麻衣着ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く吾妹
これは日本最古の歌集である『万葉集』の中の一首。「麻の衣を着ると懐かしく思い出されるのは、妹背の山で麻の種を蒔いていたあの娘のことだ」という文意だが、「妹背」には仲睦まじい男女の意もあり、いまや離れてしまった地(紀州)の、縁のあった女性に思いをはせるさまを歌ったものともとれる。
作者は藤原卿。藤原北家の始祖、藤原房前(ふささき)といわれている。時の有力者による、身分が違う女性との、旅先ゆえの一時の逢瀬を連想させるが、特筆すべきは、それが「麻」を契機に歌われていることである。古代から麻が日本人にとっていかに身近で親しみのある存在だったかを、この歌は物語っている。神道では「大麻」と書いて「おおぬさ」と読む。
これは神道の用語で、「ヌサ(幣・麻・奴佐)」の美称だ。神に祈るときに捧げられるものや罪を祓うときに差し出されるものをヌサといい、主として木綿、麻、のちには布帛や紙などが使われた(『神道事典』より)。このことは、祭祀がまつりごとの中心だった古代の日本において、麻が神聖かつ重要なものとして位置づけられていたことを意味している。
平安時代に、宮中祭祀を司ってきた忌部氏一族の斎部の広成が編纂した、古代から天平期までの伝承をまとめた『古語拾遺』にも、麻は鏡・玉・矛・盾・木綿とともに神々の宝として取り上げられている。
そして、天皇の即位に欠かせない大嘗祭には、麁服(あらたえ)という、特別に織られた麻でつくられた衣を着用するとされている。この麁服、今上天皇が即位された後の大嘗祭の際にも、徳島県美馬市の三木家(忌部氏の末裔)によって、原料の麻の栽培から織物づくりまでが行われ、調進(献上の意)されている。これら日本の伝承に登場する麻は大麻(おおあさ、hemp)といわれていて、戦後GHQの指導により施行された大麻取締法により、わずかに許可を得て栽培されているもの以外は、その多くが姿を消してしまった。
他方、日本には苧麻(ちょま)という種類の麻もあり、小千谷縮(越後上布)や近江上布などの原料として、細々とつくられている。中国の『魏志倭人伝』には当時の日本=倭の説明に、「からむし(苧麻の意)」を栽培しているという記述があることから、苧麻もまた日本が古来親しんできた麻の一種といえる。
ところで、古代より続く麻の文化、さらには麻の聖性は、何も日本だけのものではない。麻は古くから、世界のさまざまな地域でファブリックとして利用されてきた。エジプトでは約4000年前のミイラを包んでいた布として、麻織物が確認されている。さらに、その広がりを象徴する、聖なる布となった麻布がある。それがトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている「聖骸布(Holy Shroud)」だ。
新約聖書、ヨハネによる福音書第19章には、次のような記述がある。「彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた」。この記述に登場する麻布が聖骸布であり、かつては複数伝承されていたが、現存するのはトリノの聖骸布のみとなっている。
縦4.36m、横1.1mの杉綾織のリンネル(亜麻)布の上には、痩身の男性像があたかも拓本のように写し出されている。それはイエス・キリストの血染めの遺体を包んだ際に布に移ったものと伝えられ、その存在が発見された14世紀から今日に至るまで、信仰対象となっている。
第二次世界大戦時には、アドルフ・ヒトラーがこの聖骸布を手に入れようとしたが、それを事前に察知した教会関係者によりトリノから南部の修道院に移されて難を逃れたという。その真贋のほどは今日も議論の的だが、素朴な麻布の質感とそこに印された像が醸し出す強烈な存在感は、議論を超越する聖性を有しているともいえる。むしろ粗末な、素朴で普遍的な麻布だったからこそ、その聖性は増しているのかもしれない。
さらに信仰の中において、麻がその素朴さゆえに存在感を放つ例は、近代にも見られる。18世紀にマザー・アン・リーを中心に英国で始まったキリスト教の団体「シェーカー」は、より自由な活動を求めてアメリカに渡り、19世紀に最盛期を迎えた。
彼らは「Put your hands to work,and your heart to God. (その手は仕事をするために、そしてその心は神のために)」といった教義をもち、平等を重んじて自給自足の簡素な生活を実践した。彼らの末裔は現代では数少ないとされるが、ミニマルな美しさで知られる家具などは日本を含め世界でつくられていて、そのライフスタイルは今日なお多くの人々を惹きつけている。
マサチューセッツ州にて、現在はミュージアムとして運営されている「ハンコック・シェーカー・ヴィレッジ」では、そんなシェーカー教徒の日常を知ることができる。そこにはシーツやタオルなどのいわゆるリネン類から、ジャケットやパンツ、またはバッグなどの小物まで、彼ら自身の手で織られたさまざまな麻のアイテムが所蔵されている。いずれも簡素で素朴な味わいをもったものばかりだが、その佇まいゆえに、生活の中に貫かれた強靭な信仰の存在を、感じることができる。彼らにとっては、麻を使う生活自体が、聖なるものだったといえるだろう。
- TEXT :
- 菅原幸裕 編集者
- BY :
- MEN'S Precious2016年夏号「麻」と「絹」の精神史より
- クレジット :
- 構成・文/菅原幸宏