ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』を初めて読んだ時のこと。そこでのパリに関する記述は、都市生活者にのみ許された特権としての妄想であり、知的な遊戯ではないかと感じた。そしてベンヤミン自身もそうであるかのような「遊歩者(フラヌール)」とは、都市と戯れるセンスを持った、精神的な貴族性を有する者ではないか、そんな風にも考えた。その後何度か『パサージュ論』を読み返し、同書に関するさまざまな論考を知る中で、そうした初期の印象はやや誤読だったと判ったが、それでも都市を歩き、眺め、さまざま思索を巡らすことに喜びを見出すフラヌールのイメージは、脳裏にこびりついたままだった。そのイメージに自らを重ね合わせ、東京を、または異国の街を歩くことは、今も習慣になっている。

都市の魅力としての、ウィンドウディスプレイ

美術家・ミヤケマイによる「雨奇晴好」(2007年5月17日〜7月17日)。バッグから出現した竜に乗るための鞍、という着想が面白い。日本らしい、季節感を反映したウィンドウ。
美術家・ミヤケマイによる「雨奇晴好」(2007年5月17日〜7月17日)。バッグから出現した竜に乗るための鞍、という着想が面白い。日本らしい、季節感を反映したウィンドウ。

 ベンヤミンが『パサージュ論』の草稿を書いた約30年後に刊行された『都市の権利』にて、フランスの哲学者アンリ・ルフェーヴルは次のように書いている。

「都市は作品であり、たんなる物質的生産物よりはむしろ芸術作品に比すべきものである。都市の生産とか、都市のなかにおけるさまざまな社会関係の生産とかが存在するにしても、それは物質の生産であるよりは、人間存在による人間存在の生産および再生産なのである」(アンリ・ルフェーヴル『都市の権利』森本和夫訳、ちくま学芸文庫)

 ルフェーヴルの、人間の営為の結果または作品としての都市、というヴィジョンは、ベンヤミンが『パサージュ論』の中で示唆していた、資本主義における単なる消費地を超越した都市の価値を再認識させた。かくして、遊歩者はより確信をもって、都市の内部を彷徨い続けることになる。

デザイナー・吉岡徳仁による「吐息」(2004年5月20日〜7月20日、2009年11月19日〜2010年1月19日)。スカーフ本来の美しさは、身につけた際に風になびきながら人の動きとともに変化するところ、という視点から、映像の女性がもらした吐息がディスプレイとして具現化されている。
デザイナー・吉岡徳仁による「吐息」(2004年5月20日〜7月20日、2009年11月19日〜2010年1月19日)。スカーフ本来の美しさは、身につけた際に風になびきながら人の動きとともに変化するところ、という視点から、映像の女性がもらした吐息がディスプレイとして具現化されている。

 こうしたベンヤミンやルフェーヴルの論考を導いたパリを本拠地とするエルメスが、街を行き交う人々に向けたウィンドウディスプレイに注力するのは、至極自然に映る。ベンヤミンは「遊歩者にとってパリは風景として開かれてくるのだが、また彼を部屋として包み込むのだ」(ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波現代文庫)と書いたが、銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイは、同店で展開されている製品の世界観を表現するだけでなく、それを見る者の感性や心情を触発し、思索を巡らす機会を生んできた。そのウィンドウディスプレイが、現在のものでちょうど100回を重ねている。

 ベンヤミンが初めてパリを訪れたのが1926年。同じ1920年代に、エルメスの三代目社長エミール・エルメスがフォーブル・サントノレ通りのブティックのウィンドウに飾られていた手袋から着想し、ウィンドウディスプレイをスタートさせたという。手袋の販売を担当していたアニー・ボーメルはその後40年間ウィンドウディスプレイを手がけ、1978年に弟子のレイラ・マンシャリがその跡を継いだ。そして2001年、銀座メゾンエルメスのウィンドウはマンシャリが手がけたディスプレイで幕を明けた。以来これまで国内外のアーティストやデザイナーによるさまざまな「作品」がウィンドウを飾ってきた。

