先日友人のフェイスブックを読んでいたら、彼がマルチェロ・マストロヤンニが好きだ、カッコイイと言う。
それはもう、そうに決まっている。で、ぼくはすぐにマストロヤンニのカッコヨサさはダメ男のカッコヨサだって映画評論家の佐藤忠男さんが前に書いてたよとコメントを入れた。
そう、そうなんですよ。イタリアやフランス映画では、スーパーヒーローはでてこない。そういうわかりやすい構図で人生も社会も捉えていないのですね(だって実際そうじゃないもの)。したがってスーパーヒーロー的役者もいない。
マストロヤンニは仕事に行き詰まったり、女でトラブったりするのだけれど、どこかもう絶対的にチャーミングなんだな。
でもスーパーヒーロー大国アメリカでもそういう「ダメかっこいい」俳優が徐々にでてくるようになった。その筆頭がブラッド・ピットで、彼は『ジャッキー・コーガン』のようなドジでハンパな役でもなぜかカッコイイ。その後継者ナンバーワンが『ナイスガイズ!』のライアン・ゴズリングである。
1970年代LAを舞台にしたバディ(相棒)もので、ゴズリングの私立探偵と示談屋のラッセル・クロウがケンカしながらも巨悪を倒すという定番の筋立てなのだが、ゴズリングのダメ男ぶりが凄まじいわけですよ。
探偵のわりには腕力なし、妻に先立たれて酒におぼれるわ、ひとり娘からは「一生幸せになれない男」とクギをさされるわ、いままで『ドライヴ』とか『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』で演じた「哀しい目の色をした孤独な若者」イメージから、『ラブ・アゲイン』でのクールなハンサム役を経て、〈ついにここまできたか〉というほどのダメ男キャラ。
映画冒頭ラッセル・クロウにボコボコにされるあたりで、おいおい大丈夫かよと失望の予感がしたんだけど、ゴズリングは、はっきり言ってダメになればなるほど味をだす(笑)。女性はもちろん男のぼくですら母性愛がでてきちゃうんだから困りもの。
でね、思い出した。ブラピが主演した『スパイ・ゲーム』。ブラピ扮するスパイは中国情報部に捕まりさんざん拷問を受ける。ところがね、目も当てられないほど痛めつけらたブラピだが、それでも美しいわけですよ(笑)。それに通じるものがゴズリングにもある。
なんだろう、あれは「儚さ」かな。少年野球で背が小さいために絶対試合に出場できない少年がそれでも毎夜素振りをしているような、胸を締めつけられるようなを切なさをゴズリングは巧まずして観客に感じさせるのです。あれは天性のものだね。お手上げですよ。ダメ男はヒーローに勝ることができるのです。
ラッセル・クロウは、残念ながら今回は完全にゴズリングの引き立て役に回ってしまったね。お腹まわりがダメだねえ。安仕事の示談屋というキャラクターにはあっているのだけれど。
70sの音楽もよし、所サンが喜ぶようなアメ車もよし。だがこの作品はゴズリングのもの。「男の魅力学」のケーススタディとしてご覧になるのがよろしい。
ゴズリング主演のミュージカル『ラ・ラ・ランド』の公開もぼくはほんとうに待ち遠しい。
- TEXT :
- 林 信朗 服飾評論家