東京ステーションホテルのBAR OAKにはここで50年を超える経験を持つマスターバーテンダー、杉本 壽(すぎもとひさし)氏がいる。
バーテンダーはいくつかのバーで修行を積んだと語る人が多いが、杉本氏の経歴はある意味異色かもしれない。18歳の時、1958年に東京ステーションホテルに入社し、翌年東京ステーションホテル「バー」に配属。途中2006年に行われた東京ステーションホテルの大規模改装を経て、再び2012年にマスターバーテンダーとして復帰した。現在77歳。まさにその半生を東京ステーションホテル、そして戦後の丸の内の歴史と共に歩んできた。
ニューヨークの黄金期を知るBAR OAKの名物バーテンダー
1914年に東京駅が開業し、その翌年1915年に東京ステーションホテルは開業した。建築家辰野金吾による丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されている。2012年には大規模な保存・復原工事が終了し、駅・ホテル・ギャラリーとして蘇った。この奥にひっそりと佇むBAR OAKは、駅舎創建当時の赤煉瓦をインテリアとして大胆に活かしている。明治期に近代日本のスタイルを構築した辰野建築の中でカクテルを楽しめる趣向はBAR OAKでしか味わえないものだ。
御殿場線の山北の生まれと語る杉本氏は19歳でバーテンダーとなった。そもそも、なぜ、杉本氏はバーテンダーを志したのか。
「就職難だったからね。おじさんも国鉄、いとこも国鉄、国鉄マンが多い。富士屋ホテルに働いていた人の紹介でここに働き始めたんですが、家族からはバーマンなんてヤクザな職業に就いた、と嘆かれたものです」
東京ステーションホテルはJR、つまり旧国鉄の経営になるホテルで、それも独特の顧客層と歴史を作り出している。戦後は佐藤栄作など満州鉄道関連の顧客、それから三菱グループ関連の顧客が多かったと語る。
杉本氏の作るカクテルは小柄な体からは想像できないエネルギッシュな動きと同様に、アルコールをしっかりと打ち出した、骨太の男らしいカクテルである。これぞジンのクラシックといったタンカレーを使った、飾り気のないクラシックなドライマティーニはニューヨーク仕込み。
「秘訣はなにもない、だけどドライだね」
1964年ニューヨーク万博の「ワールドフェア」に参加するため、24歳の杉本氏は約1年をニューヨークで過ごした。羽田空港がオープンしたのは1951年。それからわずか13年後のことだ。当時は今のように誰もが気軽に海外に行ける時代ではなかった。
「ワールドフェアのパビリオンではすき焼きを出していて、日劇ダンシングチームのショーを観ながら食事をさせてたんです。そこのバーにいたんですよ。ほぼ1年いる間にニューヨークのバーも回りましたよ。子供だと思われて最初はアルコールを出してもらえなかったけど、チップをはずんだりしてね、次第に仲良くなった」
万博にはコダックのパビリオンもあって、彼らもよく来たらしい。
「ドライじゃなかったらマティーニじゃない」
ニューヨーカーの彼らの言葉は若い杉本氏に響いた。これが本場ニューヨークのマティーニなのだと思ったのだ。
「もっとドライにしろ、もっとだ、と何回も作り直しましたよ。学ぶってわけじゃないけどね、ほとんどお客さまからですよ、学んだのは。お客さまは色々なところへ行ってるからよく教えてくれる。あとはアメリカのバーテンダー。当時は年配の人ばかりでね、若いチンピラはいない。今はどうなってるのか知らないけど」とニューヨークの黄金の60年代の思い出を語る。
それからバーの戸棚に大事にしまわれていた一葉の写真を見せてくれた。
1966年に撮影されたニューヨークの風景の中心にそびえ立つビルには今は亡き「PANAM」(パンアメリカン航空)の文字が見える。当時そこに勤めていた友人からもらったものだという。年に一回、彼はこのバーを訪れる。
ベトナム戦争でアメリカンドリームが打ち砕かれる前の、最も美しい時代のアメリカ、そしてニューヨークがそこに写し出されている。24歳の杉本青年が体験した輝けるニューヨークだ。そしてそれは今でも杉本氏の心に生き続けている。
顧客の好みはみんな覚えている。
「だいたい3回お会いすればわかりますよ。バーテンダーには記憶力も必要でしょう。一回きいたら忘れないことが大事だけど、ドライじゃないですよね、と確認することもあります」と、財布にいれていた小さなメモを見せてくれた。そこにはびっしりと几帳面な手書きの文字で客の好みが書かれている。常連の中には77歳の杉本氏より年配の人もいる。
「お客さまにはね、まだ働いてるのかとよく言われます」と微笑む。
いつ行っても、そこに杉本氏の姿があるのがBAR OAKなのだろう。
「好きな仕事というよりね、遊ばせてもらって楽しんでるだけですよ。人が好きだからね、この人の顔もみたくないとか、口も聞きたくないとか、そんなこと考えたこともないね。辛いからやめようと思ったことはないかな。やんなっちゃった時はあるけどね。そんな時は海外に遊びに行ったり。前から、海外に行くのが好きだね、結構行ってますよ、シンガポールとかハワイとか。そこで散財したりね」
家ではサンフランシスコで覚えたパイプを嗜み、休暇は南の島に行くという。東京人の洒脱さも備えている杉本氏の作るカクテルはやはり東京の味がするように思う。
「東京駅」は東京駅75周年を記念した杉本氏考案のシグネチャーカクテル。ジンはタンカレー(Tanquarey)、フランスのハーブリキュールのスーズ(Suze)、グレナディンシロップ、フレッシュライムを合わせたもので、東京駅丸の内駅舎の赤煉瓦をイメージしている。鮮やかなオレンジから甘いカクテルを想像するかもしれないが、タンカレーのジュニパーの香りとハーブのわずかな苦味とグレナディンの密やかな甘み、後からやってくるジンのストレートな味わいはむしろ男性的だ。グラスに添えられたライムを絞ると、柑橘のフレッシュな味わいが甘さを抑え、よりシャープな味わいを楽しめる。
杉本氏考案のシグネチャーカクテル「東京駅」
東京の個性を考えながら、杉本氏のカクテルを味わっていると、ふいに小津安二郎氏の名作『東京物語』を思い出した。声高に話すことなく、穏やかな口調で話し、互いを思い遣る人々。しかし、その思いを声高に主張することはない。
銀座の名バーといえば、敷居が高い場所も数々あると聞く。しかし、ここBAR OAKは訪れる者、誰に対しても開かれている。その時間と場所は杉本氏の作る、ただ一杯のカクテルのためにある。
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- TEXT :
- 長谷川 喜美 ジャーナリスト
公式サイト:Gentlemen's Style
- PHOTO :
- 西山輝彦