本当に洒落た店は裏通りにある。それができるのは南青山
南青山の魅力は、銀座のような盛り場ではないところです。パリなら良い店はシャンゼリゼではなく、裏通りにあります。高級住宅街の中に、ぽつりぽつり良いレストランやバーがあるのが一番お洒落なのですよ。ひっそりとあるのが重要で、今も昔も南青山はそれができる街です。
ただ南青山には花柳界がないでしょう。お座敷の後に芸姑さんが来てくれる場所だったら、とは思います。玄人さんは厳しいから、店の洗練度が上がっていくのです。
携帯電話の出現が南青山の「ごきげんよう」文化を消した
24歳の頃、『青山アンデルセン』(※1)の裏に『いけばな小原流』(※2)の小原流研究名誉院長・工藤和彦さんの教室があり、入門しました。皇室の方が生徒さんにいらっしゃって、ご挨拶も「ごきげんよう」、私が道具を落としたら、助手の方がさっと来て「お取り致します」と仰って、びっくりしました。
今から20年と少しくらい前でしょうか。角から角まで1軒のお屋敷だったのが、代替わりで維持ができなくなって土地を分割したり、マンションになったりして、お金持ちがいなくなりました。マンションならオフィスや普通の人も入居するので、『小原流』の教室にもOLが通うようになり、「ごきげんよう」が「こんにちは」「さようなら」になってしまったのです。このあたりから「ごきげんよう」の文化がなくなりました。
ご当主が亡くなるとがらっと変わるのは、お店も同じです。有名なお寿司屋さんも和菓子屋さんも、代替わりをしたら質が維持できなくて消えました。骨董通りの骨董屋さんもどんどんなくなっていったので、高級な茶道具を求める顧客も来なくなりました。
1996〜2000年の移り変わりは凄まじかったですね。携帯電話の出現で、それまではゆっくりだった変化が、一瞬で世界中がひっくり返るようにスピードになりました。携帯電話は流通も変えてしまったでしょう。だから小さいけれど良い呉服屋さんも、宝石屋さんもなくなってしまいました。そこから南青山の大衆化が加速したように思います。今や南青山にもコンビニとドラッグストアができてしまいました。そこから街の格が崩れていくのです。
南青山に相応しい洒落たバーテンダーが増えてほしい
東京には様々なバーがあり、それぞれの地域に合ったバーとバーテンダーがいます。南青山の特徴は、高級ファッションブランドの店が数多く並び、裏通りに気の利いた店がある洒落た街だということ。それが南青山の独自性です。
昔、南青山にバーは『バー・ラジオ』しかなく、孤軍奮闘していました。結局、援軍はできなかったけれど、南青山にもバーの名店ができてほしいですね。そういうお店の周囲には良い店が集まりますから、お客様は南青山のお店をはしごします。そうなれば地域全体が潤います。今も一番格が高いのは銀座ですが、銀座に並びたいじゃないですか。そのためにも、南青山らしい洒落たバーテンダーが増えてほしいですね。
次回からは『バー・ラジオ』を含む、今の南青山のバーを牽引する店を紹介していく。
※1 19世紀末、小原雲心(おはらうんしん)が『盛花(もりばな)』という新形式のいけばなを創始して、近代いけばなの道を開く。水盤と剣山を使う、今ではメジャーないけばなも小原流が始めたもの。
- TEXT :
- 津島千佳 ライター・エディター
- PHOTO :
- 小倉雄一郎
- COOPERATION :
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