紳士淑女のみなさま、ご無沙汰してしまってごめんなさい。
この3月は「お別れ」続きでした。
各種卒業式や離任式ばかりではありません。昨日まで笑って会話をしていた同世代の仕事仲間が急逝したり、リスペクトしていた同業者が若くしてこの世を去っていったりという悲しいできごとが続き、大きな喪失感のなかで、人はいったいなんのために生きているのか?ということをあらためて考えこむ日々でした。

古今東西の哲学者が何千年も前から考え続けてきた「正解のない」問題であり、それゆえに、考えてもしようがないような問いではあるのですが、それでも、あきらめずに問い続けることは、限られた命をより濃く生きるためにも、決して無意味なことではないように感じます。

というわけで、今日は、真正面からその問いに迫った作家のひとり、サマセット・モームがたどりついた一つの答えを紹介します。

『モーム語録』(行方昭夫編 岩波現代文庫) 人間観察、それはモームのライフワークであった。 『作家の手帖』『要約すると』といった著作をひもとくと、 彼が放つ片言隻語すべてが人間心理を穿つ至言であることに気づかされる。
『モーム語録』(行方昭夫編 岩波現代文庫) 人間観察、それはモームのライフワークであった。 『作家の手帖』『要約すると』といった著作をひもとくと、 彼が放つ片言隻語すべてが人間心理を穿つ至言であることに気づかされる。

ウィリアム・サマセット・モーム(1874-1965)は、イギリスの小説家にして劇作家です。、母は名家出身の社交界の花形、父は弁護士というすばらしい両親のもとに生まれましたが、その母とは8歳のときに死別、父とも10歳で死別し、孤児となったモームは叔父に引き取られます。でも叔父との仲はうまくいかず、学校では吃音のためにいじめられるという孤独なローティーン時代を送ります。その後、医師となり、貧民街で病院勤務して、さまざまな人間の本質を観察します。第一次世界大戦では軍医にして諜報部員としても活躍、激務で健康を損ない、帰国して療養しながら、著述を始めます。『月と六ペンス』『人間の絆』などで世界的名声を得て、1920年代には世界各国へ船旅をして、シンガポールのラッフルズホテルやタイのザ・オリエンタル・バンコクに長期滞在したりもしています。シンガポールMRT「サマセット」駅や、マンダリン・オリエンタル・バンコクの「サマセット・モーム・スイート」に、その名残りがありますね。

コンプレックスに苦しんだ孤独のどん底からラグジュアリーの極みまで経験し、医療活動を通じて赤貧状態の悲惨を見つめ、諜報活動を通じて社会の裏の裏まで知り尽くしてきたモーム。「芸術家の作品ひとつひとつは、魂の冒険の表現でなければならない(Every production of an artist should be the expression of an adventure of his soul.)」と語る通り、作品一つ一つを、モームの魂が考え抜き、到達したと思われる境地の表現とみなすことができます。

数々の魂の冒険の果てに、モームがたどりついた人生の意味。それは『人間の絆(0f Human Bondage)』のなかに書いてあります。(ちなみにこれを原作としたハリウッド映画が、ベティ・デイビスとレスリー・ハワード主演の「痴人の愛」(1934)。谷崎潤一郎の同名小説があるので、まぎらわしいですね)

「人生なんていったい何の意味があるのだ」と問うフィリップに、クロンショーはペルシア絨毯をあげるのですが、だいぶ時間が経ってから、フィリップはこの絨毯に秘められた答えを見出すのです。

それは、「人生に意味はない」というもの。

では、生きることは無意味なのかといえばそうではない。一枚の絨毯を織り上げるように、人生を生きればいいのだ、という考え方です。「一生の多種多様な出来事や、行為や感情の起伏や、さまざまな想念などを材料として、自分自身の模様を織り出したらいい」という発想です。

ペルシア絨毯は、明るい色だけでは美しさに深みが出ません。暗い色がベースとなって、華やかな色を引き立てているのです。光の当て方によっては、暗い色もまたきれいに見えてきます。そんなふうに、自分の来し方を眺めてみると、これから起きるであろう様々なことも、淡々とした平常心のもとに受け入れやすくなってまいります。

「今後は、いかなる過酷な試練に遭遇しようとも、すべては複雑な模様の完成に寄与するだけなのだ。人生の終わりに近づいたとき、模様の完成に満足するのみだ。一生は一個の芸術品になり、その存在を知るのは自分だけで、しかも死とともに消滅するからといって、作品の美しさが減ずるわけではない」

(Whatever happened to him now would be one more motive to add to the complexity of the pattern, and when the end approached he would rejoice in its completion. It would be a work of art, and it would be none the less beautiful because he alone knew of its existence, and with his death it would at once cease to be.)

生きるということは、世界に一枚しかないペルシア絨毯を織り上げていくこと。この考え方を教えてくださったのは、モームの専門家でもあり、英語の読み方を徹底的に鍛えてくださった大学時代の恩師、行方昭夫先生なのですが、今なお私がいちばん納得できる「答え」でもあります。

たくさんのつらい別れを経験したここひと月でしたが、それもまた、絨毯の模様の一つをなす大切な要素として、記憶の絨毯のなかに丁寧に織り込んでいこうと思います。

この記事の執筆者
日本経済新聞、読売新聞ほか多媒体で連載記事を執筆。著書『紳士の名品50』(小学館)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)ほか多数。『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)6月26日発売。
公式サイト:中野香織オフィシャルサイト
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