1849年創業のモワナ。1882年創業のモロー・パリ。19世紀にパリで生まれ、いっときは衰退の道を辿り、そして現代に華麗なる復興を遂げたふたつのレザーブランドに、欧州の洒落者たちは熱い視線を向けている。その勢いは日本にも波及し、どちらも都市圏を中心にブティックが増えているのだ。

 フランス最古のトランクメーカーというだけで、そのロマンに彩られた歴史とものづくりを、私たちに想像させてしまうモワナ。数年前までは忘れ去られた存在になっていたこのブランドは、LVMHグループのベルナール・アルノー会長が発掘し、買収したもの。2011年にはパリの最高級ショッピングエリアとして知られるサントノレ通りにブティックをオープンし、新たな歴史を刻んでいる。

 女性実業家ポーリーヌ・モワナによって設立されたモワナ。1869年には現在のオペラ通りに壮大な店舗を構えるに至った。王族、外交官、探検家……。現代でいうジェットセッターたちに愛され、繁栄を誇ったそのメゾンはいつしかパリジャンの前から姿を消し、ひとつの伝説となった。

1869年に華々しきオペラ通り1番地に構えた、当時のモワナのブティック。軽量トランクが店先いっぱいに陳列された光景からは、当時の需要のほどがうかがいしれる。1902年にイタリア国王夫妻がパリを訪れたときにも、こちらに立ち寄ったという。
1869年に華々しきオペラ通り1番地に構えた、当時のモワナのブティック。軽量トランクが店先いっぱいに陳列された光景からは、当時の需要のほどがうかがいしれる。1902年にイタリア国王夫妻がパリを訪れたときにも、こちらに立ち寄ったという。

伝説のトランクメーカー「モワナ」復活の物語

 その創業は19世紀なかば。女性実業家ポーリーヌ・モワナが熟練のトランク職人とともに設立したアトリエに端を発する。世はナポレオン3世が、選挙で勝利を収め、国民投票で皇帝に任命され、第2帝政をスタートさせていた頃。ナポレオン3世は産業革命を促進し、鉄道網の発達に貢献した。交通手段が馬車から鉄道や自動車、船に移行する時代のなか、モワナは時代のニーズを察知し、世界初の防水加工トランクを開発。1869年には、後のオペラ通り1番地(前身のテアトル広場5番地)、コメディー・フランセーズの正面に300エーカーもの巨大な店舗を開業した。

 1873年には、イングリッシュ・トランクと呼ばれる柳でつくった軽量のトランクを発表。当時列車に持ち込む荷物は重量制限があり、重量オーバーすると超過料金を支払わなければならなかった。人々が移動も含め、軽量なトランクを必要としていることに着目して製造されたこの商品は、当時の著名な旅行家から「これさえあれば世界中どこへでも行ける」と大絶賛されている。1878年には、ポーリーヌが画期的なレディスハンドバッグの『ミニヨン』を発表。

 さらに1902年に、自動車の屋根に合わせ、底がカーブしたリムジントランクを製作、5つの特許を取得した。次々と発表するラグジュアリーで機能的なモワナのトランクやバッグは、王室や外交官、探検家といった、旅をすることが多い上流階級に支持されていたが、時代の趨勢には抗えず、1976年には閉鎖されてしまった……。

 こんなロングストーリーを持つモワナがよみがえり、パリジャンたちのもとに戻ってきたのである。そのCEOには、ルイ・ヴィトングループで活躍したギヨーム・ダヴァンが就任。彼は「ここにはかつてつくられたような製品と同様、タイムレスなクラフツマンシップがあります。まずは、それをひもといてみましょう」と、クールでいて自信に満ちた表情で語る。

モワナの精密にして華麗なる クラフツマンシップのすべて

最高の技術とセンスを持つアルチザンの技

「トリヨン・ジェックスレザー」と呼ばれるベビーカーフスキンを使用した、メンズ用ソフトクラッチ『ホールドオール』の製作風景。モワナのアトリエでは、優秀な技術を持つ職人が、裁断から縫製までひとつひとつ丁寧に仕上げていく、オーダーメイドに近い生産体制を採用している。
「トリヨン・ジェックスレザー」と呼ばれるベビーカーフスキンを使用した、メンズ用ソフトクラッチ『ホールドオール』の製作風景。モワナのアトリエでは、優秀な技術を持つ職人が、裁断から縫製までひとつひとつ丁寧に仕上げていく、オーダーメイドに近い生産体制を採用している。

 CEOのギヨーム・ダヴァンは、まずブティック上階にあるアーカイブルームに案内してくれた。そこには、おもに1900年から’25年代にかけてつくられた伝説のトランクが収集され、それぞれの時代の思い出を語りかけているようだった。自動車の屋根にフィットさせた、底がカーブを描いた名品のリムジントランク。ハットや衣裳を入れるトランク。大型客船の船室に置くトランク……。

 上流階級の人々が旅の荷づくりのためにオーダーした堅牢なトランクには、細かいパーツに至るまでフランスの皮革工芸の美がさえわたっていた。アーティスティック・ディレクターのラメッシュ・ナイールは、この崇高なアーカイブに刺激を受けながら、新たな創造を行うという。「大切なことは伝統とクラフツマンシップを尊重し、シンプルで繊細、タイムレスな美しさを表現することだ」と。

 次に赴いたモワナのアトリエだが、それはなんとブティックから数分の場所にある。パリの中心にアトリエがあるという、現代においては考えられない贅沢かつ特殊な環境で、モワナはクリエイションとブティックを直結させている。また、比較的若い職人が多いようにも思えたが、そのメンバーは精鋭ぞろい。人間国宝級といわれるMOF(フランス最優秀職人)を受賞した職人など、輝かしい経歴を持つ者ばかりを集めた、フランス随一のアトリエなのだ。

