「目立たぬこと」。これがエレガントの基本である。
規律に従っているかぎりは目立たない。したがって、エレガントであることはかなり保守的であるということでもある。ダンディは逆である。ダンディはとても目立つ。目立たないことをよしとしていない。
服やアクセサリーの着こなしについてつくり上げた自分のスタイルを、他人に意識させることは、ダンディな紳士にとって大きな喜びなのである。その人にとってのエレガンスを追求した成果なのだから。
イタリアン・ダンディには、意識的にせよ無意識的にせよ、セクシーな男性の香りがふんだんに漂う。女あっての男、男あっての女、という満場一致の価値観が暗黙のうちに社会に存在しているからだろう。イタリアン・ダンディは、また、至極オリジナリティに富んでいる。
孤独な帝王ゆえあえて危険にも挑んだ
イタリア人の持つファンタジィの豊かさが、おしきせの規律にのっとった伝統的な服の着こなしを受け入れるだけに甘んじず、独特の様式を編み出さずにはいられないのだろうし、またオリジナリティこそを創造力として高く評価する、イタリア人のメンタリティからくるものでもあろう。
イタリアン・ダンディの代表のひとりはジャンニ・アニエリ。フィアット社の元会長である。カラチェニで仕立てさせた、フォーマルなダブルのフランネルのスーツを、さりげなく着こなす術を知っているこの人物は、スタイルのアイコンと呼ばれている。
伝統のスーツに、スエードのくるぶし上までのひも靴。小さな職人の工房に頼んで馬蹄形のかかとを付けてもらったドライヴィングシューズ。
ブルックスブラザーズの、襟のボタンをはめずに着たボタンダウンのシャツ。セーターのそでの上から巻いたオメガ『シーマスタープロプロフ』の腕時計。短めのニットのネクタイは無造作に結ぶ。
研究したり、気どったり、装ったりすることはエレガントではない。あるがまま、であらねばならない。ノンシャランであるようにと努めていることが透けて見えてしまうのはもっとひどい、と本人は言い続けた。
英国式の正統な装いと違って、アニエリの服装は彼独自のスタイルなので、人々はそのインベンションの部分に強い関心を持つのである。
ジャンニ・アニエリは女性を愛し、人生を愛した。個人資産は、10数億ドルという。軽さと深さが共存する生き方の人であった。若き頃は、ジャクリーン・ケネディやパミラ・チャーチルら、時の人たる女性たちと浮き名を流すことしきりであった。
食べ物のショッピングが好きで、パリの市場でも八百屋や魚屋で大量の質問をしながら歩くのを楽しみにしていた。マフィアやギャングの映画を好み、サッカーのチーム、ユベントスを所有し、スキーやヨットにも情熱を傾けた。
アニエリは世界人だった。イタリアの文化をこよなく愛していたが、アメリカの友人でもあった。18歳のときに、フォード社を訪ねてアメリカに渡った、という経緯も影響している。
生まれながらに洗練された感覚を持ち、決して力んだり、誇張したりすることがなかった。軽く、陽気、見かけの派手な行動などの陰に、深い痛みや哀愁を抱えていた。リーダーとしての力量の裏に、孤独な帝王の姿を抱えてもいた。その孤独な感情のために、あえて危険に挑戦したがった。戦争、海、スキー、フェラーリ。最悪の条件下でも乗っている飛行機を無理矢理着陸させたり、危険と背中合わせのことに自分を駆り立てるところがあった。
通俗的な下品さなどは、みじんもなかった。
感情を見せるのは弱さ、と考えてそれを嫌っていた。最期のときにも、家族や側近には弱いところを決して見せなかったというが、実際には、家族や友人、従業員への愛情と責任感の強い人だった。
アニエリは基本的には制度と体制、伝統についての尊敬が強い人だったが、精神の一部はアメリカ文化のもとにあった。ヨーロッパの伝統下のエレガンスとアメリカのカジュアルなプラグマティズム。人生を最大に楽しもうとするエネルギーや熱い感情と、それでいて感情を他人には見せない冷徹さ。スタイリッシュで無造作。
いくつもの対照的な要素が混じり合ったところにアニエリ独自のスタイルが生まれる必然がある。
彼のダンディなスタイルを他人がまねしようとしたところでまねできない理由は、そこにある。それゆえさらに、人はアニエリの生き方についての関心を深めるのである。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2014年春号 イタリア3大伊達男の伝説より
Faceboook へのリンク
Twitter へのリンク
- クレジット :
- 文・矢島みゆき 構成/矢部克已(UFFIZI MEDIA)