ファッションの流行やマインドの変化と密接に関係する下着の歴史。「下着の歴史は女性の歴史」と語るランジェリーライターの川原さんが、4回にわたり下着の歴史を紹介しながら、その変容の行方を探ります。

第一回は、日本の女性達にブラジャーやガードルなどの洋装下着が広がり始めた第二次世界大戦後から1980年代までを振り返ります。

「下着の歴史は、女性のマインドの歴史」。より美しく見せたいという願望は普遍

これから、日本の洋装下着の歴史を紹介していきますが、もともと下着文化はヨーロッパで発展したもの。日本について語る前に、ヨーロッパの下着の歴史を少し振り返ってみましょう。

現在のヨーロッパの老舗下着メーカーは、コルセットメーカーからスタートしたところがほとんど。洋服を着た時の姿がより美しく見えるようにボディーラインを整えたのがコルセットで、1860年代を描いた映画『風と共に去りぬ』の主人公が、ウエストを細く見せるために極限までコルセットを絞めてもらうシーンはあまりにも有名。スカートが大きく広がったクリノリンスタイルのドレスをより美しく着たいという願望の表れです。

このように、ヨーロッパでの下着の歴史は洋服のシルエットの歴史と重なります。

風と共に去りぬ
『風と共に去りぬ』は南北戦争下のアトランタを舞台とする映画で、主人公のビビアン・リーの美しさが際立ちます。(C) AFLO

「コルセットメーカー」からスタートした、ヨーロッパの老舗ランジェリーブランド5

コルセットメーカーからスタートし、今に続く代表的なヨーロッパブランドをいくつか紹介しましょう。

1875年 1875年にベルナール医師が医療用コルセット製造会社を設立。1958年にブランド名を「朝の詩」を意味する「オーバドゥ」としました。

1876年 フランスブランド「シャンテル」の前身となる医療用コルセット製造会社設立。

1886年 コルセット製造職人のヨハン・ゴットフリート・シュピースホーファーと、商人ミヒャエル・ブラウンが、ドイツ ホイバッハにてコルセット製造所「シュピースホーファー&ブラウン」を設立。これが後の「トリンプ・インターナショナル」です。

「トリンプ・インターナショナル」コルセット。
「トリンプ・インターナショナル」創業時に作られたコルセット。(C)Triumph International Japan

1948年 戦後間もないころ、若きコルセットデザイナー、シモーヌ・ペレールがフランス パリで「シモーヌペレール」のアトリエ設立。

1954年 イタリア人女性アダ・マソッティーが、イタリア ボローニャにてコルセットのアトリエをつくるという夢を実現。自らつくる下着をフェミニンで気品高い真珠(Perla)に例え、ブランド名を「ラペルラ」としました。

「ラペルラ」アトリエ
「ラペルラ」創業時のボローニャのアトリエ。(C)La Perla 

着物文化から洋服文化へと変化。「流行への関心=下着の関心」へ

ここからは、日本の下着の歴史を年代ごとに追ってみましょう。社会の変化、ファッションの流行と共に、日本の下着文化も大きく変わっていきます。

■1940年代:第二次世界大戦後、本格的に日本人女性の洋装化がスタート

ブラジャーやショーツ、スリップなどの洋装下着が一般的に広がったのは第二次世界大戦後のこと。なぜなら、それまで日本人女性は着物を着るのが一般的だったから。日本人男性の洋装化は明治維新と共に制服から広がったのですが、女性の洋装化が一般市民にまで広がったのはそれよりずっと遅かったのです。

日本の洋装下着の歴史は、皆さんご存知の「ワコール」の歴史と共にあると言っても過言ではありません。「ワコール」がブラジャーを製造するようになった原点が、創業者である塚本幸一氏が1949年に出合ったこの「ブラパット」。螺旋状のスプリングの上に布をかぶせた饅頭のような形の素朴なパッドですが、これを入れる内袋のついたブラジャーをつくったのがブラジャー製造のきっかけなのです。

