【目次】
【「食堂車の日」とは?「意味」「由来」「いつ」「なぜ」を簡潔に解説】
■5月25日は「食堂車の日」
1899(明治32)年5月25日のこの日、日本で初めての食堂車が連結された列車が運行。この食堂車は大変画期的で革新的であり、鉄道ファンだけでなく全国から大きな注目を浴びました。この初運行を記念したのが「食堂車の日」です。
■日本初の食堂車
列車内で温かい食事ができるこの日本初の食堂車は、山陽鉄道(当時)が京都と三田尻(現在の防府)の間を走る最急行列車に連結させたもの。今でこそ駅弁はひとつのグルメジャンルであり、その種類は膨大ですが、明治期にはまだ駅の売店や駅弁自体が充実していませんでした。500㎞以上離れている京都-防府間は、現在新幹線利用で最短2時間半程度ですが、その当時は半日以上かかったそう。お腹を空かす乗客のため「車内で温かい食事を提供する」という山陽鉄道の発想から、食堂車が誕生しました。
【「食堂車」の歴史とは?日本と世界における発展】
■食堂車とは?
客席とは別に、調理室と食堂の車両がある客車、あるいはその車両単体を「食堂車」と言います。食堂車の原型は、19世紀後半、アメリカの発明家であるプルマンによって誕生したといわれています。
■必要に迫られて誕生した食堂車
国土が広大なアメリカは鉄道事業の発展も日本よりずっと早かったわけですが、都市間の移動は数日かかることも。途中の停車駅の食堂で早食いするスタイルが一般的で、列車のほうも20分くらい停車していたようです。大きな荷物は列車に置きっぱなしだし、食事をするために食堂に駆け込まなくてはならないし…と、なんとも危険極まりない話です。
そこでプルマンは、移動中に食事ができる世界初のキッチン付き宿泊車両を開発。翌1868年には、独立した食堂車を連結した列車「デルモニコ号」をニューヨーク・シカゴ間で走らせます。これが世界初の本格的な食堂車となりました。「デルモニコ」という名前は、当時ニューヨークで人気だった高級ステーキハウスにちなんでつけられたもの。車内では一流シェフによる最高級の料理が振る舞われたのだとか。
■社交場だったヨーロッパの食堂車
1872年にベルギーの実業家、ジョルジュ・ナゲルマケールスが設立したのが国際寝台車会社。独自の路線はもたず、オリエント急行をはじめとする豪華な国際列車を運行した会社です。
1867年、ナゲルマケールスはアメリカへ失恋旅行に出かけます。ニューヨークからフィラデルフィア、ワシントンD.C.にシカゴ、デンバー、サンフランシスコなどをめぐるこの旅では、寝台車や食堂車を利用。ヨーロッパではまだ普及していなかった快適な車両での旅をきっかけに、国際寝台車会社をつくったというわけです。
食堂車はアメリカ生まれですが、これを文化へと高めたのはナゲルマケールス。内装にはマホガニーや金箔を用い、インテリアにルネ・ラリックのガラス細工などの美しい調度品がふんだんに使われました。その雰囲気に見合うよう、乗客はタキシードやドレスに着替えて食堂車へ。フルコースのフランス料理や高級ワインなどを堪能するだけでなく、食堂車は社交場としての役割をもつようになりました。
■日本の食堂車の発展
空腹を満たすためのものから、旅の楽しみや憧れの象徴になり、現代では形を変えてエンターテインメント的な位置づけになった日本の食堂車。時代とともに移ろった食堂車の変貌をさくっと紹介しましょう。
・明治から昭和中期「黎明期から黄金期へ」
鉄道の延線や、鉄道旅の需要増加に伴い、食堂車は鉄道旅の花形へと成長。当初は高級洋食を提供するのみでしたが、1906(明治39)年にうどんや丼ものなどを提供する「和食堂車」が登場。高級だった食堂車は、気軽に利用できるものとして広がりました。一方で列車旅の黄金期ともいえる戦前には、帝国ホテルなどの一流ホテルが食堂車を運営し、“動く高級レストラン”として機能するように。
・昭和後期「新幹線と列車ビジネス」
最初の東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、東海道新幹線の開業とともに新幹線にも食堂車が登場しました。当初はブッフェ形式で、本格的なレストラン形式の食堂車が登場したのは10年後のこと。富士山などの車窓の景色を楽しみながらハンバーグやカレーライス、スパゲティを食べる体験は、子どもからビジネスマンまで多くの人の憧れとなり、食堂車は「時速200kmのレストラン」とも呼ばれ、列車ビジネスの隆盛にひと役買いました。
