いまも絶大な影響力を持つ英国女王エリザベス2世の治世を描いた、現在ネットフリックスで放映中のドラマ「ザ・クラウン」をはじめ、2017年11月に全米で公開される、第二次世界大戦のドイツ軍との戦いを描いた映画「Darkest Hour(原題)」など、チャーチルに関係する作品はどれも世界中から注目されている作品ばかりだ。チャーチルは1940年に英国首相座に就くと、第二次世界大戦において、欧州大陸諸国がドイツ軍の猛攻に遭い次々と降伏・占領される情勢下で徹底抗戦を貫き、結果的に連合軍勝利への端緒を担った。いまもなお、英国史上、最も尊敬するリーダーの一人に選ばれることもあるチャーチルは、近代・現代史上の最重要人物でもある。ここでは政治的業績もさることながら、人生を楽しみ、名品を味わいつくしたジェントルマン・チャーチルについて大いに語るとしたい。

大好きな塩野七生さんの『男の肖像』をめくっていたら、チャーチルを敬する、こんな言葉がでていた。

「ウィンストン・チャーチルは、最後のヨーロッパ人ではなかったかと、私は思う。どんなに汚いことをしても、英語でいうスタイルが彼にはあった」

MEN'S Preciousの創刊号で、ぼくはウインストン・チャーチルについて書いている。

それはHBOが制作した2002年公開の『ギャザリング・ザ・ストーム(邦題『大英帝国の嵐』)』に続く、チャーチルの評伝映画、2009年の『イントゥー・ザ・ストーム』を批評したもので、それをとりあげたのは、ブレンダン・グリーソン扮するチャーチルのできがまったくよかったこともあるが、ヒュー・ホィットモアの脚本が、英国を救う大政治家チャーチルとしてだけではなく、いままで映画やテレビではほとんど観ることがなかった、チャーチルの私生活│異様なほど贅沢と美食を好み、趣味にかまけ、しかし妻クレメンタインには頭があがらないという│も細部に渡りたっぷり描いていたからであった。

そう。そこなのですね。ぼくが惚れ込んだチャーチルの魅力は、戦時の指導者としての卓越にもあるが、本質的には〈命がけで仕事をしながら、私生活も楽しみきる〉という、徹頭徹尾二兎を追う少々デンジャラスな彼の生き方にあるのである。つい最近もそのあたりを深掘りした新チャーチル論『チャーチル・ファクター』が出た。

1874~1965年。公爵家に生まれ、王立陸軍士官学校を卒業。青春時代を軍人として過ごした後、政治家へと転身。65歳にして首相に就任し、80歳で退任するまで第二次世界大戦や大英帝国の衰退といった様々な難題と向き合い、国民的人気を博する。

さりげなく自分こそチャーチル精神の真の後継者と匂わせているその筆者は、英国の現役外務大臣、ボリス・ジョンソンである。BREXITの国民投票では離脱派の頭目だった人物。

彼のトレードマークとなっているのが「ターンブル&アッサー」製のボウタイ。ポルカドット柄のボウタイは父親への敬意を表現しているという。

ロンドン市長時代は自転車通勤で有名になった、ほら、あのちょいとロックが入ったひとですよ。この本のなかでジョンソンはまるまる1章をチャーチルの贅沢で気ままなライフスタイルについて割き、それこそが第二次大戦中の英国人を奮い立たせた重要なチャーチルファクターのひとつと結論づけている。

「イギリス国民は、ある意味で、チャーチルの変わった習慣やユーモアを通じて、なぜイギリスが戦っているのかを理解した。馬鹿げた帽子、つなぎ服、葉巻、そして過度のアルコール消費を通して、チャーチルは自分の政治哲学の確信を、身をもって示したのである。それはイギリス国民が自由に人生を生き、自分がやりたいことをやりたいようにやるという譲ることのできない権利でもあった」

