自動車専門誌『ENGINE』の創刊編集長だった鈴木正文はみずから文章を綴るのが大好きな編集者のようだ。しかもそれがじつに達意なのである。

男たるもの、最善のものが得られるのに、次善のものに甘んじるなかれ!

12年にわたりコツコツ書いたエッセイ

『スズキさんの生活と意見』 鈴木正文著 新潮社 1,642円(希望小売価格)
『スズキさんの生活と意見』 鈴木正文著 新潮社 1,642円(希望小売価格)

驚いたことに鈴木の青春は、1969年1月のかの東大安田講堂事件のさなか、まさに安田講堂陥落のなかにあった。そして逮捕された。「講堂の階段の両側に隙間なく並んだ機動隊員の多くが、手錠をかけられて降りていく無抵抗の僕を、さんざん蹴ったり殴ったりした」

その章で鈴木は『エコー』という安くて不味いタバコを買って後悔したことを述懐している。どうせなら両切りの『ピース』を買うべきだったと反省し、「最善のものが得られるのに、次善のものに甘んじるなかれ」と教訓を垂れている。この教訓こそ、鈴木のその後の人生訓そのものではないかと、この本に収められた全87編のコラムを読んで感じる。

また驚いたことに、この著名な自動車雑誌の編集長が運転免許をとったのは、28歳と遅かったのだという。「最初に買ったのは中古の2ドア・カローラ、その後1年を経ずして新車のランサーEXを買い、そしてまた1年もたたないうちにランサーをたたき売って、シトロエンGSの中古を個人売買で購入した」

だが、このオンボロのシトロエンGSが鈴木の人生を変えることになる。「GSに乗ってはじめて、学生のころにあこがれた、しかし望みに反して留学することはかなわなかったフランスに、具体的に触れたような気がした。〈中略〉そのころ僕は雑誌ともクルマとも関係のない仕事をしていた。もしGSに乗っていなかったら、こんなふうに原稿を書くことにはなっていなかっただろう。ガイシャには人生を変える力があると思う」と告白しているのだ。

この本に収められた数々のコラムは、元々、鈴木が編集長をしていた『ENGINE』誌上に「from editor」というタイトルで掲載されたものだった。2000年から2011年まで編集長の鈴木自らがコツコツ綴ったものである。

フランスのファッション誌『VOGUE』の男性編集長の逸話も秀逸だ。これは加藤和彦談として書かれているが、外国の編集長は3か国語はしゃべれて、悠々とショパンのピアノ演奏もやってのける。「僕より全然じょうずだった」と加藤和彦が語ったエピソードが紹介されている。日本の編集長たちよ、もっと本物の教養を身に付けよ、と鈴木は言いたいのだろう。

鈴木自身、バルザックの『風俗研究』から引用して、「お洒落とは学問であり、芸術であり、習慣であり、感性である」の名言をもじって、「クルマ選びとは学問であり、芸術であり、習慣であり、感性である」と書き、「オシャレはクルマそのものよりもむしろその乗りこなし方にある」と、教養の一端を垣間見せてくれている。

※2012年秋号取材時の情報です。

この記事の執筆者
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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