『ヘイディズタウン』(Hadestown)の題材はギリシア神話にある「オルフェウスの“冥府下り”」と呼ばれるエピソードから採られている。亡くなった妻を探して冥府に下ったオルフェウスが、無事に妻を取り戻し、あと一歩で冥府を出られるという瞬間、振り返って妻を見てはならないという禁を破って永遠に妻を失ってしまう、という例の話。

 実際、劇中でも主人公の名はオルフェウスであり、妻となる恋人の名は神話と同じユーリディス。というわけで、ヘイディズというのは冥府の王ハーデース、ヘイディズタウンとは冥府のことを指す。ヘイディズの妻パーセフォニ(ペルセポネー)や神々の伝令ハーミーズ(ヘルメス)も出てくる。

冥府の王が歌う楽曲が“トランプの壁”を予言していて話題に

 けれども、舞台上のセットはニューオーリンズのストーリーヴィル辺りを思わせる酒場風であり、トロンボーンを中心にしたバンドが奏でる音楽にはファンキーなニューオーリンズ・ジャズの趣がある。

 もうひとつ言うと、どこからともなくやって来て、酒場で働くオルフェウスと恋に落ちるユーリディスは、行き場をなくした難民のように見える。なぜなら、ヘイディズの歌う「Why We Build the Wall」という歌が“トランプの壁”を思わせるから。

「なぜ我らは壁を築く? 我らの自由を守るため。なぜ壁は自由を守ってくれる? 壁は敵を閉め出すから。敵とは誰のことだ? 敵とは貧困のことだ。敵を閉め出し、我らの自由を守るために壁を作る。なぜなら、我らは持っていて、やつらは持っていないから。」(大意)

シンガーソングライターのアネイス・ミッチェル。写真:Shutterstock/アフロ

 この曲、オフ上演以前の2010年にリリースされたアネイス・ミッチェルの、舞台とほぼ同内容の『ヘイディズタウン』というコンセプト・アルバムに、すでに含まれている。もちろんトランプ大統領誕生の、はるか前の話。当然、メキシコ国境に作られた(作られつつある?)“トランプの壁”を予言した歌として話題になり、オフ上演の際に注目を集める一因にもなったらしい。逆に言えば、“トランプの壁”登場前から、そうした排他的な空気がアメリカ国内にあり、それをミッチェルが鋭く感じとって楽曲にしていた、とうことだろう。

 神話世界の物語を描きながらも、この作品が現代性を感じさせる理由は、そんなところにもある。

『ザ・グレイト・コメット』の演出家とヴェテラン役者陣が生み出す濃密な舞台の魅力

『ヘイディズタウン』が3月にプレヴューの幕を開けたのは、昨年暮れまでブルース・スプリングスティーンのソロ・ショウ『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』が上演されていたウォルター・カー劇場。ブロードウェイの劇場としてはやや小ぶりだが、少人数による濃密な世界を作り出すこの作品には、よく似合っている。

  • ウォルター・カー劇場
  • ウォルター・カー劇場

 とはいえ、3年前のオフ公演以降、カナダのエドモントンからロンドンのナショナル・シアターへと磨きをかけながら上演を重ねて、装置もかなりアップグレードされている。今回の装置はロンドン公演の際に新たに作られたもののようだが、オフ版を知る者としては、かなり驚かされた(詳細は今後観る方のために伏せておくが)。ブロードウェイ作品に相応しい規模と言っていいだろう。

 演出は『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812(略称:ザ・グレイト・コメット)』(Natasha, Pierre And The Great Comet Of 1812)のレイチェル・チャヴキン。神話世界とニューオーリンズ的猥雑さとの魅力的な融合は、彼女の手腕によるところが大きいだろう。

 役者も充実しているが、ことに、一癖も二癖もあるヴェテラン勢が秀逸。オフから連続して出演している冥府王夫妻のパトリック・ペイジ、アンバー・グレイ、ロンドン公演から参加したハーミーズ役のアンドレ・デ・シールズの演技は観逃せない。

 厳しいことを言えば、アネイス・ミッチェルが自ら書いた脚本が若干弱いが、それを補ってあまりあるのがミッチェルの楽曲の魅力。おそらくトニー賞の目玉になると思われる『ヘイディズタウン』。ニューヨークに行くなら、まずチェックだ。

上演日時および劇場は、Playbill(http://www.playbill.com/production/hadestown-walter-kerr-theatre-2018-2019)でご覧ください。

『ヘイディズタウン』の公式サイトはこちら(http://www.hadestown.com/)。

この記事の執筆者
ブロードウェイの劇場通いを始めて30年。オンのミュージカルは99.9%網羅。たまにウェスト・エンドへも。国内では宝塚歌劇、歌舞伎、文楽を楽しむ。 ミュージカル・ブログ「Misoppa's Band Wagon」(https://misoppa.wordpress.com/)公開中。 ERIS 音楽は一生かけて楽しもう(http://erismedia.jp/) で連載中。
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