男たちを魅了する「青」に関するなかで、「ブルーフィルム」を避けては通れない。そもそも、なぜ「ブルー〜」なのか。そこには、エロティックな色を表す日本特有の感覚があった。ライターの松沢呉一氏が、その秘密を解き明かす。

 私は長年「エロティックな色」について調べ続けていて、今なおわからないことだらけだ。

 我々日本人にとって、エロティックな色は「桃色=ピンク」である。そこを疑いにくいため、世界共通だと思ってしまうが、ピンクがエロティックなのは日本と韓国くらい。その韓国も日本の影響だと言われていて、さらにお隣の中国になると黄色になる。「桃色」がエロティックな色に転換する過程はいささか混みいった経緯を辿っているのだが、昭和初期に桃色をエロティックとする言語表現が出てきて、やがて実際の色にも及んで風俗案内所はピンクを好んで使うことになっている。

 色の意味はいわば「現実色」と「言語色」に分けられ、エロティックな色は後者に重きがあり、だから言語によってまったく違う。

 英語圏ではブルーがエロティックな色だ。そのルーツは17世紀から19世紀にかけてフランスで出ていた「Bibliothèquebleue」にある。日本語で言えば「青文庫」であり、それこそ「シャルリー・エブド」にまでつながるフランスの風刺文化をつくり上げた出版物である。

 性的な表現も交えながら、政治風刺、社会風刺を旨としていたのだが、これがイギリスではフランスのエロスを代表する出版物とされ、ブルーがエロティックな色になっていく。

 なぜフランスのものをわざわざもってきたのかと言えば、それがイギリスの伝統だから。「フレンチ・レター(コンドームのこと)」「フレンチ・キス」「フレンチ・マガジン」といったように、イギリスでは好んでエロティックという意味でFrenchを使う。「フレンチ・ポストカード」も、広くフランス製の絵葉書を意味するとともに、ヌード絵葉書の意味で使用される。

 イギリスでは「フランス人は好色」というお約束があるわけだ。フランスでも「イギリス人は好色」とする同様の用法があるのが面白いところ。

 英語ではブルーがエロティックな色と言われてもピンと来ない人でも、「ブルーフィルム」を持ち出すと納得しやすい。

 日本では、映画館で上映されるものは「ピンク」、温泉地や個人宅などでこっそり上映される非合法のものが「ブルー」と棲み分けがなされていたが、英語のブルーフィルムは広くポルノ映画を指すようだ。

 日本におけるブルーフィルム、戦前は「猥映画」とも呼ばれ、おもに16ミリで撮影されていたが、戦後は8ミリカメラと映写機が普及して製作が容易になり、上映し易くなって需要が高まった。しかし、ビデオと違い、8ミリのコピーは簡単ではなかったため、何台ものカメラを同時に回すことで量産した。量産と言っても知れているわけだが。

 こういった商売としてのブルーフィルム以外に、趣味のブルーフィルムもあった。むしろ始まりはこちらである。

 今だって、携帯でハメ撮りの写真や動画を撮る輩がいるように、写真創生期、映画黎明期から、「裸を撮ったらいいんじゃね?」と考える人たちがいた。今は誰でも撮れるが、当時はカメラを入手できるのはほんの一部の人々だ。映画関係者か富豪である。富豪がスポンサーになって自分らだけで楽しむ映画を製作する。あるいは映画関係者が富豪に売り込むための映画を製作する。

 それらがやがて大衆化して、秘密クラブや宴会の出し物になっていく。

 趣味の人たちはそれを外部に出すことは考えない。仲間内で見るだけ。対して商売の人たちは金のことしか考えない。そのはずなのだが、こういったものからも観客を意識した表現の意識が芽生え、「作品」と化すものが出てくる。これが垣かい間ま見えることが、こういうエロス表現のもっとも興奮する瞬間だったりする。

 その経緯は1世紀ほど前の、フランスの個人蔵のブルーフィルムを集めたDVD『ブルーフィルム 青の時代』(竹書房)でも確認することができる。そこには演技があり、ドラマがあり、コスチュームがあり、小道具がある。

 見る側は性器やセックスだけではなく、そこにまつわる物語、キャラ設定、斬新な表現に惹かれる。そういった審美眼を通して、日本では「土佐のクロサワ」と称された人物のように、製作者の存在までが認知されるようにもなっていく。

 ブルーフィルムは今の裏ビデオに相当するわけだが、裏本に相当するのが地下本であり、ここでも同様の瞬間を見いだせる。歓楽街や温泉地で、「社長、いいものがあるんだけど」と声をかけて販売するチープな本で「どうしてここまで書き込むのか」という表現に出くわす。『四畳半襖の下張』が永井荷風によるものだとされるように、高名な作家が手がけたものであればそうなるのは理解しやすいが、そんなことを考えたことのない素人の代物でも、いつしか作品になっていく。

 こういった本ではしばしばガリ版の口絵が入っているのだが、デッサンの狂った絵なのに、何色も使った多重刷りをしているものがある。版を重ねる手間は半端ではないはずで、採算を考えていない表現だ。黒や青のインクだけで刷られた絵に、色が加わり、表現という意味が加わったときに、見る側はもうひとつの意味を知る。我々は性器やセックス行為だけに興奮しているのではないのだと。

 今も趣味の写真や動画を撮るために公園や路上で裸になって公然わいせつで逮捕されるカップルがいる。あれもクオリティを求めていくことによって行為がエスカレートし、表現がリスクを超えてしまったのだろうと想像できる。

 金儲けの衝動と表現の衝動が交錯する。エロスとリスクが交錯する。ブルーとピンクが交錯する。チープなエロティック表現にこそ、そのせめぎ合いが生々しく記録されているのである。

文・松沢呉一/1958年生まれ。エロティックジャンル一般を得意とするライター。著書に『ぐろぐろ』(ちくま文庫)、『エロスの原風景』(ポット出版)など多数。

ブルーフィルム/英語圏ではポルノ映画全般を指すが、日本においては私家版や秘密裡の視聴のためにつくられた、主に性行為を収めた映画を指す。欧米では映画が誕生して間もない19世紀末〜20世紀初頭からこの種の映画が製作され、日本においては大正期から検挙記録が残っている。1950年代には各地で上映会等が行われ、中には「土佐モノ」と称し全国的に人気を博した作品も登場した(『回想の「風立ちぬ」│土佐のクロサワ覚え書き』伊集院通・著、マガジンハウス・刊参照)。ʼ60年代〜ʼ70年代には8ミリカメラの普及で最盛期を迎え、ブルーフィルムという呼称も定着するが、その後ホームビデオの登場で一気に廃れた。
この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
BY :
MEN'S Precious2015年春号 男たちを魅了した「青」の記憶
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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クレジット :
アートワーク/FRANERO(HUESPACE) 構成/菅原幸裕
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