今でも最高のフェラーリの一台である。理由は、スポーツカーのスタイルを完成させたからだ。スーツと同様、クルマには文法(とアレンジ)がある。ポルシェは守旧派で、『911』は’63年に確立した基本形から離れないが、フェラーリは新しい美の創造に貪欲だ。
量産品にして複製不可能な精神の高揚をもたらす「芸術」
フェラーリ『328』
数々のレースを席巻した実績をもって、自分たちの理想こそ真のスポーツカーという自負もあるだろう。’85年登場の『328』は、鋼管スペースフレームを使ったシャシー、ミドシップレイアウト、そしてピニンファリーナによる美しいスタイルを持つ。これらスポーツカーの文法を昇華して、傑作としているのだ。
私がピニンファリーナを訪れたさい、なぜこんなに美しいボディをデザインできたのですか、と尋ねたら、当時のスタイリングのチーフは、にやりと笑いながら手元のスケッチパッドに女性が横向きに寝そべっている絵を描いてみせた。
こういう人類発生のときから継承されている原初的な欲望が芸術に近い領域にまで高められている。イタリア中にある彫刻や絵画だって、ルネサンス期のものは特に肉体の表現が主題ではないか。
それで思い出すのは、芸術史家ヴァルター・ベンヤミンの言説だ。芸術作品にとって重要なのは「今」「ここに」しかない一回性だと、著作『複製技術の時代における芸術作品』で書いている。フェラーリ『328』は量産品だが、見る、あるいは(幸運にも)乗る体験をしたときの精神の昂揚こそ、複製不可能なものだ。つまりリッパな芸術である。(文・小川フミオ/ライフスタイルジャーナリスト)
※2019年秋号掲載時の情報です。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2019年秋号より
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- 戸田嘉昭(パイルドライバー)