【目次】

【「荷風忌」とは?意味・由来を簡潔に解説】

■「意味」

「荷風忌」は、明治から昭和にかけて、小説家として活躍した永井荷風の功績を称え、その作品や生涯を回顧する日です。荷風が晩年を過ごした千葉県市川市をはじめ、東京都荒川区の浄閑寺など、ゆかりの地では今もなお、多くの文学ファンや研究者によってその遺徳が偲ばれています。

■「由来」

永井荷風は、1959(昭和34)年の4月30日に、79歳で亡くなりました。「荷風忌」はこの日、つまり荷風の命日に由来します。


【永井荷風とは?生涯と代表作をわかりやすく紹介】

永井荷風(本名:壮吉)は、エリート官僚の長男として裕福な家に生まれながら、終生「放蕩者」や「孤高の隠者」であることを自認した稀有な作家です。

■外遊から文壇デビューまで

1903(明治36)年、荷風は24歳のとき、父の命によって実業を学ぶため、アメリカ、その後フランスへ渡りました。しかし、彼の関心はビジネスよりも現地の歌劇場や文学にあったようで、オペラや演奏会に足げく通い、帰国後はヨーロッパのクラシック音楽の現状や知識を日本に紹介しました。1908(昭和41)年7月に発表した『あめりか物語』や『ふらんす物語』は、西洋の空気を鮮やかに伝える作品で、一躍時代の寵児となりました。特に『ふらんす物語』は、当時の風俗を乱すとして発禁処分を受けましたが、社会や権威に対して距離を置くその姿勢は、以後の作品にも静かに通底していきます。

■慶應義塾大学での教授時代〜

1910(明治43)年、森鴎外氏の推薦により慶應義塾大学で教壇に立ち、『モタ文学』の創刊に携わるなど、後進の育成に励みました。しかし、大逆事件などの不穏な世情に強い失望を感じ、大学教授職を辞したあとは創作に専念。雑誌『文明』(1916年4月~1918年9月)を友人の井上唖々と共に立ち上げ、江戸戯作者や文人の世界に耽溺するようになっていきます。このころから、麻布の偏奇館(へんきかん)と名付けた新居にこもり、江戸の残り香を求めて下町を徘徊する独自のライフスタイルを確立しました。

■戦災と晩年の市川での暮らし

太平洋戦争の空襲で偏奇館を焼失したあとは、岡山などでの疎開を経て、1948(昭和23)年、69歳のときには千葉県市川市に移り住みました。戦後は文化勲章を受章するなど評価が高まりましたが、荷風自身は派手な社交を避け、毎日決まった食堂で食事をとり、ひとり静かに執筆と散歩を繰り返したといわれています。

1959(昭和34)年4月30日に、自宅でひっそりとその生涯を閉じましたが、枕元には生涯書き続けた日記『断腸亭日乗』が遺されていました。彼の通帳の総額は2334万円を超えていたといわれており、これは現在の貨幣価値で、約3億円に相当するといわれているそうです。

■代表作

『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』

小説「失踪」の構想を練りつつ、私娼街へ調査を兼ねて通っていた主人公は、娼婦、お雪に江戸の名残を感じとり、なじみになります。このふたりの交情と別離を随筆風に展開し、滅びゆく東京の風俗への愛着と四季の移り変わりを描いた、荷風文学の頂点とされる作品です。日中事変勃発直前の重苦しい世相への批判や辛辣な風刺も卓抜。同時に、詩人としての資質も表現されています。

『ふらんす物語』

若き日の永井荷風がアメリカ滞在を経て、1907(昭和40)年から渡った憧れの地・フランスでの経験をもとにつづった、日本近代文学を代表する紀行・短編集です。 荷風が見たフランスの美しさや、現地での恋、芸術への夢が耽美的な筆致で描かれています。同時に、当時の近代化を急ぐ日本への強い絶望感も吐露されています。

帰国直後の荷風を時代の寵児とした作品ですが、その内容は当時の社会通念に触れ、長らく日の目を見ることができませんでした。初版のかたちで一般に読めるようになったのは、初版発行から60年近く経ってからのことでした。

『断腸亭日乗』

1917(大正6)年から1959(昭和34)年の荷風逝去の前日までの41年間、書き継がれた荷風の日記です。明治・大正・昭和三代にわたる文豪の畢生(ひっせい)の代表作にして近代文学の名著とされ、詩趣溢れる、鋭利な批評を込めた文章でつづられています。荷風の精神世界と、激動の日本近代史を知るうえで欠かせない一級資料です。


【荷風文学の魅力〜近代都市と美意識を描いた世界観】

永井荷風は、「特異な存在」、あるいは「あちこちに家を持っている外猫」のような存在と評される作家です。都会の真ん中にいながらにして、常に隠遁(いんとん)者のような感覚をもち続け、都市の変容を冷徹に見つめていました。彼の文学は、失われゆく江戸の情緒への執着と、徹底した「個」の視点に支えられていました。

■江戸情緒への執着

西洋化が進むなか、荷風は江戸の風情や私娼街など、失われゆく「影」の部分に美を見出していました。あえて「戯作者」と称し、表通りの華やかさではなく、路地裏や寺社、花柳界といった場所に残る「古きよき日本」の美しさを筆に収めました。その作風は耽美派とされています。

■「都市生活者」として散歩を愛した

東京の地理や路地裏に精通し、常に自らの足で歩きながら街の様子を日記『断腸亭日乗』に記録しました。風俗や社会のありのままの姿を切り取る一級の「エッセイスト・記録者」であり、土地の空気感や湿り気を細やかに描写し、東京という都市をひとつの文学的空間としても描いています。晩年を過ごした千葉県市川市周辺(京成八幡~中山)や、東京の浅草・向島・玉の井(現在の東向島)などの墨東エリアを、「荷風の散歩コース」をたどって歩くファンは多いそうです。

■「孤高」の美学

家族や文壇のしがらみを避け、「独り」であることを貫いた生き方そのものが、多くの読者を惹きつけています。日記『断腸亭日乗』に記された、日々の食事や散歩、世相への冷ややかな批評からは、周囲に左右されない孤高の精神が見てとれます。

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激動の明治、大正、昭和を通じ、時代の流れに背を向け続けた作家・永井荷風。自らの審美眼だけを信じて、東京の街を歩いた彼が文章で描いた風景や、権威に屈しない反骨精神には、「自分らしくありたい」という静かな主張がみなぎっています。新緑が目に眩しいこの季節、荷風の愛した下町の路地裏を歩いてみてはいかがでしょう。実はいつも日常のなかにある、「変わらない美しさ」が見つかるかもしれません。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:/『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本人名大辞典』(講談社) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /『世界大百科事典』(平凡社) /市川市「永井荷風 市川の文化人」(https://www.city.ichikawa.lg.jp/page/6898.html) /「向島を愛した文人たちの足跡を訪ねる文学散歩コース」(https://www.city.sumida.lg.jp/kenko_fukushi/kenko/kenko_jumyou_up/walking/walkingmap.files/gassatu5.pdf) :