・平成から令和へ「衰退と変化」
人気の食堂車も、昭和の終わりから平成にかけて急激に姿を消していきます。その要因はいくつかありますが、まずは新幹線や特急列車のスピードが上がって所要時間が短縮され、車内で食事する必要性が薄れたこと。駅弁だけでなく、デパ地下・駅ナカ・コンビニエンスストアなど、持ち込み食が充実したこと。さらに、食堂車にかかるコストや人材不足などが鉄道会社の大きな負担となり、食堂車は廃止一路をたどります。
2000(平成12)年までに、東海道・山陽新幹線から食堂車が撤退。寝台特急カシオペアやトワイライトエクスプレス、北斗星といった豪華列車で、時間をかけてディナーを楽しむ新しいタイプの食堂車が人気となったものの、これらの定期運行の寝台特急は車両の老朽化などですべて廃止に。定期運行の列車から食堂車は姿を消しました。
【「食堂車」の魅力とは?旅を豊かにした車内文化と「雑学」】
■「列車で食事」はよりプレミアムな体験に
昭和時代に活躍した食堂車は、定期列車からは姿を消しましたが、食事をはじめ、列車内で過ごすことが目的となる新しいタイプの列車が登場。
2013(平成25)年10月に運行が開始されたJR九州の「ななつ星 in 九州」、2017(平成29)年5月運行開始のJR東日本「TRAIN SUITE 四季島」、同年6月にはJR西日本の「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」と、これらのクルーズトレイン(豪華な寝台列車をこう呼びます)は、建築やインテリアに日本の伝統的な素材や技術、意匠を用い、食器やカトラリーも有田焼や輪島塗などの人間国宝や名工による特注品です。もちろん食事内容のこだわりも、どの列車も先を譲りません。地産地消はもちろん、沿線の一流レストランや料亭、予約困難な店などとのコラボや監修は当たり前。火が使えないことや、多少の揺れは否めない車内での食事といった、いくつもの制約があるとは思えない料理が並びます。
-
また、JR四国の「伊予灘ものがたり」や、薩摩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」、しなの鉄道の「ろくもん」など、2~3両という短い列車で中距離を走る観光列車も全国に拡大。スタイルは変わっても、列車内で食事をするという特別感は健在です。
-
■新幹線初の2階建て車両
-
新幹線などでお弁当を食べていると、停車駅のホームを行き交う人の視線が気になること、ありませんか? それが解消されたのが、1985(昭和60)年にデビューした東海道・山陽新幹線の100系車両。高速鉄道としては先駆的な2階建て車両です。その「100系X編成168形」は、16車両のうち2車両が2階建て。そのうち1車両が食堂車として使用されました。ちなみに、もう1車両はグリーン車です。
-
2階が食堂、1階が厨房と設計されたこの食堂車は、テーブルに真っ白なクロスがかかり、料理もサービスも、まるで動く一流レストランだと評されました。高い目線から浜名湖や富士山の絶景を眺めながら、料理をゆっくり味わうことができたのです。
-
■電子レンジの進化は食堂車とともに
-
火を使用することができない列車内での調理に活躍したのが電子レンジ。1964年の東海道新幹線開通時から、食堂車の厨房では業務用電子レンジが搭載され、あたたかい料理を提供してきました。食堂車での調理技術の発展は、業務用電子レンジの活用拡大にもつながったといわれています。
***
長時間の乗車のお楽しみはやっぱり食事。今ではさまざまな選択肢がありますが、「そろそろ食事時かな」と駅弁を開けるのは、たとえソロ出張でもわくわくしますよね。昭和スタイルの食堂車の復活も希望します!
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- 参考資料:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『デジタル大辞泉プラス』(小学館)/『世界大百科事典』(平凡社)/京都鉄道博物館( https://www.kyotorailwaymuseum.jp/ )/ JR東海リテイリング・プラス( https://www.jr-plus.co.jp/corporate/ ) :

















