機械式ムーブメントをダイナミックに見せるデザインとして、今や完全に浸透したスケルトンダイヤル。だが、あまりにも浸透しすぎて、どれもこれもスケスケ、ひどいものだと機構がシンプルすぎてスカスカという始末。男として、本物を見極める目はしっかりと養っておきたい。もちろん頂点に君臨するのは、その超絶的なムーブメントの開発技術で知られるゼニスだ。最新作に見られる、大胆なスケルトンダイヤルで表現される華麗な計時の様を眺めているだけで、時を忘れてしまうほど(!?)彼らはいかにして卓越した技術を磨き上げてきたのか。ブランドの歴史に名を残す時計師たちのエピソードと共に、ご紹介しよう。
2017年のバーゼルワールドで話題をさらい、途端に長いウエイティングリストができたゼニス渾身の新作。クロノグラフを作動させるとセンター針が1秒に1周という速さで回りだし、華麗に、そして正確に1/100秒まで計時する。スケルトンダイヤルで大胆に見せたムーブメントがもたらすのは、洗練された革新性だ。
クロノグラフを作動させた瞬間、
ダイヤルのなかに広がる小宇宙で1/100秒を刻むドラマが始まる
スイス時計産業の聖地ル・ロックルで息づく、
マニュファクチュール「ゼニス」の矜持
時計史上初のマニュファクチュール誕生
『デファイ エル・プリメロ21』、そして『クロノマスター』コレクションで、文字盤をフルオープンにしたモデルをリリースしたことで、「色香」という新たな魅力を開花させたゼニス。ともすれば鼻の穴をふくらませた「ドヤ顔」時計になりかねない、スケルトンという華やかで派手な意匠も、決してそういったイメージに着地させない――その理由は、ゼニスというマニュファクチュールの、崇高な時計づくりの理念がブレることなく継承され続けているところにあるだろう。
そんなゼニスの歴史には、時計づくりに生涯を捧げたふたりの時計師の名が刻まれている。
ひとりは、スイス時計産業の発祥の地、ル・ロックルで、「時計史上初」といわれるマニュファクチュールを築いた、創業者のジョルジュ・ファーブル=ジャコ。それまでル・ロックルの町の各所に点在する工房や自宅で働いていた職人たちを、「すべての時計部品は互いに関連している」という考えから、時計製造に関するすべての専門技術をひとつ屋根の下に結集させたのだ。
1865年のことだった。
それによってもたらされたのは、技術的な進歩、そして数段上がった製造効率。自社の時計の精度を高めたゼニスは目覚ましい発展を遂げ、名門マニュファクチュールとしての礎を築きあげた。
気品と色香を兼ね備える『エル・プリメロ』の新たな躍動
屋根裏部屋に隠した機械式時計への情熱
ゼニスというマニュファクチュールを語る上で欠かせない、もうひとりの時計師――シャルル・べルモ。彼の存在がなければ、いや、彼に時計づくりに対する情熱がなければ、『エル・プリメロ』という傑作クロノグラフムーブメントは現存しなかっただろう。
1969年に開発が成功、名だたる高級ブランドに供給されていた『エル・プリメロ』だが、世界を飲み込んだ「クオーツショック」が、マニュファクチュール「ゼニス」の経営も脅かした。やがて、生産をクオーツ時計のみにすると経営方針を転換。機械式時計を製造する道具や図面、すべての破棄が命じられた。
しかし、機械式時計の復興を確信し、その命に従わない男がひとりいた。機械式時計製造の責任者、シャルル・ベルモだ。彼はこっそり、金型などの道具類や図面などを屋根裏部屋に運び隠し、やがて来ると信じている「その時」を待った。
果たして「その時」が訪れたのは、1984年。機械式時計の製造復活が決定し、彼が屋根裏に隠した道具や図面が、再び日の目を見ることになったのだ。製作が再開された『エル・プリメロ』は、「クロノグラフの傑作」として、ゼニスの名を世界に知らしめる立役者となった。
伝説の舞台となった屋根裏部屋は現在も当時のまま、大切に保存され、静かに歴史を刻み続けている。
※価格はすべて税抜です。※価格は2017年秋号掲載時の情報です。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2017年秋号新たなる「迫力」をまとったゼニスの挑発より
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- クレジット :
- 撮影/唐澤光也(パイルドライバー)構成・文/岡村佳代