2018年、イタリアで上梓されたブルネロ・クチネリ氏の自著『IL SOGNO DI SOLOMEO/ソロメオの夢』。その日本語版が遂に発刊した。これまで、幾度となくクチネリ氏と会い、インタビューを通して氏の揺るぎない思想を拝聴してきた私は、待ちに待った一冊である。
クチネリ氏、自身が語った一冊『人間主義的経営』
まず言っておきたいのは、この本には、繁栄するファッションブランドに倣った、服のデザインの秘密や生産品質管理を改善するPDCAは、まったく書かれていない。ファッションビジネスは、服という商材を扱う限りにおいて、その服を生み出すデザイナーの発想やモノ作りのシステム、宣伝や在庫管理といった方法論は必須である。しかし、それにはほとんど、いやまったくと言っていいほど触れていないのだ。ブランド「ブルネロ クチネリ」の創業者クチネリ氏は、デザイナーでなければ、縫製技術を習得した職人でもない。あえて言うならば、モノ作りに「畏敬の念」を持ちファッションブランドを運営する、異端児だ。
11年前、私は、日本のファッション雑誌編集者を集めた、ブルネロ クチネリの本社プレスツアーに参加させていただいた。イタリア・ウンブリア州、ソロメオに佇む本社は、修復した古城である。周囲は、地元住民たちの憩いの場となる広場や、古代ローマ時代を蘇らせたような劇場までも整い、クチネリ氏が理想とする村ができつつあった。
プレスツアーの参加者たちは、世界各国の夥しい書籍をそろえた図書室でクチネリ氏の話をじっくりと聞く機会に恵まれた。なぜファッションビジネスをはじめたのか、なぜ工場はソロメオでなければならないのか……。その時の話が、本書につぶさに記されている。
工場労働に疲弊した父親の姿を見た、少年時代のクチネリ氏。労働は、人生を豊かにし、生活に潤いを与えるもののはずなのに、逆に、人を傷つけるようであってはならない。クチネリ氏が目指す仕事の意味と目的は、学校よりも大切な場だったという、地元のバールで培われた。カウンターやテーブルを囲み、様々な職種の老若男女と議論を重ね、古代ギリシャ、古代ローマ時代の哲学者の思想を学び、やがてファッションブランドを立ち上げることに活路を見出した。ソクラテス、アリストテレス、セネカ、ハドリアヌス、マルクス・アウレリウス……。それだけではない、孔子やカント、ジョン・ラスキンらの箴言も、私たちが集まった図書室に響き渡った。
今だから言えることは、クチネリ氏の口から溢れ出るいくつものアフォリズムは、心に染み入るものではあった。だが、11年前のその場では、ファッションビジネスやブランドとはまったく結び付かなかった。むしろ、理想論のように聞こえるだけだった。上質なカシミアの作りや、上品な淡い色彩を演出するブルネロ クチネリの世界をまったく説明していないではないか。クチネリ氏は創業者といえども、あくまでもブランドのイメージキャラクターで、ほかに影武者がいて、ファッションのデザインを作り上げているのではないか、と思ったほど(すみません!)。
その時の内容と少しも変わらない話が、本書の『人間主義的経営』である。
クチネリ氏が大切にしている思想を、3つほど引用する。
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当時(16歳)の私にはまだ父を守る力がありませんでしたが、これからすべきことはまだ具体的に決まっていなくても、自分は絶対に、倫理的にも経済的にも、人間の尊厳を守るために生きて働くと固く決意しました。
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人間や自然を傷つけ攻撃せずに利益を生む資本主義、人間の原点と歴史に根差した資本主義。「人間のための資本主義」という構想の一部は、村人の生活を改善するための施策として具体化していきました。(中略)人間をないがしろにして品質は保てないのは明らかであり、この方法こそが、利益を生み、人間の尊厳を回復する経済のあり方だと考えたからです。
- 製品の本物の価値は、よって立つ国の歴史、特徴、技術、モノづくりの伝統を表現することから生まれ、独自の個性を発揮することで普遍性を獲得すると思うからです。その方が均一的なグローバリゼーションよりもはるかに大きな価値を生み出すと私は確信しています。
トマ・ピケティ氏が著した『21世紀の資本』以降、資本主義の限界をさらに多くの識者たちも語り出した。大部の一冊だが、眼目は、資本収益率(r)>経済成長率(g)。つまり、資本から得られる収益率が経済成長率を上回ることを示した。労働の対価では到底追いつけない、「持つ者と持たざる者」の信じられないほど膨大な格差が生じていることを突き付けた。資本主義は、行き着くところまで行ってしまったのではないか。まさに労働とは何か、を考えさせる。
先進国は、大量生産システムを取り入れた結果、生産コストが下がり、広く多くの国民に安価な商品が生き渡った。一方で、労働者は大きな精神的な抑圧を受けたのも否めない。それが、少年時代のクチネリ氏が見た父親の疲弊した姿だったのだろう。たえず新しいものを投入し、古いものを陳腐化する流行のサイクルに人々を巻き込むことにもなったのではないか。
クチネリ氏は、ファッションの基本となるモノ作りを通して、人間的な尊厳を重視する労働に今も応えているわけだが、ブランドを立ち上げる以前、哲学書に没頭するなか、ある一冊の本に出合う。セオドア・レビット著『マーケティング・イマジネーション』という市場経済について書かれた本。「中級品を安く作れる新興国に負けないために先進国は高級品の製品に特化しなければならない」という理論が、人間主義的な経営でファッションビジネスを始める重要なヒントとなった。
現代的な色彩を特徴とした女性用のカシミアセーターが、ブランド誕生時の渾身のアイテムである。1978年当時はまだ、グレーやネイビーといった暗い色のニットしかなく、腕利きの染色職人に頼み込み6色の淡い色彩に染めたカシミアニットを作り上げたのだ。その後、地道な営業で販売路線を広げ、「メイド・イン・イタリーのカシミアニットウェア」でブランドの市場認知を確立。工場運営の方法は、19世紀スコットランドで正当な労使関係を取り入れた、ロバート・オーウェンの思想を活かした。
本書の実質上の終章となる第9章で、「決してユートピアではない。ソロメオは、企業と家族を、革新と伝統を、利益と贈り物を、お金と人間の尊厳をつなぎ合わせている」と叙述する。人文主義的な新しいファッションビジネスの実現に、私は感服する。
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- TEXT :
- 矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
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