先日KAAT(神奈川芸術劇場)で観た『星の王子さま─サン・テグジュペリからの手紙─』は、なかなか得難い体験だったと感じている。ほぼダンスのみで構成されるというそもそも斬新な演出だが、実際にステージを観て驚かされたのが、物語をガイドする音楽の多くが、ステージ上のふたりのミュージシャンのライブ演奏によって生み出されていたことだった(そこに時折坂本美雨のヴォーカルが絡む)。しかもそのサウンドスケープは、とてもふたりの演奏とは思えないスケール感だった。いやむしろ、彼らだからこそ生み出し得る、彩りとスリリングさがあったといえるかもしれない。
幻想的な舞台を実現した、三者三様の個性。
ミュージシャンの名は佐藤公哉と中村大史。さらに本作の音楽を担当した作曲家・阿部海太郎、これら三者の創造性と相互理解が、今回の音楽体験、ひいては舞台芸術を実現している。彼らはまたそれぞれが卓越した音楽家でもある(3人の活動を知る人間としては、それがいかに奇跡的な邂逅かを、ステージを観ながら噛み締めていた)。
12月に『星の王子さま』は京都や神戸で公演が行われるので、その音楽に触れていただくチャンスはいくらか残されているが、ここでは各音楽家について、作品をピックアップしつつ紹介できればと思う。
佐藤公哉の音楽に最初に触れたのは、彼が所属する、藝大出身者で構成されるバンド「表現(Hyogen)」のライブでだった。ジャンルを、さらには時間や空間を軽々と越境するようなその音楽性は、こちらの音楽聴取に対するスタンスを揺るがすような力を備えていた。現在は休眠中にある表現だが、過去15年ほどの活動の中で、佐藤は大きく変容したように見える。
当初はラフなヴァイオリン演奏と唸るようなヴォーカルで、どこか野蛮な魅力を備えていたが、バンドがドラムレスの編成に落ち着き、アコースティックなアンサンブルサウンドを基調とする中で、朗々とした声とファルセット、さらにはホーメイ(ホーミー)による低域の響きなどを巧みに使い分けるヴォーカルスタイルへと変わっていった。また扱う楽器もヴァイオリンからパーカッションなどまで多岐にわたり、声の多彩さと相まって独特なグルーヴ感を生み出していた。その個性は、今回の『星の王子さま』の舞台でも十分発揮されている。
佐藤は現在公私ともにパートナーであるピアノ&アコーディオンの権頭真由と「3日満月」というユニットとしても活動している。新型コロナウイルス流行によりライブ活動がさまざまに制限される中で、ストリーミング配信という形で行われた「LAND FES vol.14 儘多屋」という、日本旅館を舞台にしたダンスと音楽のイベントに彼らは参加していた。
前衛性を備えた演奏や歌唱でありながら、どこかダウン・トゥ・アースで、汎アジア的な香りも感じさせる佐藤の存在感が、老舗旅館の和の空間や、周囲の山水とよく合っていたのが印象に残っている。
中村大史は、アイリッシュ・ミュージックをベースとした「tricolor(トリコロール)」や「o’jizo」といったグループ、または先に名前を挙げた権頭真由とのアコーディオンユニット「momo椿*」等で活動してきたマルチインストゥルメンタリスト。『星の王子さま』でもブズーキやバンジョーなど各種楽器を演奏していた。中でも冒頭奏でたハープは、観衆を一気にステージ上の幻想世界へと連れて行くような効果があった。
さまざまなバンド、またはソロのライブなどで目にした中村の姿に、ケルトの吟遊詩人が現代に転生したような印象を受けていた。もっとも彼が歌うのは神話や伝説ではなく、より健やかな生活を希求する、素朴な気持ちだったりする。その歌声がクラシックでアコースティックな楽器による巧みな演奏に乗ると、軽快な、現代らしい存在感が生じるのが面白い。優しいが、巧妙。それはポップと表現してもいいかもしれない。
こうしたふたつの個性を舞台に起用した仕掛け人が、音楽家・阿部海太郎。演出・振付の森山開次と対談インタビューの中で、阿部は『星の王子さま』の音楽について次のように語っている。「生演奏に参加してくれるミュージシャンの優れた即興性を前提として、楽譜に書けない音をつくりたい」(エンタメ特化型情報メディアSPICEより)。
