日本の着こなしにおいて、極論をいえば、(見た目)ウェルドレッサーを目指すだけなら、手間と金を惜しみさえしなければだれにでも容易な時代になったといってもいい。
男たるもの凄絶な覚悟を持って背広を着るのが生き様!
「ブリオーニ」をひいきにした西部劇の名優
一方で、その弊害として目に余るのはテクニック先行のおしゃべりな服、主張する着こなしの増長ぶりだ。その意味で、今、先達に学ぶとすれば、欧米と対等に渡り合った白洲次郎、福澤幸雄、伊丹十三、早川雪洲よりも、寡黙、凡庸をわきまえたうえで頑な美意識を自身でも作中でもブレることなく貫いた山口瞳や小津安二郎の「背広」であり、川島雄三の「背広」との向き合い方ではないだろうか。
昭和モダンを体現した粋人映画監督!
小津はともかく、平均的日本人顔、日本人体型で取り立てて伊達男風ではない山口を例に挙げると「?」と思われる方も多いかもしれないが、山口の日常がそのまま写された小説『江分利満氏の優雅な生活』(ちくま文庫)を読んでいると小津映画の(小津好みの具現者である)登場人物が不思議と重なってしまう。
タイやパンツに顕著な実用本位主義と軍隊色への偏愛、同僚OLに同情されるほどの地味スタイルなのに「既製の上着なぞ着られるものか」といい切る主人公江分利の清貧の精神、野武士の頑固さは、現代の画竜点睛を欠く表層的着こなしに痛烈な一撃を食らわせる。
究極のシンプルに到達したハリウッド最高の伊達男
山口とは真逆の破滅型だが、『幕末太陽傳』で知られる映画監督川島雄三の逸話には武士の覚悟にも通じる凄絶がある。川島は、真夏でも決して上着を脱がなかった。その秘密について、川島と師弟関係にあった作家藤本義一が師との日々を綴った『生きいそぎの記』(講談社文庫)で暴露している。
常宿で川島が背広を脱ぐのを手伝おうとして、藤本は戦慄する。まるで1枚の板のように川島の背中に張りついている背広を剝がすとそれはクルッと内側に巻き込まれ瞬く間に筒状に変形したからだった。川島を見ると、肩甲骨が不自然なよじれを見せ、両肩を身体の前に巻き込むような歪な体勢になっている。
上着の裏地には巧妙にバネが仕掛けられていた。進行性の病による身体的障害を隠していた川島はこの背広がなければ、まともな姿勢が保てなかったのだ。バネ仕掛けの背広は、川島にとって文字通り鉄火場の戦闘服、背広という名の鎧だった。
映画『江分利満氏の優雅な生活』は、当初、小沢昭一主役で川島が撮るという話があったそうだ。小沢昭一が、飄々としたあの小林桂樹の名演技を超えたとは到底思えないが、川島が撮る江分利満の背広姿だけは見てみたかった気がする。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
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