つまり贅沢もチャーチルの政治的武器だったと言っているわけだ。

大戦中のチャーチルといえば、米国製の機関銃、通称トミーガンを持ったポスターが有名で、同じ絵柄のタオルやコーヒーカップも出回っていた。

テキサス製のカウボーイハットからホンブルグハットまで、様々な帽子を愛したチャーチル。なかでも有名なのがこちらの帽子だが、実は「ボウラーハット」ではなく、エドワード7世の治世下で流行った「ジョンブルハット」と呼ばれるデザインだという。写真はオールドボンドストリートにあった、「Scott&Co.」という帽子店のものだ。

「ジェームスロック」の山高帽や「ヘンリー・プール」の縞のスーツ、父ランドルフ伝来のポルカドットの蝶ネクタイという古ぼけた贅沢品でチャーチルは戦っていたのかと思うと〈なんともおもろいなあ、このおっさん〉という気持ちになってくるのである。

服選びに表れる人間チャーチルの真骨頂

前掲ジョンソンの『チャーチル・ファクター』は現役の政治家らしいチャーチルの心理分析がさすがの冴えを見せるが、チャーチルのライフスタイルという点では、ニューヨークでチャーチル関係書籍専門店を経営するバリー・シンガーが2012年に著した『チャーチルスタイル』が情報量で他を圧している。

服装、趣味、飲食、自動車、嗜好品、読書など、いかにチャーチルが私生活を大切にし、それを楽しみ抜いたか、その全記録といってもよい。

たとえば下着。チャーチルのそれはすべて最高級のシルク製だ。本人は、皮膚が弱いからと泣きごとを言うが、「アーミー&ネイビーストア」で購う下着とナイトシャツの値段は、富豪の娘である妻のクレメンタインですら「目玉が飛び出す」ほどだったとか。

下着にしてそれだから、推して知るべし。セントジェームズ・ストリートの「ボーノー&サンズ」か、サヴィルロウの「ヘンリー・プール」で仕立てるスーツやオーバーコートの請求書も途方もないものだったろう。

しかも、チャーチルは、極めつけの軍服フェチでもあった。士官候補生であった20代にオックスフォードストリートの「E·トーツ&サンズ」という軍関係のエリートご用達の、これまたとびっきりの高級テーラーで最初の軍服を仕立てて以来、そのフェチぶりはエスカレートするばかり。

海軍大臣のときは、ロイヤルヨット連隊というヨットクラブのユニフォームに身を包み、空軍視察のときは、予備空軍の制服姿。

1940年に首相に就任してからも、女王直属軽騎兵隊やらロイヤルサセックス連隊やらの軍服でご満悦。ちなみにですね、「オースチンリード」製のロイヤルサセックス連隊の制服は1着150ポンド。現在のレートになおすと、7400ポンド(日本円で100万円)だ。昔も今もロンドン仕立ては安くないのです。

だが、どんな軍服よりもチャーチルのお気に入りは、自分でデザインしたつなぎ服、知られるところの「サイレンスーツ」であった。

第二次世界大戦下のドイツ軍による空襲時に、サイレンが鳴ったらすぐに着替えられるようにと、チャーチルが考案したオールインワン、「サイレンスーツ」。実はボイラー技師の制服をモチーフにして、戦前にはすでに着用していたという。写真の赤いベルベットのほか、様々な色や素材で「ターンブル&アッサー」につくらせ、用途別に使い分けていた。

もとはといえば、ケント州チャートウエルの自宅に出入りしていた煉瓦積みの職人たちが着ていた「ボイラースーツ」を下敷きに、チャーチルがアレンジしたものだが、大きな胸ポケットがふたつ、パンツ部にもゆったりとしたポケットが付いたそれを気に入ったと見え、「ターンブル&アッサー」に赤、緑、青のヴェルベットのもののほか、すこし改まった感じの青のサージ地、絵を描くとき用の綿のものとアレコレ作らせている。