プラパット
ワコールの原点となった「ブラパット」。(C)Wacoal

■1950年代:ディオールが生み出す流行と共にブラジャーやガードルが一般化

1950年代に入ると、ディオールが生み出すニュールック、Yライン、Aラインなどのファッションの情報が日本にも入り、それらを美しく着こなすために必須となるブラジャーやコルセットが身近なものになっていきました。百貨店ではランジェリーのショーが催され、大きな人気を呼びます。

「ワコール」のランジェリーショー
洋装の啓蒙とプロモーションを兼ねたイベントとして人気だった「ワコール」のランジェリーのショー。(C)Wacoal

■1960〜1970年代:ワイヤー入りブラも登場し、今に続くブラジャーがラインナップ

「ワコール」は1968年にワイヤー入りブラ、1972年にはカップに縫い目のないつるんとした表面のシームレスカップブラ、1978年には前で留めるフロントホックブラを発売。現在私達が目にするブラジャーのほとんどが、すでにこの時代に確立されました。

ワコールの「フロントホックブラ」
1978年に発売されたワコールの「フロントホックブラ」。「女には、前と後があるのです」というコピーも話題に。(C)Wacoal

■1980年代前半:世はフィットネスブームに沸き、下着はよりカラフルに

1980年代に入ると日本の下着もよりファッション性を高めていきます。世の中はフィットネスブームとなり、レオタードやレッグウォーマーが流行。当時、話題を呼んだジェーン・フォンダのエアロビクスビデオのリリースも1982年です。その頃を象徴する下着が、1981年に販売されたワコールの「シェイプパンツ」。17色という色展開は画期的で1年あまりで300万枚突破という大ヒット商品に。翌年には「シェイプブラ」も発売されました。

「ワコール」のシェイプパンツ
1981年に発売された「ワコール」の「シェイプパンツ」。お腹の当て布やヒップのギャザーで補整機能をもたせています。(C)Wacoal

■1980年代後半:ボディコンブーム到来!バストメイクする時代へ

1984年にはアズディン・アライアがボディーコンシャススタイルを発表。マドンナが「ライク・ア・バージン」の衣装としてビスチェを着用するなど、ファッションやランジェリーの世界でエポックメイキングな出来事が続きます。

バブル景気に日本が沸いた1980年代後半になると、「ボディコンファッション」が大人気に。ボディーラインを強調する服を着るとなると、もちろんバストラインにも注目が集まるわけで、優秀なパターンの力で谷間を寄せる「デヴェ」や、下から持ち上げる「コレール」といったヨーロッパのバストメイクブラが大ブームとなります。

デヴェ
ベルギーでつくられていた1980年代当時の同じパターンをそのまま生かし、現在は日本で生産されている「デヴェ」。そのバストメイク力は今尚絶大な支持を得ています。¥8,000/デヴェ(リバコ)

ボディコンファッションが大流行した1980年代後半のことは記憶に残っているという読者も多いのでは? 世の中の流行も消費も女性がリードするようになったこの時代。1986年に「男女雇用均等法」が施行され、女性の社会進出が一気に進んだことが大きく関係しているのでしょうね。

次回は、さらに女性が自信を得た1990年代を振り返りますので、お楽しみに。

【参考文献】

・『30 YEARS NBF 〜ボディファッション市場の変遷〜』社団法人 日本ボディファッション協会
・『ワコール50年史 ―もの からだ文化』株式会社ワコール
KCIデジタルアーカイブ 

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この記事の執筆者
文化服装学院卒業後、流通業界で販売促進、広報、店舗開発を約10年経験した後、フリーランスとして独立。下着通販カタログの商品企画などを経て、現在はランジェリーを中心に、雑誌、新聞、ウェブサイトなどで執筆・編集を行なう。モットーは「ラグジュアリーからプチプラまで」。国内外の展示会・店舗を幅広く取材する。
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WRITING :
川原好恵
EDIT :
石原あや乃