう」と。まあ、過ぎ去ってみると、なに酔ってたんだろ......と恥ずかしくなることもあるんですけど(笑)。

解決しない課題を山ほど抱え続ける現代社会にも、チャーチルは時空を超えて、カツを入れてくれます。

「その場しのぎの応急処置で、中途半端にぐずぐずと問題をひきのばしてばかりの時代は終わろうとしている。われわれは結果を出す時代に入ったのだ

(The era of procrastination, of half-measures, of soothing and baffling expedient, of delay, is coming to its close.  In its place we are entering a period of consequences.)」

実はこれは、前後の文脈、時代背景を考えてみれば、「誤訳」です。1936年のスピーチで、経済的には窮乏の一途をたどっていった1931年から35年の「バッタに食い荒らされたような年(Locust Years)」のことに言及しています。そんな背景を考慮すると、後半の原文は、「われわれはその中途半端な行動のツケをおう時代に入ったのだ」と解釈するのが「正しい」と思います。

しかし。私が選びたいのは、「正しさ」よりも情熱。チャーチルならばスーパーポジティヴに曲解することもニヤリと笑って許してくれるんではないかと考えました。傍目にはただの能天気にしか見えないことは承知の上、ここもチャーチル流の逆転の発想で、文脈から切り離して自己流に解釈してみました。それが上の太字の日本語です。中途半端なモンダイばかり増やし続けたあげくのconsequences. 「後禍」を受け入れつつ、そこから脱却して「結果」を出すための闘いを「もっとも輝かしい時」にできるよう、今この瞬間をつかみ続けていこうと思います。

「Churchill Style」(Barry Singer 著)より。
「Churchill Style」(Barry Singer 著)より。
この記事の執筆者
日本経済新聞、読売新聞ほか多媒体で連載記事を執筆。著書『紳士の名品50』(小学館)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)ほか多数。『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)6月26日発売。
公式サイト:中野香織オフィシャルサイト
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