【目次】
【人麻呂忌はなぜ3月18日?何をする日?「意味」】
万葉歌人の柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)の忌日(きじつ/きにち)である3月18日を「人麻呂忌」といいます。本来は太陰暦(旧暦)の3月18日なのですが、現在使用している太陽暦(新暦)にすると毎年のようにひと月近くズレが生じるため、本来は旧暦3月18日ですが、現在では新暦の3月18日に行われることも多く、両方の日付で認識されています。
■忌日とは?
故人の死亡した日と同じ日付に、毎年または毎月、回向(えこう、死者の成仏を願う仏事供養)する日を「忌日」と言います。これを「いみび」と読むと、「外出や仕事をせずに喪に服して過ごさなくてはならない特別な日」という意味に。
【柿本人麻呂とはどんな人物?】
『万葉集』を代表する歌聖(かせい)として、中学・高校の国語や古典の教科書で取り上げられる歌人ですが、生没年など、人物プロフィールは謎。その人物像で知られていることといえば、朝廷のエリート役人「官人」としての顔と、とても人間的な歌を詠んだ「歌人」という、ふたつの顔をもつことです。
■官人としての人麻呂
7世紀から8世紀にかけて持統天皇や文武天皇に仕えた官人でしたが、職務は「宮廷詩人」といったところ。天皇の行幸に随行し、その土地の歴史や天皇の威光を称える歌を詠むことが仕事で、国家の権威を補強する広報官のような役割を担っていたと考えられます。石見国(現在の島根県)など地方赴任も経験したようで、当時の厳しい旅の現実も知っていました。
■歌人としての人麻呂
「『万葉集』に収録された約4500首の1割ほどが人麻呂関連の歌」とされることからも、彼の活躍ぶりと人気のほどがわかります。ちなみに“人麻呂関連”とは、本人作とはっきり記された約90首と、彼が収集した当時の流行歌や作者不明の伝承歌などを含む『柿本人麻呂歌集』からの約370首のこと。
人麻呂は、枕詞や対句を用いるなどして和歌に構成力を持ち込み、繊細かつ情熱的な感性でスケールの大きい風景描写や人間味あふれる歌を詠みました。妻の死や旅人の死を悼む歌では、個人的な深い悲しみを普遍的な芸術へと昇華させ、現代でも高い評価を得ています。
【なぜ“万葉の天才”といわれるのか 】
「万葉の天才」や「歌聖(かせい)」と称される人麻呂。彼がつくる和歌が優れていただけではなく、日本文学としての“歌の型”をつくり上げた、日本語という言語の革命者だったからです。それはどういうことなのか、3つのポイントに絞って紹介します。
■映像のような表現
人麻呂の歌は視覚的といわれます。目の前の景色やいつか見た絶景などを、まるで映像のように言葉で表現するのです。たとえば日の出を「東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて」と表現した歌がありますが、早朝の澄んだ空気感まで感じることができますよね。この歌の下の句は「かへり見すれば月傾きぬ」。振り返れば(東の空に)月が傾こうとしている、と詠んでいます。このように東に昇る太陽と西に沈む月を同時に捉えたパノラマのような構図は、それまでの和歌では表現されていません。読者にあたかも体験しているように共有させる圧倒的な描写力だったのです。
■「長歌(ちょうか)」の完成
奈良時代以前の歌の主流は、「5・7・5・7・7」といいった31音で構成される「短歌」でしたが、「5・7・5・7・5・7…7・7」と5語と7語をくり返し、最後を7語と7語で締めくくる「長歌」という長い歌も存在していました。人麻呂はこの長歌を芸術の域にまで高めた功労者。枕詞(決まったフレーズ)を用いたりリズムをつくったりして、複雑で重厚な構成をつくり上げました。「短歌」がソリストの演奏なら、「長歌」はオーケストラといったところですね。
■心の機微を言語化
人麻呂以前の歌は、目の前の景色をそのまま言葉にしたり、起こった出来事を表現するなど、記録に近いものでした。人麻呂はそこに「個人の感情」を投入したことで「万葉の天才」とまで言われるようになったのかもしれません。特に同じ歌人であった妻との死別は彼の歌に大きな影響を与えました。夢では会えるのに現実にはいないという絶望感を表現したり、人間の生のはかなさを「露」に置き換え季節の表現に溶け込ませたり、ひとり寝の寂しさを「山鳥の長い尾」にたとえたり。人麻呂が確立させた風景の中に感情を投影するというこの手法が、妻との別れを謳った「挽歌」に最もよく表れています。
【現代語訳|柿本人麻呂の代表作3選】
中学・高校の教科書に掲載されることの多い歌のなかでも、解釈がわかりやすい代表作を現代語訳とともに読んでみましょう。
■東の野に炎の立つ見えて かへり見れば月傾きぬ
「ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたむきぬ」(『万葉集』巻1-48)
現代語訳:東方の野の果てに夜明けの光がさしそめる。ふりかえると西の空に月が傾いている。
この歌は、昇る太陽と沈む月(陽と陰)、東と西という対比が見事。生命力と惜別を同居させ、パノラマ構図でダイナミックに表現しています。
■近江の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしえ思ほゆ
「おうみのうみ ゆうなみちどり ながなけば こころもしのに いにしえおもほゆ」(『万葉集』巻3・266)
現代語訳:近江の海の夕波千鳥よ、お前が鳴くと、心もしおれるように昔のことが思われる。
近江の海とは琵琶湖のこと。かつての都(大津京)の荒れ果てた姿を嘆き詠んでいます。変わらない自然と、人間の営みの儚さを対比させています。
■あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
「あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよの ひとりかもねむ」(『拾遺和歌集』恋3-773)
現代語訳:山鳥の尾の、長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を、独りさびしく寝ることだろうか。
山に関係した言葉にかかる枕詞の「あしびき」や、山鳥の尾から「長い」を導きだす手法は、和歌の「修辞法(言葉や文章の修飾に関する法則)」の基本です。
【人麻呂神社とは?神格化された背景】
日本語や和歌に多大な功績を残した柿本人麻呂ですが、なんと御祭神として祀られているのをご存知でしょうか。当然「歌の神様」として祀られたのですが、次第に「学問」や「火除け」「安産」など、「なぜ?」というご利益もあるとされるように。
■貴族の教養としての和歌の達人
平安時代の貴族は、教養や芸能、武道などを身につけることが仕事のようなものでした。当時、教養の最高峰とされていたもが和歌で、『古今和歌集』の序文で編纂者の紀貫之らは人麻呂を「歌の聖(ひじり)」だと絶賛。和歌を宮廷の晴れの文学としていく風潮のなかで、宮廷詩人(宮廷に仕えた歌人)である人麻呂を神格化・伝説化していったとみられています。
■「人麻呂神社」は全国各地に!
柿本人麻呂は、後世において「歌の神様」として神格化され、全国各地の神社に祀られています。なかでも「人麻呂神社」や「人丸神社」として知られる社は、日本各地に点在し、その数は一つではありません。なぜ一人の歌人が、これほどまでに広く信仰を集める存在となったのか――その背景には、和歌という文化が日本人の精神に深く根づいてきた歴史があります。ここでは、人麻呂を祀る代表的な神社をご紹介します。
・高津柿本神社(島根県益田市)
・柿本神社 (兵庫県明石市)
・柿本神社(奈良県葛城市)
・人麿神社(奈良県橿原市)
・柿本人麻呂神社(埼玉県川越市「川越氷川神社」境内末社)
・戸田柿本神社(島根県益田市)
・人丸神社(山口県長門市)
・人丸神社(栃木県佐野市)
■「火除け」や「安産」の神さまになったわけ
平安時代以降に「柿本人丸」と書かれることがあったことに由来しているよう。これが「火止まる(ひとまる=火除け)」や「人産(ひとまる=安産)」と、縁起担ぎにつながったのでしょうか。ご利益だけでなく、神社名として「人丸」が定着した地域も少なくありません。
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持統天皇と文武天皇の両朝に仕えた宮廷歌人、柿本人麻呂。歌は後世に残っていますが、その生涯は明らかではありません。終焉の地とされる島根県益田市は、人麻呂と妻の依羅娘子(よさみのおとめ)の伝説が残る地。市内にある高津柿本人麻呂神社の「人麻呂忌」ではその御霊を慰める神事が行われ、多くの人麻呂ファンや短歌・俳句などの関係者が参拝。墓前で和歌が詠まれることもあるそうです。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- 参考資料:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『世界大百科事典』(平凡社)/『デジタル大辞泉』(小学館)/奈良県立万葉文化館( https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/ )/嵯峨嵐山文華館( https://www.samac.jp/ ) :

















