お蕎麦ならここ、お鮨ならここ、天ぷらならここ。伊丹さんは自分の贔屓の店が決まっていて、そこに私や子供たちを随分よく食べに連れていってくれました。
気分転換にいいんでしょうね。仕事が一段落すると自ら台所にも立ちました。酉年生まれだからか卵がとっても好き(笑)。かに玉、親子丼、だし巻き卵をちゃっちゃと器用につくってくれました。「父ちゃんの創作料理」なんていうのもありました。ありものを上手に活用して一品こしらえちゃうんです。今でも語り草になっているのは、子供たちにと用意したある日のお弁当。フランスパンをくり抜いて、空いたところにマヨネーズで和えたシーチキンやトマトやレタスなんかをガッガッと詰めて「ほら、父ちゃんの弁当」って。子供は大喜びでした。自由ですよねえ(笑)。
「おいしい」とはつくり手の顔が見えること
ただ、結婚当初は厳しかった。「このとおりにやればいいんだからね」と、分厚くて立派な料理の本をいきなり3冊ぐらい机の上にバン! と置いたこともありました。あのときは、「困った! 私、大変なことになっちゃった!」と焦りました。でも、結婚したら何があっても添い遂げるものと思っていましたから、本に書かれていたとおりにつくりました。かつお節を掻き、出汁を取って。それをやってみて、しみじみ理解できたんです。彼は本当に「おいしいもの」が好き。まずいものは食べません。
こだわりは強いほうだったと思います。たとえば醬油はわざわざ和歌山の醸造所から調達していましたし、料理を盛り付ける器にも凝っていました。住まいについてもおなじ。湯河原の家の庭にある石畳はいい例です。選定や並べ方まで、ひとりで黙々と納得ゆくまでやっていました。
自分の好きなものに囲まれて暮らしたいという気持ちが強かったんですね。そうかといって、高級志向だったのではありません。食についていえば、フレンチやイタリアンといった本格的な料理も好みましたよ。でも、その一方で、ソース焼きそばやカレーパンといったいわゆる大衆グルメを衝動的に求めることもありました。安くてもいいものはいい。そういうラフさもちゃんと持っていたのです。
伊丹さんが行きつけにしていたいくつかのお店には共通することがあります。それは、料理をつくる職人さんの「顔」が見えること。そして、みなさん、総じて前に出るのがお嫌い。「俺の料理を食べてみろ」なんて押しつけるようなことはなさいません。東麻布にある「野田岩」はまさにそんなお店。伊丹さんは「野田岩」の料理はもちろん、それをおいしく仕上げる御主人の人柄を好いておりました。あの方はあれこれと細かいことはおっしゃらない。ただお客様に喜んでいただくために、黙々と鰻を裂き、黙々と炭火で焼く。鰻への愛情でしょうね、きっと。私はそう思っております。
伊丹映画を観ていただくと、彼の食に対する美意識を感じていただけます。『タンポポ』における「熱くないラーメンはラーメンではない!」というセリフも、『スーパーの女』の主人公・花子が働くスーパーでシンちゃん(鮮魚部門の主任)に「本当に職人の道を貫きたいならスーパーにいたんじゃだめ。自分の魚屋を持つか、活け魚料理屋でも開くべきよ」というセリフもそう。それらに込められたメッセージをどう受け取るかは観ていただく方の自由ですし、私がとやかく言うことではありませんが、伊丹さんが「食」と丁寧に向き合っていたことはおわかりいただけるはずです。
伊丹さんの食に対する好みは、年齢を重ねるにつれて随分と変わっていきました。晩年は、目で見て綺麗なお料理や、あれやこれやと少しずつ出されるお料理よりも、「潔く一皿で満腹になるものが好きだなあ」って。さんざん色々といただいたから(笑)、ズバッとお顔が見えるお料理を好むようになったのでしょう。サービスも含めてね。もし彼が生きていて今の食事情を知ったら、「皆さんグルメ。批評してワイワイと楽しそうだねえ。行列までしてねえ、大変だね。すごいね、そのエネルギーは」と、また伊丹映画をつくったのでは。そして、プライベートでは彼にとって本当においしいものをつくる職人さんのお店を、やっぱり順繰りに回ったことでしょう。
それを大切にするのが、伊丹十三という人なのです。
伊丹十三が通った東京・麻布「五代目 野田岩 麻布飯倉本店」
- 野田岩 麻布飯倉本店 TEL:03-3583-7852
- 住所/東京都港区東麻布1-5-4
- 営業時間/11時~13時30分、17時~20時(最終入店)
日曜・夏季休暇・年末年始・7月と8月の土曜の丑の日休
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2019年秋号より
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- PHOTO :
- 木村文吾
- EDIT :
- 甘利美緒