そんな阿部の意図に応えるように、先のふたりの音楽家は、クロスジャンルで即興的なインタープレイを繰り広げ、舞台に生き生きとした抽象性をもたらしたのだった。この舞台の音楽は、作曲家としての阿部の活動においては意外な展開かもしれないが、阿部の音楽活動に長年親しんできた者としては、彼のある個性が表れているように思える。
以前阿部の作品を本欄で紹介した際に、彼をリスナーシップのある音楽家と表現したが、おそらくステージ上のふたりの演奏を楽しんでいるのは、何より阿部自身に違いない、今回もそんな風に感じられたのだった。
舞台『星の王子さま』の音楽には、先のふたりの音楽家の演奏によるもの以外に、事前に録音された、ピアノやストリングスによる曲もいくつか使われていた。こちらのほうがより阿部らしいといえるかもしれない。
もっともそのサウンドも、クラシック音楽が持つ魅力の核(個人的には弦楽などのアンサンブル感と、舞曲的なリズムにそれを感じている)を備えながら、時に現代的な感覚も織り込んで、幅の広さというか、彩りの豊かさが印象に残った。それは10月にリリースされた阿部の最新アルバム『Le plus beau livre du monde 世界で一番美しい本』にも感じられたものだった。
2019年に放映されたNHKの8K番組『世界で一番美しい本』のために書き下ろされた楽曲で構成されたこのアルバム、各楽曲には「Avril-Fiançailles 四月 婚約」や「Octobre-La chanson de l'épouvantail 十月 かかしの唄」といったタイトルが付され、番組で紹介された装飾写本「ベリー侯のいとも豪華なる時祷書」にて描かれた、中世フランスの12か月の暮らしから着想されていることがわかる。
ある月はアコーディオンデュオ(中村大史と権頭真由の演奏)、ある月はオーケストラ、またある月は阿部によるピアノ独奏など、さまざまなスタイルや編成になっている。一聴散文的なところはTV番組の伴奏ゆえかとも感じたが、聴き進めるうちにクープランのクラヴサン曲集あたりが連想されて、がぜん惹きつけられた。
式典感のあるトランペットとほっこりとしたハーモニウム(リード・オルガン)の組み合わせがクラシックながらロウファイさも感じさせる「Janvier -Approche, Approche 一月 アプロッシュ、アプロッシュ」、ミュージックボックス(オルゴール)のアブストラクトな音の連なりにパーカッションが絡む「Février -Une petite ferme avec bergerie, basse-cour, quatre ruches et un pigeonnier 二月 羊小屋、鶏舎、四つの蜜蜂箱、そして鳩舎を持った小さな農家」といった曲からは、アコースティックな楽器やクラシック音楽の手法などに依拠しつつも、現代にとって新鮮なサウンドが追求されていることが伝わってくる。
もちろんそれはあくまで番組が取り上げる装飾写本を契機としたもの、という範疇ではあるのだが。ただ、それぞれ色の違う輝石のような曲たちを通聴することで、確固として行き届いた構築的イメージ、残像のようなものが、脳裡に立ち現れるような印象を得た。それはどこか良質な紀行文の読後感とも似ていて、旅行が難しい昨今、より心動かされた。
ちなみにこの『Le plus beau livre du monde 世界で一番美しい本』は、各種の配信ソフトやCDで現在入手できるが、今年中にアナログのリリースが予定されているという。本作は22.2chで録音された音源をもとに、英国のエンジニアEric Jamesがマスタリングを手がけているが、そのサウンドがアナログで、オープンエアの耳にどのように響くのか、個人的には興味深く感じている。
- TEXT :
- 菅原幸裕 編集者