「地球は青かった」の名言とガガーリンという人物の名前は知っていますよね。ですがこの名文句、どんな状況で発言されたものなのか詳しくご存知でしょうか。今回は4月12日の「世界宇宙飛行の日」にちなみ、ビジネス雑談にも使えそうな宇宙飛行の雑学を解説します。

【目次】

【「世界宇宙飛行の日」とは?日付や由来など「基礎知識」】

■4月12日は「世界宇宙飛行の日」

なぜこの日か…はおわかりですね! 1961年4月12日、有人の宇宙衛星船(人工衛星)ボストーク1号が世界で初めて宇宙へ打ち上げられました。その50年後の2011年、国際連合総会によって4月12日が「世界宇宙飛行の日」に制定されたというわけです。英語表記では[International Day of Human Space Flight]となるため、「国際有人宇宙飛行デー」と訳されることもあります。

■人工衛星とは?

「衛星」とは、惑星や太陽の周りを周回する天体を言います。月は地球の周りを自転している唯一の衛星。しかも公転しながら回っているので、地球からは常に同じ面が見えているというわけです。

一方の「人工衛星」は、具体的な目的をもつ人工天体のこと。惑星、主に地球の軌道上に存在します。人類初の人工衛星は1957年に旧ソビエト連邦(現ロシア)が打ち上げたスプートニク1号。人工衛星は、コミュニケーションインフラを担う「通信・放送衛星」、気象や災害の予防に役立てる「地球観測衛星」、高精度の測位情報を送る「測位衛星」、太陽系や宇宙の謎を解き明かしサイエンスの発展に貢献する「科学衛星」など、さまざまな目的を遂行するために打ち上げられています。


世界初の宇宙飛行を経験したガガーリンとは?

ボストーク1号に単身搭乗し、世界初の宇宙飛行者となったのは旧ソ連の軍人、ユーリ・ガガーリンです。1934年3月9日、スモレンスク州クルシノ村に近いグジャーツク市で労働者階級の家に生まれ、少年時代からまじめで勉強家だったというガガーリン。空軍を除隊した教師から数学を教わったことが人生に大きな影響を与えたといわれています。ちなみに生まれ故郷のグジャーツク市は、ガガーリンの宇宙飛行のすぐあとでガガーリン市に改名されています。

■実は「地球は青かった」ではない?

当時27歳のガガーリンがボストーク1号の窓から地球を眼下にした際に、水の青と植物の緑に彩られた地球のあまりの美しさに発せられた「地球は青かった」という言葉。日本では名言として知られていますが、実は原文を直訳すると「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」になるそう。「地球は青かった」は名超訳というわけです。

■ガガーリンの搭乗の決め手は身長

モスクワの金属工場で働いていたガガーリンでしたが、技術教育を受けるべく通った工業学校でエアロクラブに所属し、軽飛行機での飛行を楽しんだとか。その後パイロットを目指して入学した空軍士官学校を経て、ノルウェーとの国境に近い基地に配属されます。旧ソ連の宇宙開発が本格的に始まった際、彼は宇宙飛行士候補の20名に選抜されるほど優秀でした。厳しい訓練や審査を乗り越え、ガガーリンは最終候補の2名に残ります。そこで決め手となったのは、158cmといわれる彼の身長。世界初の有人人工衛星はとても小さかったため、最終的に小柄なガガーリンが選ばれたといわれています。


ビジネス雑談に役立つ「宇宙飛行」にまつわる雑学

■宇宙開発の先陣を切ったのは旧ソビエト連邦

ガガーリンが乗った有人人工衛星より以前、1957年10月4日に世界初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられていました。これは直径58cm、重量83kgというアルミ合金の小さな球体。4本のアンテナがついていて、高度約950kmの軌道上で地球の周囲に存在する電離層の観測や電波の実験などを行いました。そのひと月後には、気密構造区間で犬を乗せたスプートニク2号が宇宙空間へ。「ライカ」と呼ばれたこの犬は、人間より先に大気圏外に飛び出した、世界初の生物となりました。