 そんな彼らの作業の特徴は、分業せずひとりの職人が全工程を担当すること。レザーの裁断から組み合わせ、手縫い、磨きに至るまでひとりの職人が責任を持って関わることで、芸術性と創造性に富んだ製品ができるという理念のもと、その腕を振るっている。アトリエ内は天窓から明るい外光が射し込み、壁や床、テーブルなどは白で統一した、意外なほどモダンな空間で、作業が黙々と続けられていた。扱う素材は、しなやかで絶妙な色に染色されたベビーカーフスキンや、キメ細かな風合いのサテンカーフスキンなど極上の素材ばかり。

 仕上げにも十分に時間がかけられ、縫製の緻密さ、コバの磨きといい、細部に至るまで美しい。すべては職人の手仕事によるもので、そのビスポークに近い生産体制と完成度の高さには、モワナのクリエイションの本気を感じた。

顧客のパーソナルオーダーにより、飛行機のモチーフをタグにペインティング中。実にアーティスティック!
顧客のパーソナルオーダーにより、飛行機のモチーフをタグにペインティング中。実にアーティスティック!

 このような工程を経て、でき上がってくる製品には、アイコン商品であるリムジントランクの優雅なカーブを生かしたものが多い。最近では、アメリカの人気ミュージシャン、ファレル・ウィリアムスとコラボしたトレイン・ポシェットも好評。汽車のモチーフをプリントではなく、レザーを寄木細工のように手作業で貼り合わせたポップアート感覚のつくりだ。クラフツマンシップとモダンな感性を融合したモワナの今後に、大いに期待したい

100年の時を経てよみがえった、モロー・パリ、力強き手縫いの美学

フランスに残された古きよき手縫い技術の賜物!

その極太のステッチが、忘れられない強烈なインパクトを放つモロー・パリのバッグ。老舗トランクメーカーが遺した職人技と意匠を踏襲した昔ながらの製法が、数寄者たちの心を捉える。馬具のようにひと針ずつ手で縫い上げたレザーには、力強さと味わい深さが充満。若きデザイナーの息吹が注ぎ込まれたデザインも新鮮だ。
その極太のステッチが、忘れられない強烈なインパクトを放つモロー・パリのバッグ。老舗トランクメーカーが遺した職人技と意匠を踏襲した昔ながらの製法が、数寄者たちの心を捉える。馬具のようにひと針ずつ手で縫い上げたレザーには、力強さと味わい深さが充満。若きデザイナーの息吹が注ぎ込まれたデザインも新鮮だ。

 近年、フランスのメディアでそのクラフツマンシップが話題になっているレザーブランドが、モロー・パリ。その歴史は19世紀はじめに遡り、ラグジュアリーなレザー製品と旅行用品の店「メゾン・モロー」として始まった。1819年~22年には、ナポレオン1世の御用商人で、高級家具職人だったマルタン・ギヨーム・ビエネが、この店を取り仕切っていたという。

 次いで何人かの箱づくり兼梱包職人が店を受け継ぎいだ後、1882年にサントノレ通り283番地に移転。しかし20世紀はじめには衰退、ひっそりとその歴史に幕を下ろしたといわれる。

 そんなモロー・パリが、2011年にヴェロニカ・ロヴノフの手により再始動。翌年にはフォブール・サントノレ通りの大統領官邸エリゼ宮近くにブティックを構えた。ここでは、かつての「メゾン・モロー」のエスプリに富んだ意匠や、クラフツマンシップをできる限り再現し、リュクスで質の高いラゲージやレザー製品を扱う。デザインはヴェロニカの弟、フェドール・ジョルジュ・サヴチェンコが担当。

 ジャン・ルイ・シェレルやゴヤールを手がけた辣腕として知られる彼は、丁寧ななめし加工を施したカーフスキンのトートバッグや、創業時につくられていた柳の枝で編んだトランクの格子モチーフをプリントしたレザーバッグなどを提案している。ちなみにこのプリントは特殊なセミ・ハンドプリントによってレザーの上に施されたもので、キャンバスでは得られないラグジュアリーな風合いと独自性を追求したものだ。デザイナーのフェドールは、「このプリントのように、マニュファクチュールならではのクオリティの高さと、完璧主義に徹した製品をつくっていきたい」と熱き抱負を語る。

 モロー・パリのアトリエはフランス中部のクレルモン・フェランとヴィシーのそばにあり、そこで熟練の職人が腕を振るっている。ブランドロゴを殊更に主張しないこのブランドにとって、最大のアイコンといえるのがハンドルの分厚いコバと、そこに施された迫力のステッチだ。これはなんと、レザーを3枚重ね合わせた上に、太い綿糸を使ってひと針ずつ手縫いした、圧巻のディテール! 仕上げの美しいコバ磨きも、パリの職人技術の賜物だ。モロー・パリのバッグに金具があまり使われていないのは、そんな素晴しいものづくりとレザーの風合いにこだわりぬいた証だろう。

フランスにいまだ受け継がれる職人技術と、パリという都市が誇るエレガンスの歴史、そして現代のセンスという三位一体によって生み出されるモロー・パリのバッグ。先のモワナやこのブランドの再生を契機に、パリのクラフツマンシップは、今新たなる時代を迎えているのだ。

この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2015年冬号 モワナvsモローパリより
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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クレジット :
撮影/小池紀行(パイルドライバー/静物)、小野祐次(パリ取材)取材・文/粟野真理子 構成/山下英介(本誌)