紳士淑女のみなさま、こんにちは。


「マッドメン」「ゴシップガール」、そして「シャーロック」に続き、いま、久々に私の血を騒がせているテレビドラマが、「SUITS/スーツ」です。ニューヨークの大手法律事務所を舞台に、敏腕弁護士と天才的頭脳をもつ若い部下がタッグを組んで、次々に訴訟を片づけていく。SUITSには、「訴訟」という意味と「スーツ」、二つの意味がかけられているんですね。法律用語が機関銃のように放たれるスピーディーな展開も楽しいのですが、おしゃれなメンプレ読者にとっては、なんといっても、主役二人が着るスーツが魅力となるでしょう。

きる男ハーヴィー(ガブリエル・マクト)はトム・フォード、若いマイク(パトリック・J・アダムズ)は、最初は量販スーツで、やがてバーバリー。成熟した男の艶やかさと、将来を期待させる男のみずみずしさ。

それぞれの魅力をスーツが表現し、二人並ぶことで相乗効果を奏でているのです。戦場となる法律事務所や法廷でこれを着こなし、勝負を勝ち取っていく姿は、うっとりもの。

中世の騎士たちの鎧や甲冑に相当するのが現代のスーツなのだという認識を新たにしました。

なかでも、トム・フォードを着るハーヴィー役ガブリエル・マクトは、ビジネスの場で人を魅了し、ときに威嚇の武器ともなりうるスーツ姿での立ち居振る舞いのお手本を見せてくれます。決め台詞を言って微笑んだあとに、ボタンを留めるしぐさ。「この件、ピリオド」と無言で語っているようで、悩殺されます。

また、ハーヴーは決して首をふらふらさせません。背中から頭のてっぺんまでしなやかな芯が入っているようで、首元は常に緊張を保ち、うなだれたり、くびをかしげたりということもしません。これが彼に自信のオーラを与え、周囲が彼に対して魅せられながら一目おいてしまう隠れた根拠を作っているのですね。

謙虚と共感を美徳とするゆえか、日本人は立派なスーツを着ていても、ついぺこぺこ繰り返しお辞儀をしてしまったり、頭を何度も上下してあいづちをうってしまったりすることが多いのですが、せめてお辞儀は一度だけきっぱり、あいづちは首を動かさず声と表情だけで、というのを心がけてみよう......と思い直した次第。

スーツにかぎらず、「ファッション」というのは、何を着るかというよりも、それを着てどう振舞い、何を話す

かということが問題になりますね。どう話すか、においては、ハーヴィーはプロ。というかもう詭弁家です。トム・フォードのスーツにカリスマ漂う立ち居振る舞い、そして無敵の弁論術が備われば最強ですね。セクシーな条件そろい踏み。しかし、私がなによりも興味ひかれるのは、こんな最強の男たちと、このドラマに出てくる女性たちとの関係です。

女性がみな自信にあふれて強いのです。たとえアシスタントであっても、目線は常に男より上。NY一仕事ができる男ハーヴェイをさらに上から目線で支配する女性たちと、ハーヴェイとの会話に、気持ちのいい緊張の漂う男女間のあるべき理想を見たりします。たとえば、上司ジェシカがドレスアップして顧客と会うのを見送るハーヴィーー、そのやりとり。

ハーヴィー: 二語で言おう。圧倒的に美しい(absolutely beautiful)


ジェシカ: 私だって顧客にモテるのよ


ハーヴィー: 無敵の魅力だ(Categorically stunning).


ジェシカ:  新しく雇った男の子はどう?

ハーヴィー:  ホントに素敵 (Really hot)

ジェシカ: ばかじゃないの

ハーヴィー: ジェシカ・ピアソン! 


ジェシカ:  おやすみ、ハーヴィー

「二語」の言い換えを三回(absolutely beautiful, categorically stunning, really hot )やってほめまくるハーヴィー。何とほめられても「こいつ、あほか」という態度で超然としているジェシカ。また別のシーンでは、アシスタントのドナにあいさつ代わりに「結婚しよう」と言って、「もう7年も結婚してるわよ」と軽くあしらわれています。つまり、ハーヴィーは、日本だとヘタをするとセクハラと騒がれそうなセリフをオフィスで連発するのですが、それを受けとめる女性が完全に大人として上に立ち、コドモをいなすように「できる男」ハーヴィーを手のひらで転がしているのです。

女は常に男よりも目線が上で、男のコドモっぽさや未熟さを一回り大きな懐深さでいなし続ける。そうすることで男は安心してやんちゃができる。結果、男が力量を思う存分発揮できる。この力関係に、西洋文化における男女間の理想のひとつの型を見る思いがします。実際、中世の騎士道の伝統以来、絶対的に男より上の立場に君臨するクイーンや高位の貴婦人が、常に存在します。たとえ便宜上であれ、その女性の目線の下にいながらその女性の名誉のために闘う、そんな圧倒的優位に立つ女性を必要としているのが、ほかならぬ男なのですね。

もちろん、例外は常にあり、その力関係が日本的なメンタリティに合うのかどうかは、わかりません。

 ただ、スーツが甲冑の延長としての服として着られるかぎり、クイーンや高位の貴婦人が存在しなくては、男の戦場が「絵にならない」ことはたしか。スーツで闘う男たちを、よりパワフルにセクシーに活躍させるために、女のほうが、意識を変えて「演技」することも必要なのかもしれません。

この記事の執筆者
東京大学大学院終了、英国ケンブリッジ大学客員研究員を経て、文筆家として活躍。2008年より明治大学特任教授。著書に『モードとエロスと資本』(集英社新書)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)など。
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