■負けていられないアメリカは…

先陣を切ったのは旧ソ連ですが、アメリカも負けてはいられません。旧ソ連のスプートニク1号から4か月後の1958年1月31日にアメリカは人工衛星エクスプローラー1号を打ち上げ、ソ連とアメリカの本格的な宇宙開発競争が始まりました。

■「日本人初」の宇宙飛行士は秋山豊寛さん

1990年12月2日にソビエト連邦のソユーズTM11号で宇宙飛行し、宇宙船ミールに6日間滞在した秋山豊寛(とよひろ)さんが日本人で初めて宇宙へ行った飛行士です。当時の秋山さんはTBSに所属するジャーナリスト。打ち上げと帰還時には特別番組が放送され、打ち上げ時の視聴率は36%を記録!

これは宇宙空間に到達した最初の生中継で、地上のアナウンサーからの呼びかけに対して秋山さんが発した「これ、本番ですか?」という第一声も話題になりました。世界初の「乗組員兼ジャーナリスト」となった秋山さんは、宇宙での日常生活をレポートしたり、自らを被験者とした宇宙実験の模様を報道しました。

■スペースシャトルの「日本人初」乗組員は毛利衛さん

アメリカのNASAのスペースシャトルに、日本人として初めて搭乗したのは毛利衛(まもる)さん。1992年9月12日から20日の8日間にわたってスペースシャトル・エンデバー号で活動しました。

■日本人初の女性宇宙飛行士は向井千秋さん

日本人女性の宇宙飛行は、医学博士の向井千秋さんが先駆者です。1994年にスペースシャトル・コロンビア号に、1998年にはスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗しました。

■国際宇宙ステーションに滞在したのは若田光一さん

また、日本人として初めて国際宇宙ステーション(ISS)に滞在したのは若田光一さん。2009年にISSに長期滞在し、2013年11月からの半年間は日本人初のISS船長を務めています。

■「日本人宇宙飛行記念日」もあった!

日本人として初めて秋山豊寛さんが宇宙へ行った1990年12月2日を記念して、12月2日を「日本人宇宙飛行記念日」としています。

■宇宙飛行士は公務員?

秋山豊寛さん、毛利衛さん、向井千秋さん、若田光一さん、さらに野口聡一さんや山崎直子さんなど、日本人の宇宙飛行士はみなJAXA(ジャクサ/宇宙航空研究開発機構)の職員です。彼らは公務員ではありませんが、公務に就く職員とみなされる「みなし公務員」として活躍しました。

■中学卒業でも宇宙飛行士になれる!?

JAXAによる国際宇宙ステーション搭乗宇宙飛行士候補者募集では、以前は応募条件のひとつとして「自然科学系の大学卒業以上」を条件として定めていました。宇宙飛行士としての活動には理学、工学、医学、薬学、衛生学、栄養学、農学など、広く理科系の知識が必要だからです。通信制大学の修了は大学卒業の資格と見なされ、大学は国内・海外の区別もありません。

ところが、2021(令和3)年度に実施した宇宙飛行士候補者募集では応募資格の条件を緩和。「自然科学系大学卒業以上」の資格だけでなく「大学卒業以上」も不問になったので、最終学歴が中学や高校でも応募可能。宇宙飛行士に転職することも夢ではないのです。とはいえ、高度な専門的な知識と3年以上の実務経験、身長や視力、色覚など医学的特性をクリアする必要があります。 

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4月12日は「世界宇宙飛行の日」でした。この日はほかにも「育児の日」や「ブタメンの日」、「パンの日」などの記念日になっていますよ。

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参考資料:『デジタル大辞泉』(小学館)/『すぐに役立つ366日記念日事典』(創元社)/一般社団法人日本記念日協会(https://www.kinenbi.gr.jp) :