男の夢は尽きることがない。人生のすべてを刺激的な体験で満たすことなどできないからだ。音楽もしかり。すぐれた音楽家たちは五感を研ぎ澄ませて、まだ見ぬ夢の場所を音で表現してきた。その成果を聴くことは、時空を超えた旅に等しい。1970年代半ば、ラブ&ピースの時代が終息し閉塞感を迎える状況で、自らの想像力を頼りにエキゾチックな音世界を生んだ音楽家・細野晴臣。それはまた時間を超えたファンタジックな旅でもあった。トロピカル三部作と呼ばれる名盤を振り返る。
旅先では思いもよらないことがしばしば起こる。目的地に着いてもスーツケースが届かない。ホテルの予約が取れていなかった。観光地に行ったら工事のため閉鎖中。通じると思っていた英語がさっぱり役に立たない。その国ならではの土産を買えたと思ったら、メイド・イン・ジャパンだった……。
少し旅慣れた人なら、ひとつやふたつ似たような経験があるはずだ。僕の場合、現地の音楽を聴きに行くのが目的であることも多いので、実際行ってみて当てが外れたときのショックは大きい。だって、ブラジルのカーニヴァルが、サンバじゃなくて河内音頭だったらガッカリでしょ?(いや、それはそれで面白いか)もちろん、そんなことはさすがになかったけれど、期待していた現地の民族音楽が、ツーリスティックで少し失望したという経験はいくらでもある。
『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』『はらいそ』
だから、レコードに刻まれた音源を聴くという行為は、そういった意味ではリスクは少ない。ものによって良し悪しがあるとはいえ、ほぼ期待を裏切ることはないし、なにより現地に赴くよりも手っ取り早く、その土地の音楽に触れられるのは嬉しい。民族音楽に限らず、旅や異国をテーマにしたレコードが楽しいのは、実際の旅のように失望することがないという安心感の裏返しなのだろう。
そんな旅気分を味わえる数ある安心保証の名盤のなかでも、細野晴臣が1970年代に残したトロピカル三部作は鉄板といってもいいだろう。『トロピカル・ダンディー』(1975年)、『泰安洋行』(1976年)、『はらいそ』(1978年)という3枚に耳を傾ければ、それだけで遥か彼方の国々へ連れて行ってくれるだけでなく、タイムスリップまで体験できるという極上の音が詰まっている。加えて、はっぴいえんどからイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)へと移行する変遷が垣間見られるという意味において、ファンには人気が高い。そしてなにより、細野=エキゾチシズムというイメージを決定づけた作品群であることが重要だ。このことは、彼の音楽キャリアに大きな意味をもたらした。YMOを含め、モナド・レーベルにおける観光音楽、エスニック風味も薫るアンビエント・シリーズ、久保田麻琴とのハリー&マック、アメリカン・フォークロアに接近した近年のソロ作品にいたるまで、様々な自身のプロジェクトの原点となっている。
ただ、このトロピカル三部作は、その後のほかの作品にはない、いい意味でのユルさやユーモアに満ちているのが特徴だ。それは細野の訥々とした歌唱法や、ティン・パン・アレーを中心としたミュージシャンたちによるレイジーな演奏の力も大きいが、それ以上に、彼のソングライティングのユニークさによるものが大きい。リズム&ブルース、ニューオーリンズ、レゲエ、ハワイのエキゾチック・サウンド、沖縄民謡などを自在に取り入れたメロディや、「絹街道」、「四面道歌」、「シャンバラ通信」などに代表される異国情緒をあらわにした歌詞。これらはリアルというよりも、架空の世界を描いているからこそ、聴くほうも想像が膨らみ、旅気分が増すのだろう。そう、この頃の細野晴臣は、フィールドワークを行ってクリエイトする真の旅人というのではなく、あくまでもイマジネーションの中の異国を追い求めていたわけだから、理想的な世界が広がっているのも当然なのだ。そして、民族音楽として忠実にワールドミュージックを取り入れることを避け、あくまでも全体の響きや雰囲気を大切にして独自の音楽へと昇華している。でないと、エキゾチック・ジャパンを舞台にした「蝶々-San」にアラン・トゥーサンばりのファンキーなピアノが鳴り響く、なんていう組み合わせは考えないはず。
エキゾチシズムとユーモアの向こう側に昔日のアメリカが!
そう考えると、トロピカル三部作でセレクトされているカヴァー・ソングのラインナップにも説明がつく。ホーギー・カーマイケルの「香港Blues」、マーティン・デニーのヴァージョンで有名な「Sayonara The Japanese FarewellSong」、ハワイで作られた「ジャパニーズ・ルンバ」、オールディーズの名曲「フジヤマ・ママ」と、いずれも米国で作られた東洋趣味丸出しのモンドな楽曲だ。それも1940年代から’50年代にかけての古き良き時代のアメリカン・サウンドが、これらの楽曲のバックグラウンドにしっかりと横たわっている。そうした音楽を持ってくることで、身近な日本やアジアでさえも、これまでに見たことのないような桃源郷へと変えていくのだ。それを映画に例えるなら、オールロケでリアリズムを追求したヌーヴェルヴァーグではなく、完璧なスタジオセットの中で撮ったMGMミュージカルといったところだろうか。いずれにせよ、自作曲同様にどこか寓話的で箱庭風の世界観は統一されている。
細野のこの趣味嗜好性は現在も続いており、直近作である『Heavenly Music』(2013年)でも、アーヴィング・バーリンやバート・バカラックから、ボブ・ディランやクラフトワークにいたる時代も音楽性もさまざまな曲をカヴァーし、時空を捻じ曲げるような不思議な世界に誘ってくれた。きっと彼は、今もなおリアルな旅人であることを放棄し、空想上のまだ見ぬ地を追い求めているに違いない。そう思うと、YMOを結成しテクノミュージックの最先端を突っ走っていた細野も、ティン・パン・アレーでソウルフルなベース・プレイを披露していた細野も、松田聖子などにヒット曲を提供するソングライターだった細野も、具体的な目標に向かっていたのではなく、ファンタジックな世界を求めて浮遊していたのではないだろうか。音楽と人柄からにじみ出る飄々としたたたずまいは、極論をいうと妄想の中を旅しているから故なのだ。
さて、このトロピカル三部作は、意外なことに発表当時はあまり歓迎されなかったらしい。たしかに、フォーク・ブームやディスコの時代には、かなり異質の作品だったであろうことは想像できるし、きっとどのように評価していいのかわからなかったのではないだろうか。今でこそ評価も安定し、僕たちも面白がって聴くことができるが、’70年代にリアルタイムで接していたら素直に楽しめていたかというと、正直なところ自信がない。おそらく、目的地に着いてもスーツケースが届かなかった旅行者のように、レコードを手にして途方に暮れていたんじゃないかな。そんな空想をしてしまうこともまた、この三部作の楽しみ方なのかもしれない。
旅&音楽ライター/選曲家。1970年大阪生まれ。レコード会社勤務中の’90年代初頭から 和モノDJ&音楽ライターとして活動。2005年1月~’07年1月の2年間は知られざる音楽を求めて中南米を 放浪し、帰国後は旅と音楽にこだわり、執筆からラジオの構成、ライヴブッキングなど幅広く活動。現在沖 縄県在住。著書に『アルゼンチン音楽手帖』、『ブエノスアイレス雑貨と文化の旅手帖』他がある。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2015年秋号時空を行き交う、自由なる「音」の旅より
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