「POSTALCO」のデザイナーでもあるマイク・エーブルソンが手がけた「Tool Roots」(2017年5月18日〜7月25日)。2017年のエルメスの年間テーマ「オブジェに宿るもの」から、道具と身体の機能がどのように結びつくかを考察し、エルメスのオブジェと日用品を並べた立体のカラーチャートを制作。
「POSTALCO」のデザイナーでもあるマイク・エーブルソンが手がけた「Tool Roots」(2017年5月18日〜7月25日)。2017年のエルメスの年間テーマ「オブジェに宿るもの」から、道具と身体の機能がどのように結びつくかを考察し、エルメスのオブジェと日用品を並べた立体のカラーチャートを制作。

 例えばデザイナーの吉岡徳仁は、風だけでスカーフの美しさを表現すべく、写真とスカーフを組み合わせたミニマルで詩的な作品を実現した。また、POSTALCOのデザイナーでもあるマイク・エーブルソンは、道具と身体の関係性をテーマに、どこか博物学的な趣のあるディスプレイを展開した。いずれのウィンドウディスプレイも、エルメスの製品を契機としながらも、見る人の裡にイマジネーションを喚起するものとなっている。

 現在銀座メゾンエルメスで展開されている100回目のウィンドウディスプレイは、プロダクトデザイナーの藤城成貴が手がけたもの。2018年のエルメスの年間テーマ“Let’s Play”にあわせて、ウィンドウでゲームが行われている。製品の間を転がる球の行方を、思わず目で追ってしまう楽しい作品だ。

2018年1月18日より3月13日まで展開されている、プロダクトデザイナー・藤城成貴によるウィンドウディスプレイ。2018年のエルメスの年間テーマ“Let's Play”を題材に、障害物に見立てたエルメスの製品の間を球が転がるゲーム仕立てになっている。
2018年1月18日より3月13日まで展開されている、プロダクトデザイナー・藤城成貴によるウィンドウディスプレイ。2018年のエルメスの年間テーマ“Let's Play”を題材に、障害物に見立てたエルメスの製品の間を球が転がるゲーム仕立てになっている。

 またウィンドウディスプレイ100回を記念して、エルメス公式サイト内にスペシャルページがオープン。ロンドン在住のデザイン評論家アリス・ローソーンによる、ウィンドウディスプレイに関する論考が掲載されている。さらに3月にはローソーン自身が来日し、101回目のウィンドウディスプレイを手がけるオーストリア人デザインユニット、ミシェール’トラクスラーとともにトークイベントなどが予定されている。

【銀座メゾンエルメス ウィンドウ 100 回記念トークイベント概要】

1. アリス・ローソーン講演 日時:2018年3月17日 (土)  15:00〜16:00

デザイン評論家、アリス・ローソーンによる、ウィンドウディスプレイの歴史から、銀座メゾンエルメス ウィンドウの特徴までを、ビジュアルとともに考察。

2. アリス・ローソーン×服部一成 対談 日時:2018年3月18日 (日)  11:30〜12:30

2015年に銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイを手がけたグラフィックデザイナーの服部一成と、アリス・ローソーンの対談。ウィンドウデザインの独自性や方法論について。

3. ミシェール’トラクスラー講演 日時:2018年3月18日 (日) 15:00〜16:00

3月に、101回目のウィンドウディスプレイを担当するオーストリア人デザインユニット、ミシェール’トラクスラーが展開中のウィンドウについて語る。制作のプロセスや舞台裏などをビジュアルとともに。

※各回ともに会場は銀座メゾンエルメス フォーラム(東京都中央区銀座 5-4-1 8F)、トーク開始の 30 分前開場、抽選、募集人数は各回 80 名、参加無料。応募はスペシャルサイト:http://www.maisonhermes.jp/feature/670959にて、2 月 16 日より開始。 
この記事の執筆者
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、現在は『男の靴雑誌LAST』編集の傍ら、『MEN'S Precious』他で編集者として活動。『エスクァイア日本版』では音楽担当を長年務め、現在もポップスからクラシック音楽まで幅広く渉猟する日々を送っている。
PHOTO :
Satoshi Asakawa/Courtesy of Hermès Japon
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