ホテルを作っているのは最終的には人である。容れ物がどんなに素晴らしかったとしても、最後に、人は心休まる経験を求めてホテルに帰ってくる。
マンダリン オリエンタル 香港のスタッフに「あなたにとってこのホテルとは?」と尋ねると、異口同音に「私にとって長年一緒にいるファミリー」と答える。この質問をしたら、どのホテルでもそう答えると思いがちだ。しかし移り変わりの激しいホテル業界で、ここには何十年も勤務しているスタッフがいる。
マンダリン・バーバー(理容室)で働く、スティーフン・ワンは1966年に働き始めて以来、今年で52年目となった。彼は実に半世紀をここで過ごしているのである。(※2017年取材時)
「このホテルは私にとって家族です。ここに来る前に働いていた理髪店の支配人に推薦を受けてここにきましたが、今でも彼には感謝していますよ」と答えた。
バーバーというのは面白い場所で、紳士が集う街には必ず良いバーバーがある。ロンドンでエジンバラ公が贔屓とする最古のバーバーや、ミラノでヴィスコンティ・ファミリー御用達のミラノ最古のバーバーにも取材に行った。ここ香港では、ホテルの2階に位置するマンダリン・バーバー(理容室)が、昔ながらの髭剃りと整髪サービスを行い、宿泊客のみならず、地元の香港の人々に愛されてきた歴史を持つ。
店内の幾何学模様のグラスパネルとアイアンワーク、フロアのモザイクタイル、1930年代の上海をイメージして作られた和洋折衷のアールデコ・スタイルのインテリアは、1960年代からのオリジナルが随所に残されている。
6席あるシートは日曜日はグルーミングを求める紳士で混み合っている。ミラーに埋め込まれたテレビでスポーツ観戦やマーケット市場をチェックする姿は金融の街ならではだ。
「ここでのお薦めはヘアカットとマンダリン・シェイブですね。伝統的なレザーを用いたウェットシェイブで、これを行うところは香港でも少なくなりました。指圧によるボディ・マッサージも行っていて、これもとても人気があります。今は男性だけですが、過去には女性のお客様も受け入れていました。中でも覚えているのは前合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏と、その妻バーバラ・ブッシュ様のヘアカットをさせて頂いたことです。彼女は香港らしいインテリアや伝統的なヘアカットをとても喜んでくださいました」
スティーフンにはアジア人特有の穏やかな物腰と礼儀正しさと几帳面さがあり、撮影をする時は緊張した面持ちで照れたように笑う。
「合衆国大統領ばかりでなく、ここには世界中からお客様がお見えになりますが、香港に来たらこれは必ず薦める場所というならザ・ピークですね。世界でも最高のスカイラインのひとつです。お客様だけでなく、海外から来た友人にもいつも薦めていますし、長年香港に住んでいる者にとっても大事な場所です」
靄に煙ったヴィクトリア湾をはるか向こうに見るザ・ピークからの香港の景観、緑の山々に囲まれた亜熱帯特有の湿度と熱気を想像した。どれだけ観光地化されても日本人にとって富士山は特別な意味を持つように、ザ・ピークは香港の人々の心の中にある、それは聖域のようなものなのかもしれない。
人は異文化に惹かれるのだと思う。いつも私は東と西の文化、その違いと融合に関心があった。東西の異文化を発見するために旅に出る。
ホテルは旅人がつかの間、地元の人々に遭遇できる場所でもある。スティーフンの言葉にはホテルに対する愛着が垣間見えた。マンダリン オリエンタル 香港に泊まると、東西の文化が融合したブリティッシュ・香港、そのエキゾティックな歴史に触れることができる気がする。
Special thanks to Jasper Cheung from Mandarin Oriental Hong Kong
- TEXT :
- 長谷川 喜美 ジャーナリスト
公式サイト:Gentlemen's Style
- PHOTO :
- Ken Wu (Lightseed Studio)
- EDIT&WRITING :
- Yoshimi Hasegawa