「地獄」という名のレストランで味わう極楽
古い話で恐縮だが、13世紀のフィレンツェには名作「神曲」を書いたダンテ・アリギエリ、通称ダンテと呼ばれるイタリア文学史上最大の詩人がいた。
ダンテは9才の時に美少女ベアトリーチェを一目見て魂を奪われるような感動を覚え、彼女のことが忘れられない少年時代を過ごしたという。それが18才の時、現在のフェラガモ本店近くにあるトリニタ橋で運命の再会を果たしてからというもの、ダンテの恋はさらに激しく燃え上がり寝ても覚めてもベアトリーチェ一色になってしまった。
しかし二人は結ばれず、他の男性と結婚したベアトリーチェは24才でこの世を去り、政争に敗れてフィレンツェを追放されたダンテは14年かけて大作「神曲」を書く。
その中でダンテは地獄、煉獄、天国を神聖化されたベアトリーチェとともに旅して世界の真実を見る、という内容だ。
地獄や煉獄が日常に介在する街
ダンテが描いた地獄、煉獄、天国という世界観はその後のキリスト教社会、またはイタリア人の精神に大きな影響を与え、フィレンツェにはいまでも地獄通り(ヴィア・デル・インフェルノ)、煉獄通り(ヴィア・デル・リンボー)、天国通り(ヴィア・パラディーゾ)という名前の通りが存在し、しかも地獄通りと煉獄通りは隣り合わせで、夜は暗く人気はほとんどない。ダンテが「神曲」を書いてから700年以上経つというのに、フィレンツェにはいまも地獄や煉獄が日常に介在している街なのだ。
その名も「地獄レストラン」、「リストランテ・インフェルノ」はダンテがフィレンツェを追放されたのち、15世紀に作られた重厚な石造りのゲラルディ宮殿の1階にある。重厚な扉を押して店内に入ると入り口正面には大きなバーカウンターが。レストランはその奥にあるのだがそこには大きく「インフェルノ=地獄」と書かれており、脇には「神曲」のこんな一節が書かれている。
大食らいの罪を犯した者たちチアッコ
きみたち市民は僕のことを豚の「チアッコ」と呼んだ。
大食らいの大罪のせいで、きみもご覧のように雨に打たれて参っている。
なにも僕だけがみじめな魂じゃない。
ここにいるやつはみな僕と同罪で
同じような罰を喰らっているのだ。
これは七つの大罪のひとつ「貪食」について書かれた詩で、この扉をくぐる者は永遠に煉獄を旅することになるという。つまりこの店で食事をする者はみな貪食の罪を犯すことになる、噛み砕いていうならば美味しすぎて食べ過ぎ注意、という警告だ。つまりここは美食道を貫く地獄レストランなのだ。
シェフのエマヌエレ・ラッザリーニが作るのはオーセンティックなトスカーナ料理で、パスタ、魚、肉とメニューを見ているとあれもこれも食べたくなる。
「牛タンのサルサ・ヴェルデとパルミジャーノ」は温かい前菜で、仔牛の舌をほろほろになるまで柔らかく煮込み、イタリアンパセリとヴィネガーを効かせたサルサ・ヴェルデと薄切りチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノとともに食べる。
エマヌエレ・シェフが「パスタは今日俺が作ったんだ」という詰め物パスタ、トルテッリーニのスープ仕立て。仔牛肉やチーズが入った一口サイズのパスタは温かいスープとともに食べると胃も体も暖まる寒い冬にはたまらない料理。
続いて「牛ほほ肉のワイン煮込み」が登場。これもたっぷりの赤ワインで頰肉をくずれる寸前まで柔らかく火を通した煮込みでジャガイモのピューレとともに食べる官能的料理。
ここままで十分に地獄を堪能した気分なのだが「これはイタリア料理じゃなくて、日本料理だから食べてみろ」と持ってきてくれたのが「豚バラ肉の煮込み」だが、一見豚の角煮風。食べてみると実際角煮そのもので聞けば日本酒とみりん、醤油で煮込んだという。
リンゴのデザート「トルタ・デッラ・ノンナ」を食べている頃再びエマヌエレ・シェフが現れ「本当のうちのスペシャリティは炎を使ったフランベ料理。つまり地獄の炎料理なんだ」というではないか。それはさすがに遠慮したが、ならばバーで食後の地獄カクテルを味わってから帰れという。
入り口にあったバーカウンターでカクテルを作るのはバリスタ、ルチアーノだ。まずおすすめで登場したのがエジプトをテーマに、シナモンやカルダモンなどオリエンタルなスパイスを使った辛口のオリジナル・カクテル「クレオパトラ」でピラミッド型の容器に入って登場した。
「では最後に地獄の炎で締めましょう」というので見てみるとシャイカーになにやら強そうなスピリッツをいくつかまぜてシェイク。最後にライターで派手に炎をつけてからグラスに注ぐ、地獄の炎カクテル「ヴェネレ=ヴィーナス」だった。
これは抹茶とシャルトリューズを使っているという。エマヌエレもルチアーノも一見コワモテに見えるけれど実は穏やかで明るいキャラ。薄暗い中世の建物中で味わう天国と地獄、こんな演出のレストランも旅の思い出によいのではないか。
INFERNO
- INFERNO TEL:+39-055-244975
- 住所:Via de’Pepi 9r, Firenze
- バー:18:00〜翌2:00
- レストラン:12:00〜15:00、18:30〜0時 年中無休
- TEXT :
- 池田匡克 フォトジャーナリスト