喫茶店が世に広まったのは大正から昭和にかけて。新形態の飲食店は間もなく、市井の人々にとって欠かせない存在となる。当時、会社には応接室などが十分になく、喫茶店は打ち合わせや会議の場として使われ、男にとって第二の仕事場にもなっていた。

男たちの文化とビジネスが交差した「喫茶去 快生軒」

灰皿、人工皮革ソファが演出するダンディズム

「喫茶去」とは禅宗の僧侶が「一服どうぞ」と茶をふるまうことを意味し、1919年の創業以来、この店ではその言葉が持つもてなしの心が受け継がれてきた。長い歴史をつむいできた店には、明治から昭和にかけて活躍した政治家・後藤新平らが訪れていた。折り目正しく、ほどよい距離感を保ったスタッフの接客も快く、居心地のよさは格別だ
「喫茶去」とは禅宗の僧侶が「一服どうぞ」と茶をふるまうことを意味し、1919年の創業以来、この店ではその言葉が持つもてなしの心が受け継がれてきた。長い歴史をつむいできた店には、明治から昭和にかけて活躍した政治家・後藤新平らが訪れていた。折り目正しく、ほどよい距離感を保ったスタッフの接客も快く、居心地のよさは格別だ

「喫茶去 快生軒(きっさこ かいせいけん)」に足を踏み入れると、そんな時代にいっきに入り込むことができる。赤い人工皮革ばりのソファ、テーブルの灰皿、新聞用のラック。そこにただよう珈琲の香りは今流行りのチェーン店のそれとはまったく違う。珈琲の香りをかぎつつ、何人の男たちがここでビジネスについて考えたのだろうか……。

この小体(こてい)な店を贔屓にしている作家の常盤新平さんは、著書『東京の小さな喫茶店・再訪』(リブロアルテ)で店を評して、「植草さんのような小父さんがコーヒーを飲んでいてもおかしくはない、モダンな雰囲気がある」と書いている。

植草さんとは植草甚一。いわずと知れた昭和を代表する映画やジャズの評論家で、神田神保町の「茶房きゃんどる」をはじめ、本と音楽と珈琲をこよなく愛した文化人だ。

この店では今も、だれもが一定の距離を保ちながら自分の時間を過ごしている。そこに、男にとって大切な場=喫茶店の歴史が息づいている。

喫茶去 快生軒
住所:東京都中央区日本橋人形町1-17-9
TEL:03-3661-3855
営業時間:7時~18時30分(土曜~15時30分)
日・祝日休
朝早くから開いているところも、昔ながらの喫茶店らしい。
※2011年夏号取材時の情報です。
この記事の執筆者
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MEN'S Precious編集部 
BY :
MEN'S Precious2011夏号より
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