ヨーロッパには喫茶店というのが確かにあるけれど、大部分のお茶を飲める場所はカフェという名で呼ばれていて、これが、カフェの無い街なんて想像がつかないくらいどこにでもある。

そして奇妙なことに、カフェは文字通りの意味ではコーヒー店であるにもかかわらず、コーヒーそのものの良し悪しが話題になることがほぼない。カフェでコーヒーといえば、どこの豆だが分からないエスプレッソとコップ一杯の水道水がぽんと出てくるものだ。

カフェは芸術、歴史、第二の家

創業300年のヴェニスのカフェ・フローリアン

カフェ・フローリアンはヴェニスの中心、サン・マルコ広場の新行政館1階で1720年から営業を続けている。見事な装飾が施されたファサードなど、店内は一見の価値がある。ゲーテやカサノヴァなども訪れた店は、この地で花開いた芸術・文化を見つめてきた証人でもある。だからなのか、集う人々はどこか誇らしげで、思索や歓談など思い思いに過ごしている。今もマシンは一切使用していないというエスプレッソもこの店の自慢のひとつ。伝統的なものに対するこだわりに、この店の矜持がしのばれる。

1720年創業、現存最古のヴェニスのカフェ「フローリアン」をバルザックは小説中で「証券取引所、劇場のロビー、読書部屋、クラブ、告解室」であり、男たちは手紙を書くにもこのカフェに行く、と言ったけれど、肝心のコーヒー屋である、という一言がない。

事実このカフェの逸話を紐解いても、世界中の人々の会合の場である、イタリア初の新聞の発祥地である、ミュッセとジョルジュ・サンドの恋の舞台である、ワーグナーが自分の曲の演奏に耳を傾けた場所だ、という話はあってもコーヒーの話がない。バルザックはこうも言う。「フローリアンは定義できない施設だ」。

同じことがヨーロッパのどこのカフェにも言える。パリ最古のカフェ「プロコープ」は、文学者はもとより、革命家も集い、芸術のみならず、政治議論も交わされ「パリの真の新聞」とまで称される情報の集約地だった。フランス革命後にはカフェ「オト」から恐怖政治への反抗が始まる。

ロンドンのカフェには革命家、政府のスパイ、作家、恋人たち、近所の店員、あらゆる階級と彼らの情報が集った。コーヒー一杯で長居できることがカフェをそういう空間にしたとか、眠気を誘うアルコールではなく、コーヒーが、カフェに集う人の頭を明晰にし、カフェを思索の場にするという説が出て、はじめてコーヒーが語られるけれど、カフェの主役はいつもそこに集う人間だ。

20世紀初めのパリ、再開発によって都市化を始めたモンパルナス界隈の歴史は、こういう独特なカフェ文化の典型だ。

炭売りから身をおこしたオーベルニュ人による庶民的なカフェに、鉄道の駅が出来たことでブルターニュの牡蠣とクレープがもたらされ、ドイツとフランスの争いを避けてアルザス人がビールとソーセージと一緒に逃げ込んだ結果、モンパルナスには、ビールが飲めて生ガキを食べられるカフェが出来た。

ひとりの時間をいとおしんでいる人や、仲間とともに世情を語り、愛を語り合う人々など、ル・セレクトに集ってくる客は皆、人生を謳歌しに来ているかのようだ。明るい時間のテラス席では、通りを行きかう人々を観察することができ、日が暮れると、店内には昼間よりずっと濃い人間模様が浮かび上がってくる。仕草ひとつにも人生がにじむ渋い男もいて、ここには人間の喜怒哀楽がつまっているといってもいい。そんな情景が、たったコーヒー1杯で垣間見みられるのだから、パリのカフェは面白い。

一方、同じ頃、開発中で家賃が安いことにひかれた新進気鋭の芸術家たちもモンパルナスに集いはじめた。すると若手につられて大物芸術家が集う。議論がおこり、新しい芸術運動がおこり、流派が交流する。芸術の黄金時代がモンパルナスのカフェを舞台に花開いた。

つてもなくパリに渡った藤田嗣治は、モンパルナスのカフェでピカソやマチスと知り合った。勘定を払えない画家たちは自作のクロッキーを料金に代えた。

「ラ・クーポル」で時を過ごすサルトルとボーボワールに共鳴する異国の学生は、二人を見ながら向いの「ル・セレクト」でその著作を読み、母国に研究成果を持ち帰った。

日本でカミュやサルトルがムーブメントを呼んだ背景にも、カフェで思索した留学生の歴史がある。

ヨーロッパでは誰もが行きつけのカフェを持つ。カフェは世界中の人に開かれた、第二の家だ。だからカフェは今日も自由な思索と会話の場でありつづけている。

この記事の執筆者
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