靴好きなら誰もがその名を知っている「エンツォ ボナフェ」。日本では約30年にわたって販売されていて、温もりのある9分仕立てによる美しい靴は、時の流れで色褪せることがない。
先ごろ来日し、伊勢丹新宿店メンズ館のオーダー会に登場したエンツォ・ボナフェ氏を、メンズプレシャスでエグゼクティブファッションエディターを務める矢部克已氏がインタビュー。靴づくりの矜持をうかがった。
靴職人としての変わらぬ情熱
靴のインソールに「Lavorate a mano(手づくり)」と手書きで記された一足。ボールペンだったか、サインペンだったか……、頼りない筆致にも感じたか、そこはかとなく靴づくりにかける自信のようなものも漂っていた。
それまで見てきた靴は、ブランドのロゴデザインがしっかりと刻印されたインソールが当たり前だったが、その常識をあっさりと裏切った。
1990年初頭、私がはじめて「エンツォ ボナフェ」の靴を見た時、美しい靴にも増して、イタリアのアルティジャーノだから成し得る、洒脱な感覚が伝わってきたのだ。
’90年代半ば、クラシコイタリアのトレンドとともに、ドレスシューズへの関心も高まった日本のメンズファッション。英国の「エドワード グリーン」や「ジョンロブ」、イタリア勢では、「ストール マンテラッシ」や「シルヴァーノ ラッタンジ」、オーダーメイドの分野では「ステファノ ベーメル」が台頭し、イタリアブランドの靴が趨勢を極めた。そうそう、「ステファノ ブランキーニ」も十分に追随していたのを忘れてはならない。
2000年代、イタリアの靴業界にも、投資を背景にした拡大路線がうごめいていた。たとえば、「ストール マンテラッシ」は、派手に躍進したものの、いくつもの買収劇に見舞われ、今や見る影もなくなってしまった。大きな儲け話には、当然リスクもともなう。一方で、実力ある者は、活況を呈した世界から一歩下がって見つめるものだ。
儲け話には耳も貸さず、自分の納得いく靴をつくらなければならないという自負もある。靴職人のエンツォ・ボナフェ氏は、そんな思いでイタリアの靴業界を見ていたのではないか。それゆえに、今も現役で靴づくりを続けていられるのかもしれない。
今でも忘れないのが、イタリア・ミラノで開催される世界的な靴の展示会「ミカム」で、ボナフェ氏と最初に会ったときのこと。ブースのなかに並んだ靴を手に取り、一足一足のデザインやつくりを熱っぽく説明してくれた。今回、伊勢丹新宿店メンズ館で開催のオーダー会で来日し、12年振りに本人から話を聞いたが、まったく衰えを感じない話しっぷりだった。
モードやトレンドに追従することでは、いいデザインは生まれにくい
こんな質問を投げかけた。靴づくりが上達したと実感したのはいつか。それに対し、ボナフェ氏は……。
「いまだに靴づくりが習熟したとは思っていません。なぜなら、靴をつくる過程で、常に新しい発見があるからです。もちろん、完成度の高い靴をつくっていますが、さらに品質の向上が図れるのではないかと考えています。まだ、成熟したとは言いたくないですね」
靴職人に限らず、優れたつくり手に取材をすると、しばしば同様の答えが返ってくる。はたから見ればもう十分に、靴職人として円熟しているはずなのに、謙虚なうえに向上心を持ち、現状に安住しない。いつまでも問題意識があるからこそ、まっとうな職人としての人生を歩める、とでも言いたげである。
ボナフェ氏が靴づくりの世界に身を投じたのは、ボローニャの名門靴ブランドの「ア テストーニ」だった。そこで15年間働き、革選びからはじまり、木型づくり、製法……、靴づくりのすべてを習い、実行に移した。そして独立。
「エンツォ ボナフェ」の靴が多くの靴専門家からも評価されるのは、9分仕立てという製法にある。靴づくりのほとんどの過程を手仕事で進めていき、最後の出し縫い部分をミシンで仕上げるという方法だ。
手づくり靴の温もりがあるうえ、製品としての完成度も高い。さらに価格は案外手頃。だからこそ、靴づくりの難しさを知っているプロたちは、「エンツォ ボナフェ」の靴に敬意をも表するのである。
現在、世界最大の売り先を聞けば、日本だと言う。およそ30年前に始まった日本での販売は、正統な評価とともに、右肩上がりに出荷数を伸ばしたのだ。
ボナフェ氏いわく、これまでに多くのクラシックなデザインの靴をつくってきたが、イタリア語で「フランチェジーナ」というオックスフォード・タイプが最も好きなデザインだそうだ。
靴づくりを始めたばかりの頃からつくってきたモデルが、今、クラシックなスタイルへの回帰とともに、ファッションのプロたちも再注目しているモデルである。
「見たときの美しさを大切にし、クオリティに注力し、製作に打ち込む。モードやトレンドに追従することでは、いいデザインは生まれにくいのです」
毎朝、7時から工房に入り、夜の8時まで靴づくりに没頭する。ボナフェ氏の存在感が漲る靴は、日々の仕事のなかで着実に生み出されるのである。
問い合わせ先
- TEXT :
- 矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
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