Aimo(アイモ)とNadia(ナディア)のMoroni(モローニ)夫妻はともにトスカーナのルッカ近郊の農村の生まれ。アイモは1934年、ナディアは1940年と、戦時中の厳しい時代に生まれたふたりは、故郷を捨てて都会を目指し、後にミラノで出会う。アイモが列車でミラノについたのは1946年4月20日。当時12才のアイモはすぐに路上で働き出し、冬は焼き栗、夏はジェラートを売る暮らしをしていたという。
伝説のアイモとナディアのビストロがミラノに誕生
一方、6才年下のナディアは1952年というからこれまた12才でミラノに出て来て叔母の食堂を手伝い、料理を見よう見まねで覚える。もちろんレシピなどなかった時代の話だ。
アイモが初めてミラノ中央駅脇に自分のレストランを持ったのが1955年のこと。そこで働くようになったナディアはその後、生涯アイモのそばを離れることなく、やがて1962年に「イル・ルオゴ・アイモ・エ・ナディア=アイモとナディアの場所」をミラノ西部のモンテクッコ通りにOPENする。
いまでこそ見本市会場フィエラ・シティに近く、再開発が盛んな地区だが当時はまだ車道も舗装されていなかった。しかし同郷出身、似た境遇の二人は「アイモとナディアの場所」でその後戦後イタリア料理の近代史を作り上げて来た。
創業から57年経った現在、店の経営は娘のステファニア Stefaniaと2人のシェフ、 Alessandro Negrini(アレッサンドロ・ネグリーニ)とFabio Pisani(ファビオ・ピサーニ )に任せているが、2019年現在もミシュラン2つ星を維持している名門中の名門だ。
さて、アイモとナディアの新店「Bistrot Aimo e Nadia(ビストロ・アイモ・エ・ナディア )」は、2018年春にOPENした。場所は以前「Pane e Vino(パーネ・エ・ヴィーノ)」があった場所、といえばミラノのレストラン事情に詳しい人ならお分りいただけるだろうか?隣接するセレクト・ショップ「Rossana Orlandi(ロッサーナ・オルランディ)」が経営していた、コンパクトながらもリーズナブルなリストランテ料理を食べさせてくれるファッショナブルなレストランだった。
そのあとに誕生した「ビストロ・アイモ・エ・ナディア」のインテリアは女性デザイナー、ロッサーナ・オルランディが手がけ、ETROの壁紙やテキスタイルを多用した以前にもましてファッショアブルな空間になっている。
野菜中心で脂質や糖質を抑えたガストロノミーな料理の数々
ポドリコ牛は、アブルッツォやカンパーニア州などイタリア半島南部で飼育されているブランド牛。やら若い仔牛肉を低温調理でさらに柔らかく火入れ。ミルクの香りは残しつつバルサミコのソースで酸味と甘みをくわえる。さすが「アイモ・エ・ナディア」のスタッフが調理するだけに野菜のクオリティがいずれも素晴らしい。
「アイモ・エ・ナディア」の原点である、トスカーナの田舎料理を思わせる素朴かつ滋味深い料理。豆と野菜しか使っていないというのにやはり素材がいいのだろう。旨味が凝縮されており、最後まで飽きることなく食べてしまう極上のミネストラ。
現在のミラノは星付きレストランやトップシェフによるカジュアル・ダイニング「ビストロ」が人気だが、ライト&ヘルシーな料理がミラノでは常に人気だ。
それはミラノにはファッション関係者が多いことから、つねに体系を気にしており、ベジタリアンやヴィーガンが多いという事情もある。そうした社会背景はもとより、野菜中心で脂質や糖質を抑えたガストロノミーな料理の提案はひとえに料理人の技量にかかっている。
「ビストロ・アイモ・エ・ナディア」はそうしたヘルシー志向のゲストはもとより、そうでない人も十分楽しめるコストパフォーマンスのよいビストロだ。そしてなんともミラノらしい空間での食事は、必ず記憶に残るものとなるはずだ。
ビストロ・アイモ・エ・ナディア
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト