現在の場所に「サルト銀座店」が移転したのは、2020年だった。それまでは、隣のビルに店舗を構えていたが、当時から、森口さんは店の一角で黙々と靴を作っていた。

わたしは何度か、森口さんに仕事の経験や靴作りの面白さ、デザインに対する考え方を質問するようになった。しばらくして、森口さんにお願いしたのは黒靴のストレッチ。長年履き慣らしてきたものの、まだしっくりと足に馴染まなかった靴を預けた。

キャリア10年となる靴職人の森口豊さん
靴作りのキャリア10年となる靴職人の森口豊さん

「革用のペンチを使って、どんどん伸ばして欲しい」と話したが、森口さんは、革の組成に逆らわずに木型を使ってゆっくりと伸ばしていくやり方を選んだ。森口さんの靴作りへの態度をそのとき見たようである。決して無理はしない。オーダーメイドの靴作りにたとえれば、注文を受けてから納品まで、できる限り時間をかけて仕事に向かいたい、という思いではないだろうか。

革・ソール・靴紐……、素材への探求心と好奇心

森口さんの仕事への思いは、今の店舗でも変わらない。変わったといえば、若干仕事場が広くなったこと。新しい環境で早1年半が過ぎた。

昨年、わたしは森口さんに靴を注文した。長く履けるデザインがいいと考えたが、振り返ればその時、これといって作りたい靴はなかった。クラシックなレースアップやローファーのオーダーでは、なにか物足りない。周りを見れば、既製靴のなかに多くの魅力的なモデルはあるし、かといって、際立ったデザインにもまったく興味がなかった。ふと、冬場になるとチャッカブーツばかり履くことを思い出した。

森口さんが提案したチャッカブーツの木型は、ラウンドトウとスクエアトウ。ラウンドトウのチャッカは所有しているため、新鮮味を狙ってスクエアトウに決めた。

すべてハンドソーンウェルテッド製法による靴作り。モンクストラップ、プレーントゥ、Uチップなど、トラッドなスタイルを新しい表情で作り上げる。“アノネイ”や“イルチア”といった有名タンナーのレザーを使うほか、エキゾチックレザーも揃う。
すべてハンドソーンウェルテッド製法による靴作り。モンクストラップ、プレーントゥ、Uチップなど、トラッドなスタイルを新しい表情で作り上げる。フランスの“アース”やイタリアの“イルチア”といった有名タンナーのレザーを使うほか、エキゾチックレザーも揃う。

採寸の後に革選び。わたしがイメージしていたのはスエード素材、それもブラウン。森口さんは、イタリアの名タンナー“イルチア”のスワッチを見せてくれ、革の魅力をたっぷりと語る。繊細な色合い、しなやかなスエードの質感、チャッカブーツになったときの革の張り感などを、実に嬉しそうに話す。

ソールは、チャッカブーツならラバーに決めていたので、お薦めの“ビブラム”で。靴紐は蝋引きのタイプ。結んだ後、なかなか緩まない特性を備えた逸品で、これまで選んだことのない靴紐だった。

美しい仕事に見惚れる。シャープなラウンドトウのセミブローグも狙い目。
美しい仕事に見惚れる。シャープなラウンドトウのブローグも狙い目。

こうした流れは、靴を注文するときに経験するいつも通りの段取りだが、わたしが感じたのは、森口さんの靴や素材に対する溢れんばかりの愛情である。まるで自分の分身のように、木型のフォルムの特徴や、それぞれの素材の持ち味を伝えてくれる。わたしは普段から、注文服や注文靴をお願いする際「このひとに任せよう」という信頼感を大事にしているが、森口さんにはそれがある。

1年を経て実感する、チャッカブーツの履き心地の良さ

仕上がったばかりのチャッカブーツ。なかなか緩んでこない、蝋引きの靴紐を選んだ。
仕上がったばかりのチャッカブーツ。緩みにくい、蝋引きの靴紐を選んだ。
履いてから1年を経て、以前よりも厚手で、クッション性のある中敷きに交換。

作ってもらったチャッカブーツを、昨年暮れから今年にかけて頻繁に履いていた。スーツ以外のカジュアルな服装では、ほとんど森口さんの一足だった。チョコレートブラウンの“イルチア”のスエードは、印象に残る深みのある色調と滑らかな毛羽立ちの質感が絶妙だ。主張を抑えたスクエアトウは、好みのカジュアルなスタイルにしっくりと馴染む表情がある。個人的には、「あと5mmトウが短くてもいいかな」と思って履いてきたが、1年を経て、それまでとは違う少し厚みのある中敷きに交換すると、スエードも柔らかくなってきたこともあり、足をしっかりと包み込むようなフィット感に変わった。その結果、若干長めに感じていたトウは、不思議なことにちょうどいいバランスに見えるのだ。

日本の名靴職人、柳町弘行さんの下でしっかりと技術の根っこを叩き込まれた森口さんの靴作り。いよいよ中堅の主軸の存在として、さらに腕に磨きをかける森口さんは、これからが楽しみである。

問い合わせ先

  • シューメーカー“ユタカ モリグチ” TEL:03-3567-0016
  • 住所/東京都中央区銀座2-6-15 第一吉田ビル2F 水曜日定休
    価格/パターンオーダー ¥165,000〜、ビスポーク ¥330,000〜(シューツリー込み)※税込価格、パターンオーダーは仮縫いなし、ビスポークは仮縫いあり。納期は約4か月以上。

※新型コロナウイルスの影響により一部情報が変更となる可能性があります。最新情報は公式HPなどでご確認ください。

この記事の執筆者
ヴィットリオ矢部のニックネームを持つ本誌エグゼクティブファッションエディター矢部克已。ファション、グルメ、アートなどすべてに精通する当代きってのイタリア快楽主義者。イタリア在住の経験を生かし、現地の工房やテーラー取材をはじめ、大学でイタリアファッションの講師を勤めるなど活躍は多岐にわたる。 “ヴィスコンティ”のペンを愛用。Twitterでは毎年開催されるピッティ・ウォモのレポートを配信。合わせてチェックされたし!
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