家で過ごす時間が増えた今、読書が見直されています。そこで雑誌『Precious』5月号では「ああ、今、この本が読みたい-!」という特集を組みました。目まぐるしい時代のなかで、本から得られる知識や教養、そしてさまざまな物語は私たちの知的好奇心をくすぐり、なによりも至福の時間を与えてくれます。
ページをめくることで得られる贅沢な時間を描く今回の特集のロケには、幼い頃から大の本好きだったという鈴木保奈美さんに臨んでいただきました。
本記事では、鈴木保奈美さんが『Precious』のために書いて下さった読書についてのエッセイをご紹介します。
マザー・グースの時間
『マザー・グースのうた』
谷川俊太郎・訳、
イラストレイション堀内誠一。
4年生のクリスマスに、どうしてもとねだって買ってもらったものだ。
全5冊で4000円もするから、
当時の母にとっては思い切ったプレゼントであったろう。
あれから40数年、幾度引っ越しをしようとも、
わたしはこの本を大事に携えている。
なぜこんなマイナーな絵本を欲しがったかといえば、
その頃夢中になっていた『鏡の国のアリス』に出てくる
ハンプティ・ダンプティの起原が、
どうやらこの伝承童謡集にあるらしいと知ったからだった。
いきなり塀の上に乗ってる卵って奇妙でしょう?
欧米(おもにイギリス)の子供達にとってあの卵オヤジは、
日本でいうずいずいずっころばしや花いちもんめみたいな、
よくわからないけど誰もが耳にして知っている、そういう存在らしいのだった。
そうして読み進めていくと、『メリー・ポピンズ』や
『赤毛のアン』や『若草物語』といった少年少女向け小説のあちこちに、
マザー・グースのエッセンスが忍び込んでいることがわかってきた。
バレンタインカードに印刷された
「薔薇は赤い。スミレは青い」という決まり文句。
パンチとジュディの人形劇。朝焼けを悲しむ羊飼い。
映画『トイ・ストーリー』に出てくるお人形の
ボー・ピープもマザー・グースの住人だ。
who killed the cock robin? で
始まる詩が何の元になっているかご存知?
そう、『パタリロ!』のクックロビン音頭なのですよ。
わあ、つながってるんだ、
と読書好きな10歳の少女の目の前がぱあっとひらけた。
お姫様や王様ばかりじゃなくて、
貧乏人や泥棒や死体や棺桶もバンバン出てくる。
意地悪でシニカルで毒のある世界。
どんな味がするんだろう。どんな匂いがするんだろう。
色鮮やかなページを開けば、想像力を全開にしていたあの頃のわたしがいる。
マザー・グースの謎に気付いた大人のわたしもここにいる。
二人で手を取り合って、ロンドン橋の周りをぐるぐるまわる。
はちみつパンで手をベタベタにして、
ゲラゲラ笑いながらガチョウに乗って空を飛ぶ。
書を捨てよ、町へ出ようと寺山修司は書いた。
街へ出られないわたしたちの心を、書は遥か彼方へ遊ばせてくれる。
- PHOTO :
- 浅井佳代子
- WRITING :
- 鈴木保奈美
- EDIT&WRITING :
- 剣持亜弥(HATSU)、喜多容子(Precious)