ドゥカティジャパンが運営する「ドゥカティ ライディング エクスペリエンス(DRE)」の「DRE レーストラック アカデミー」において、チーフ・インストラクターを務めるロードレース世界選手権通算17勝、1993年GP250クラス・チャンピオンの原田哲也さんから話を聞くことができた。彗星のごとく現れて王座を手にした原田さんは、当時グランプリ・シーンをウォッチしていた人々の心をわし掴みにしたものだ。彼がいま、当時のことをどう振り返り、どんな活動をしているのかを尋ねた。
安全に乗ってもらうためのサポートに全力を尽くす
―ドゥカティ ライディング エクスペリエンスのようなイベントで生徒の方々と触れ合うとき、どういうことにいちばん気を遣っていますか?
「まず楽しく、ということですね。つまらなくなってオートバイに乗らなくなっちゃうのが一番もったいないなと思うんです。本来はすごく楽しい乗り物だし、だからまず楽しんで乗ってもらって、その中で主に安全面について僕らがサポートできれば、楽しく長く乗って頂けると思っています」
―バイクの楽しさにも様々な側面がありますね。
「とにかく速く走りたい人もいれば、安全に乗りたい人もいらっしゃいます。僕らが今、ドゥカティのレッスンでサポートさせて頂いているのは、安全に乗ってもらうことです。速く走りたい方であれば、他のスクールに行っていただいくのもアリかなって思います。オートバイのスクールって今は日本にもいっぱいあるので、ネットで色々調べて選んで検討できますよね。ご自身に合ったスクールに行かれるのが一番エンジョイできて、いろいろ有効に学べると思います」
今の自分の使い方にはドゥカティ スクランブラーが最高
―今もモナコにお住まいですね。日本とは行ったり来たりされているのですか?
「コロナ禍以前は年に7往復ぐらいしていました。でも今は隔離期間が長いので、年2回、春と秋に日本に来ている感じです」
―原田さんご自身は、引退後オートバイからはしばらく距離を置かれていたと聞きました。
「10年ブランクがありました。バイクとは長いこと仕事としてしか向き合って来なかったし、『勝つ』ことのプレッシャーに疲れてしまって。
その後、モナコで近所に住んでいる佐藤琢磨くんに勧められて地中海沿いでロードバイクを走らせているとき、ツーリングの集団に抜き去られたことがあって。そのとき「そういえば自分はオートバイが好きだったんだ」と思い出し、またバイクに乗りたいなと奥さんに相談して、危ないからやめろと言われるかと思ったら、「どうせなら、いままでお世話になったバイク業界に恩返しをしたら?」と提案されたんです。それで、日本に帰ってきて今のような活動をしています。いまは雑誌の「ライダースクラブ」「BikeJIN」「クラブハーレー」でアドバイザーを務めています」
―モナコにお住まいの間も、お仕事としてバイクには関わっているのですか?
「モナコではバイク関連の仕事はしていません。家族といる時は家庭を優先していますから。むろんバイクには乗っていますよ。モナコではドゥカティ スクランブラーです。娘を後ろに乗せてツーリングに行くこともありますし、奥さんとイタリアまでランチに行ったりもします。今の僕の使い方にはスクランブラーが最高ですね。ポジションも楽ですし」
―今日サーキットに来ているドゥカティのスポーツ・バイクのラインナップだと、どれがよいですか?
「いちばん好みなのはモンスターです。エンジンも扱いやすいし取り回しも楽。スーパースポーツだとツーリングは大変です。ポジションもそうですし、エンジンにも急がされちゃうじゃないですか。回さなきゃ、回さなきゃって」
―日本ではよくツーリングされているとうかがいました。
「はい。暇さえあればツーリングしています。今日のインストラクターも、みなツーリング友達でもあります。コロナ禍以前は年一回、泊まりで出かけて、夜はお酒を飲みながらバイクの楽しい話をみんなでして、また仕事頑張りましょうみたいな感じで。
とにかく自分が遊びたい、楽しみたい。僕ももう51歳です。乗れるうちに乗っておこう、バイクで楽しめるだけ楽しもうという感じです。こうしたイベントで、お客様に僕の経験を話して喜んで頂けるならそれも楽しい」
バイク人気が続くためにできることを考える
―ところで、当時を振り返って、ご自身が世界チャンピオンを獲れたのはなぜだと思われますか?
「獲ろうとして獲ったわけではなく、結果的に獲れたという感じでした。1年目はランキング10位くらいが目標で、表彰台にも登れたらいいな、と思っていたら1戦目で優勝して、それからトントン拍子に進んで。それは全日本選手権でホンダの岡田忠之さんに勝てなくて3年間、とても苦労する中でレース運びやマシンの開発、セッティングの仕方を覚えた経験が一気に花開いたのだと思います。逆に、チャンピオンを狙いに行ってからは一度も獲れていないんですよ」
―現役のときは「クール・デビル」と呼ばれました。冷静な判断力も全日本選手権で身につけたものですか?
「全日本のときもそうでしたが、そもそも子どもの頃からそういう性格だったと思います。より初歩的なジュニア・クラスのレースの時も冷静に相手を見ていましたが、それをSP忠男レーシングの鈴木忠男社長からとがめられたことがあります。「そんな冷静な、『見るレース』は国際A級に行ってからやれ!」と。その後はジュニアでは全戦全勝でした」
―愛情の対象というか、1番のこだわりって今もバイクですか? それとも他に何か見つけましたか?
「趣味は多くなりました。最近釣りも始めたし、ゴルフもやっています。でも今は、バイクとそのほかのレジャーを同時に楽しむ、ということの普及に熱意を注いでいます。移動にバイクを使って、別の趣味を楽しんで、またバイクを使って帰ってくる。忙しい中でも1日に2回、2個の趣味ができます」
―今のバイクブームをどう捉えていますか?
「もちろん続いてくれればいいなと思っています。今はコロナ禍だから、バイクは一人で乗れるので、という理由で流行っているのでしょう。問題はその先です。バイクを使って遊んでいくプログラムを僕らが率先してやっていかないと、多分バイクつまらないねって降りてしまう人がいっぱいいると思うんです。バイクで遊べるようなことをわれわれがいろいろと提案していく必要があると感じています。僕も皆さんとどんどん楽しんでいきたいと思っています。DREでも僕は積極的にお客さんと話すようにしています。何より僕が楽しいし、いろんなアイデアを貰えたりもしますから」
☆ ☆
かつてのバイク小僧たちにとって、原田哲也といえば世界をまたいで活躍する、ブラウン管の中の存在だった。そんな彼と直接話してみたいという熱烈なファンならば、DRE レーストラック アカデミーはぜひ訪問する価値のあるイベントと言える。
2022年の「ドゥカティ ライディング エクスペリエンス(DRE)」スケジュールは未定です。ご興味のある方は、ドゥカティのウェブサイトでニュースレターにご登録ください。
問い合わせ先
- TEXT :
- 田中誠司 著述家
- COOPERATION :
- ドゥカティジャパン