英国游学時代の白洲次郎が勉学以上に夢中だったのは、クルマだった。1925年の冬にはベントレー「3リットル」に乗って欧州大陸を旅している。それから100年近くが経ったが、ベントレーは経営体制こそ変わったものの、今も英国で高性能なGT、サルーン、SUVをつくっている。モデルごとに差はあれど、1台を仕上げるためにじっくりと時間をかけ、顧客の要求が豊富なオプションの組み合わせにも収まらないときは、特別注文部門のベントレー・マリナーが超絶的な職人の技を駆使して、世界で1台のベントレーに仕立てる。

 理想のクルマを手に入れる行為を服の仕立てに例えるなら、ベントレーの現行ラインアップからどれを選んでも、オーナーは風格をまとうことができるだろう。もし、あなたが伝統的な運転手付きのラグジュアリー・サルーンをイメージしているなら、選ぶべきはフラッグシップの「ミュルザンヌ」だ。

由緒正しきV8ユニットを積む

試乗車両のボディカラーは「シルバー・トープ」。グレーとブラウンをミックスした、薄めの色調。ともすると印象が薄くなりがちだが、存在感のある「ミュルザンヌ スピード」にはベストバランス!
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手間をかけて輪郭を出したと思しきプレスラインが美しい。リアフェンダーの膨らみが、このクルマの見どころ。

「ミュルザンヌ」は現行ラインアップ中、最も古いモデルで(2009年〜)、特に6.75リッターV8 OHVエンジン(英国式では6 3/4リッター)は、旧体制時代から引き継がれてきた由緒正しきユニットで、標準の「ミュルザンヌ」で512馬力、今回試乗した高性能モデルの「ミュルザンヌ スピード」では537馬力のパワーを絞り出し、最大トルクにいたっては1020Nm(両モデルとも・ただし発生回転域は異なる)という、とてつもない数字を誇る。

 全長5.5mもの巨体ゆえ、車重は2.8トンもあるのだが、「ミュルザンヌ スピード」はアクセルペダルをじんわりと踏むと、穏やかなフィーリングを見せながら力強く加速していく。シートはもちろん、上下左右の内張りに至るまで、レザーを贅沢にあしらい、さらに美しく仕上げられたバーウォールナットパネルを随所にはめ込んだ室内は、外音をことごとく遮断した静粛性とフラットな乗り心地のエアサスの相乗効果で、まるでクルーザーのキャビンにいるような気分。

まるでサヴィルロウの構築的なスーツのよう

深みのあるバーウォールナットをステアリングやメーター周りに装着。アイボリーのレザーとの相性も抜群で、天然素材の温もりとクロームで縁取った細部の丹念な仕上げは、目の前に広がる空間を極上の「運転席=走る執務室」へと演出する。
レザーの風合いを残しつつ、原皮の傷(血管の跡など)がいっさいない、贅沢な素材を使用。ダイヤモンドキルトは伝統的な仕上げだ。
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 スタリイングも圧巻だ。スポーティに見せるためにフロントグリルを寝かせたデザインが多いなか、「ミュルザンヌ スピード」はしっかりと立てている。しかも大きなグリル自体、格子は職人が手仕事で製作した工芸品のような美しさで、組み合わされるLEDヘッドライトはクラシカルな丸目。だから周囲を威嚇するような雰囲気は微塵もない代わりに、見えない空気の層で包まれたような威厳が漂う。

 後輪を覆うように豊かな膨らみを見せるフェンダーのラインから、トランクリッド部分が盛り上がった後ろ姿も重厚かつエレガント。再び服に例えていうと、その姿は先鋭的なモード系ブランドとは対極にある、サヴィルロウのテーラーが伝統としてきた、構築的なスーツに近い。ただし、決して「古臭く」はない。

 絶妙なさじ加減で現代のクラシックを体現するこのクルマのステアリングを握るときの装いは、やはり英国(志向の)スタイルが合う。カジュアル過ぎるのは論外だし、季節を問わず、素材感のある服を組み合わせたほうがいいだろう。そうでもしないとクルマの存在感に負けてしまうのだ。格調高きクルマには、乗る側の作法も重要、といっても堅苦しく考える必要はない。むしろ多目的車が当たり前の現代に、スタイルのある暮らしを貫きたいと願うなら、これほどうってつけのクルマはない。

〈ベントレー・ミュルザンヌ スピード〉
全長×全幅×全高:5,575×1,925×1,530㎜
車両重量:2,770kg
排気量:6,752cc
エンジン:V型8気筒OHV 16バルブ・ツインターボ
最高出力:537PS(395kW)/4,000rpm
最大トルク:1,100Nm/1,750rpm
駆動方式:2WD
トランスミッション:8AT
価格:¥38,550,000(税込み)

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この記事の執筆者
男性情報誌の編集を経て、フリーランスに。心を揺さぶる名車の本質に迫るべく、日夜さまざまなクルマを見て、触っている。映画に登場した車種 にも詳しい。自動車文化を育てた、カーガイたちに憧れ、自らも洒脱に乗りこなせる男になりたいと願う。