銀座は不死鳥のような街である。廃墟と化しては再生を繰り返すことみたび。最初は明治5年(1872)に起こった大火だ。これを契機に明治政府は、この街を文明開化の象徴にしようとレンガづくりのハイカラな街へと変貌させる。
紳士が集いし銀座の魅力とは
風格と伝統が醸し出す空気感、その源流を探る
しかし、大正12年(1923)の関東大震災によって、銀座のレンガ街はほぼ全域が火災で焼失。またも灰燼に帰してしまう。このとき、結束して復興に向けて動き出したのが、銀座で多様な商いを営んでいた人々。その中には、後に紹介する「はち巻 岡田」の初代・岡田庄次おり、その奮闘ぶりは水上瀧太郎の小説『銀座復興』(岩波文庫)のモデルともなった。
やがて震災復興の機運の中、松坂屋、松屋、三越といった百貨店が銀座に進出。モダンで洗練された街・銀座というイメージが形成されることになる。しかし、今度は太平洋戦争の災禍がこの街を襲う。昭和20年(1945)の4回に亘る空襲によって、銀座はまたも全域が焼き尽くされてしまうのだ。そして終戦後、現在も銀座のランドマークとして君臨する服部時計店(現・和光)を復興の象徴に、今に繫がる銀座が不死鳥の如く蘇ることになったのである。
そんな銀座には、この街の歴史とともに生き続けてきた創業100年を超える老舗が今も数多く存在している。それも単に長い年月を生き延びただけではない。焼失と再生という歴史に翻弄されつつも逞しく商いを続けた人々の営みが厳然としてあるのだ。これは同じく老舗の多い京都にはない、銀座の特色なのである。だからなのか、銀座の老舗には、やわらかく客人を迎えてくれる、緩やかにして上質な本物のもてなしがある。
銀座で暖簾をくぐりたくなる店は、いずれもが実に心地よい。こちらが老舗だからと緊張せずとも、あるがままでいられる居心地のよさがあるのだ。銀座の名店で過ごす際に感じるこの独特のくつろぎ。その空気感を醸成しているのは、間違いなくこの街が幾多の苦難を乗り越え、大切に育んできた上質なもてなしであり風格なのだ。
昭和のダンディたちが銀座に集い、この街をこよなく愛した理由も、そこにあるのだろう。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2018年春号より
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- クレジット :
- 撮影/篠原宏明