会話においてもそうですし、文章においても、常に「誰が、どういう立場で、それを語っているのか?」を考えながら真意を読み取っていかねばなりません。これを「コンテクスト(文脈・背景)を読む」と言いますが、機械的に英文和訳をした日本語は、このプロセスを経ないと、正反対のニュアンスを伝えかねません。

たとえば、「メンズプレシャス」読者にもファンが多いウィンザー公に関する次の記述。

'The Duke of Windsor was the first heterosexual to appear in public wearing suede shoes.'
「ウィンザー公は、同性愛者ではないのにはじめてスウェードの靴を履いて現れた人物」

デイリー・メイルという新聞のオンライン版に掲載されたある本('The Dandy: Peacock or Enigma' by Nigel Rodgers) の書評にあった一文です('Would you dare to be a dandy?' by Roger Lewis, 20/June/2013)。この一文だけ切り取ると、ホメているようにも読めるかもしれませんが、実は全文を貫く姿勢が「ダンディ」に対する距離をおいた揶揄であり、この一文にもまた、ホメるふりした嘲笑がこめられていると読まねばなりません。

そもそも、メンズファッション界においては数々の着こなしの冒険をしたヒーローとして崇められているウィンザー公も、イギリスの保守層から見れば、2度の離婚歴あるアメリカ女性のために国王廃位という前代未聞のスキャンダルを起こした無責任男。ナチス寄りの言動も警戒され、退位後は

ほとんど国外退去のような形でフランス郊外に住まわされています。それでもなお、王室メンバーとして敬意を払うべきお方でありますから、ウィンザー公に言及した表現は、常に裏を、真意を、慎重に読み取っていく必要があります。

「ダンディ」ということばそのものに対しても、私たちは、一応、コンテクストを知っておくにこしたことはありません。

19世紀、トマス・カーライルは『衣服哲学』のなかで、「ダンディ」を次のように定義しました。

「ダンディとは衣服を着る男、その商売、職務、生活が衣服を着ることに存する男である。彼の霊魂、精神、財産および身体は、衣服をうまくよく着るというこの唯一の目的に英雄的に捧げられている」(『衣服哲学』第三部第10章、石田憲次訳、岩波文庫)

この一節を文脈から切り離して読めば、ダンディってお洒落大好きな男のことなのね、と単純に解釈することもできましょう。「英雄的に捧げられている」なんて書かれているので、ひょっとしたら憧れがこめられた表現なのかな?などと受けとめてしまう人もいるかもしれません。

しかし、カーライルがいかなる立場でこれを書いたのかを知れば、そんな生ぬるい表現ではないことがわかります。彼は当時、ウィリアム・マギンが編集長をつとめる「フレイザーズ・マガジン」において、小説家のサッカレーらとともに、徹底的なダンディ攻撃キャンペーンを行っていました。カーライルがダンディ撲滅の使命感に燃えてこの雑誌に連載した記事、それがほかならぬ『衣服哲学』だったのです(1833年11月~1834年8月)。

つまりこのダンディ定義には、痛烈な嘲笑と皮肉がこめられていると知るべきなのです。

現代イギリスにおいても、そのニュアンスは変わりません。「『ダンディ』は99.9%、否定的なニュアンスで受けとめられています」と教えてくれるのは、イギリスに住んで16年、ロンドンと東京にRustというアクセサリーショップを経営する内海直仁さん。多くのイギリス人に聞き取り調査をした結果も教えていただいたのですが、「見てくれだけ奇抜な、自己賛美的な人たち」というのが大方のイギリス人にとっての「ダンディ」観とのこと。

実際、イギリスの紳士は、「He's a dandy (彼はダンディ)」と発音するとき、語尾の「ディ」を上げるのですが、その音が表現するのは、かすかな軽蔑です。

 いや、このことばが使われるならまだいい。数年前に対談したイギリス出身のピーター・バラカンさんは、「ダンディ」に関して、こうまで言います。「普通のイギリス人は、『そんなの過去の話でしょ?』と思ってるんじゃないかな。番組(注:NHK・BSの「今夜決定?!世界のダンディー」)に出演するにあたって、いろいろ調べたけど、あまりヒットしないんですよ、ダンディで。最近の世界ではかなりマニアックな、ゲイのサイトで見つかった程度」(OPENERS 「21世紀のダンディズムを語る」 ピーター・バラカン×中野香織)。

つまり、現代イギリスにおいては「ダンディ」ということばじたい、やや特殊な領域でのみ使われるレアワードで、使われたとしても決してほめ言葉ではない、ということです。
もちろん、ことばをはじめ、すべてのモノや文化は、国境を越えれば別の独自の発展をしていきます。「ダンディ」はイギリスでは軽んじられたままですが、日本においては、フランスの文学者が過大評価したダンディズムを先に輸入してしまったこともあり、やや精神性を帯びた重厚で素敵なものとして解釈されています。それはそれで日本のダンディズムとして「悪くない」のです。私も、話題の写真集「Japanese Dandy」には心より賛同し、帯のコピーまで書かせていただきました。これだけの歴史が経過すれば、必ずしも、「本場」と同じものである必要はないわけですから。アメリカ東海岸発のカレッジスタイルであった「アイヴィー」ルックにしても、日本独自の発展を遂げて、逆に「本国」から賞賛を受けるまでになっています。

そんなこんなのコンテクストをすべて含みおいたうえで、お洒落だと思う方をホメましょう、「ダンディですね」と。相手が日本人であれば喜んで受け取られるでしょう。しかし、イギリス紳士に対しては使わないことをお勧めします。もっとも、意図的に傷つけたいなら制止はいたしません。「紳士は、無意識には人を傷つけない」(by オスカー・ワイルド)。

この記事の執筆者
日本経済新聞、読売新聞ほか多媒体で連載記事を執筆。著書『紳士の名品50』(小学館)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)ほか多数。『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)6月26日発売。
公式サイト:中野香織オフィシャルサイト
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