これにWSCのイニシャル入りの「N·ツゼック」社のスリッパか「ピール&カンパニー」製のジップアップのドレスシューズを合わせれば戦時のチャーチルのできあがり、とシンガーは楽しげに結んでいる。

どこをとっても絵になるチャーチル的日常

チャーチルという男の凄さの一端はその並外れた生産性にある。

仕事の量も普通の政治家の3倍も4倍もこなすが、私生活でもボーッとしていることなぞなかったようだ。

チャーチルが壮年期の大半を過ごしたケント州チャートウエルの家で過ごす典型的な日々をシンガー本を手掛かりに探ってみよう。起床は朝8時。この頃の貴族の常として、夫婦とはいえ、ベッドルームは別々。

チャーチルはベッドのなかでベーコン、ソーセージ、卵、トマト、トーストに紅茶という食事をとりながら、新聞、手紙、書きかけの原稿や、校正紙に目をとおす。

その後、召使いがアスプレーの温度計で適温に用意してある風呂に入る。着替え、そしてゲストが待つ昼食のテーブルへと向かう。チャーチルが主役の長い昼食が終わると、客を引き連れ、邸内や敷地内の庭を案内。客が帰った5時ぐらいから、1〜2時間の昼寝。夕食前に妻クレメンタインや子供とベジークやジンラミーなどのカードゲームに興じ、着替え。そして、またもや、ゲストが待つ夕餉(ゆうげ)げの席……。

男性客とシガーとコニャックを楽しみ、愛用のブレゲの懐中時計を見れば、時刻は真夜中過ぎ。が、ここからチャーチルの本領が発揮される。書きものが始まるのだ。

書きものといってもチャーチルはすべてディクテーション。秘書のピーマン婦人らを相手に演説の原稿や、著作の読み上げが真夜中の3時、4時まで続く。

昼も夜もポルロジェのシャンパンやハインのコニャックをさんざんやった後にである。

まさに仕事も遊びも「やりきる」スタミナがあるところが驚異的だ。来客から解放される休日、チャーチルは、生涯を通じての最愛の趣味である画筆をとる。

40歳ではじめて絵筆をとって以来、精神安定剤がわりに絵画を趣味としたチャーチル。写真は第二次世界大戦から解放された1946年、マイアミビーチの風景を描いているところ。印象派に強く影響を受けたその腕は、プロ並みだったという。

チャーチルが絵を始めたのは40歳と遅いが、始めたら徹底的にやるのが流儀だ。特に政治的に干されていた1932年から始まる「荒野の時代」の7年間、チャーチルを精神的に支えたのは、チャートウエルで育てていた豚や山羊、牛などの動物と油絵だったのだろうと思う。

チャーチルが後年に愛用した、油絵の具のシミも生々しいスモックとパレット。1915年に、海軍大臣辞職の失意を慰めるために絵画をスタートした彼は、「絵画がなかったらとっくに死んでいる」と妻にも評されている。生涯のうちに500もの作品を残した彼は、いったいどれほどの苦悩と戦ってきたのだろう。

1955年に首相を引退してからもチャーチルの行く先には必ず油彩の道具あり。ディクシー&サンの眼鏡をかけ、絵描き用のスモックとパナマに着替え、愛用のチャールズロバーソンのイーゼルに向かうチャーチルの姿そのものが一幅の絵。いや、何をやっても絵になってしまう男、それがチャーチルなのだ。

だれもが羨むような人生を歩んできたチャーチルだが、努力なくして成功なし!それを見事なまでに体現した彼の人生、今からでも遅くはない、真のジェントルマンを目ざすならチャーチルを真似てみるのはどうだろうか?

この記事の執筆者
TEXT :
林 信朗 服飾評論家
BY :
MEN'S Precious2016年秋号 人生と名品を味わいつくした男、ウインストン・チャーチルより
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任し、フリーの服飾評論家に。ダンディズムを地で行くセンスと、博覧強記ぶりは業界でも随一。
クレジット :
撮影/Veerle Evans 取材/青木陽子 構成/山下英介(本誌)