ファッションの流行やマインドの変化と密接に関係する下着の歴史。「下着の歴史は女性の歴史」と語るランジェリーライターの川原さんが、4回にわたり下着の歴史を紹介しながら、その変容の行方を探ります。
第二回は、バブル景気は終焉を迎えるも女性達はますますパワーアップし、「谷間」がフォーカスされた1990年代を振り返ります。
第一回【日本の下着文化は戦後に変容!体型をより美しく見せたいという願望から西洋化がスタート】
女性達の意識を大きく変えた一冊の写真集、「寄せて上げる」ブラジャーの誕生
1986年に「男女雇用均等法」が施行され、女性の社会進出が加速した1980年代後半。世の中はバブル景気に沸き、アッシーくん(自家用車で送迎してくれる男性)、メッシーくん(食事をおごってくれる男性)、ミツグくん(プレゼントしてくれる男性)なる流行語も登場し、人々は好景気を大いに満喫しました。
そのバブル経済も1991年に終焉しますが、女性達のパワーは衰えることなく、同年に「ジュリアナ東京」が東京・芝浦にオープン。露出度の高いボディコンファッションに身を包み、「ジュリ扇」を振りながら、お立ち台で踊る姿はこの時代の象徴となりました。
■1992年:寄せて上げる「グッドアップブラ」デビュー
1991年はもうひとつ、女性のマインドや下着文化に大きく影響を与える出来事が起こります。それは、当時18歳だった宮沢りえさんの写真集『Santa Fe』の発売です。当時、人気絶頂だった宮沢りえさんのフルヌードは日本中に衝撃を与えましたが、その健康的な美しさは称賛され、女性達の共感を生みます。そして女性達の「自らの体をもっと美しく表現したい」「私も美しい体をアピールしたい」という願望はより強いものに。
その願いを叶えるブラジャーとして1992年に登場したのが、ワコールの「グッドアップブラ」です。当時のコピーは「グッとアップ。アモルファスで、谷間クッキリ」(アモルファスは使用されているアモルファス・ファイバーのこと)。この商品は、累計1,000万枚という驚異のヒット商品となり、日本に「バストを寄せて上げる」時代が本格的に到来したのです。
■1994年:バストメイクブラの代表「天使のブラ」発売
1990年代前半は、まさに谷間メイクブラ戦国時代。1993年ピーチ・ジョンからは、バストを下から底上げするような立体構造のパッドが特徴の「ボムバストブラ」が登場。
1994年にはバストメイクブラとして広く知られる「天使のブラ」がトリンプ・インターナショナル・ジャパン(以下、トリンプ)から発売されます。「天使のブラ」はファッショントレンドやニーズに応えながら、今も継続して販売されています。
谷間メイクブラの人気は米国も同様で、その代表がバリ社の「ワンダーブラ」。日本でもピーチ・ジョンが輸入販売し、大人気となります。
■1997年:チビT流行と共に誕生した「Tシャツブラ」
1990年代後半になると、時代の主役はボディコンファッションのOLから茶髪にミニスカート、厚底ブーツをはいた女子高校生に。安室奈美恵さんのファッションを真似る「アムラー」が流行したのも1996年頃。その後、彼女達の聖地ともいえる渋谷109のショップで働く「カリスマ店員」がファッションリーダーになります。
当時流行したのが、体にぴったり沿う「チビT」や丈の短いトップスの「ヘソ出しファッション」。それにより、1997年にはトリンプからカップの表面がつるんとした「Tシャツブラ」が発売され、股上の浅いローライズショーツが人気となります。また、キャミソールファッションの流行でストラップレスブラが人気となり、ネックラインが広く開いたトップスからブラジャーのストラップをあえて見せる「見せブラ」という言葉が広がります。
女子高校生が時代の主役となった1990年代後半。大人の女性の間では、1998年にアメリカでスタートしたドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』が話題になり始めます。次回はこのドラマの主人公達のように、女性の生き方が多様化していく2000年代を振り返ります。お楽しみに。
【参考文献】
・『30 YEARS NBF 〜ボディファッション市場の変遷〜』社団法人 日本ボディファッション協会
・『ワコール50年史 ―もの からだ文化』株式会社ワコール
・『PEACH JOHN』2017 Spring vol.100
- TEXT :
- 川原好恵さん ランジェリーライター
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- WRITING :
- 川原好恵
- EDIT :
- 石原あや乃