短い序曲が終わらぬうちに薄い幕が上がると、ほの暗い中に骨格と屋根だけの二階家とそこに佇む人々が、ちょうどゴッホの「夜のカフェテラス」や「星月夜」を思わせる淡い青と黄を基調にした、くすんだ鮮やかさとでも言うべき美しい色合いで浮かび上がる。そして、序曲から途切れることなく歌いだされる「サマータイム」。それを包み込む柔らかいが厚いコーラス。METに久々に登場した『ポーギーとベス』(Porgy And Bess)の世界は、そんな風に始まる。

群像劇的な新演出を支えるコーラスとダンスに注目

 ジョージ・ガーシュウィン(作曲家)が、デュボーズ・ヘイワードの小説「ポーギー」並びに彼が妻ドロシーと共同で書いた同名のプレイを元に、作詞に兄アイラを加えて作ったのが、ジョージ自らが「フォーク・オペラ」と呼んだ『ポーギーとベス』。20世紀初頭のサウス・キャロライナ州チャールストンにある漁師の集落を舞台に、足の不自由な男ポーギーと荒くれ者の情婦だったベスとの愛情が描かれる。初演は1935年9月のボストンで、同年10月にブロードウェイで幕を開けている。その後ブロードウェイだけでも7回のリヴァイヴァル上演が重ねられた、世界的な人気作だ。

ポーギーとベス ©️Ken Howard
ポーギーとベス ©️Ken Howard
メトロポリタン・オペラハウスに大きく掲げられた『ポーギーとベス』の垂れ幕/筆者撮影
メトロポリタン・オペラハウスに大きく掲げられた『ポーギーとベス』の垂れ幕/筆者撮影
劇場前のポスター/筆者撮影
劇場前のポスター/筆者撮影

 MET初登場は1985年。そのナサニエル・メリル演出ヴァージョンは1990年まで4シーズンにわたり上演される人気作だったが、約30年ぶりに帰ってきた今ヴァージョンは、これがMETデビューとなるジェイムズ・ロビンソンによる新演出。オペラとしての『ポーギーとベス』の原点に戻りつつ、今日的で新鮮な感覚の舞台づくりがなされている。

 単なるポーギーとベスの悲恋物語ではなく、近代化の波にさらされるブラック・コミュニティの群像劇の印象が強まっているのは、ロビンソンの新たな演出意図の表われだろう。それを支えるのが、プリミティヴさを随所にのぞかせるゴスペル・ライクなコーラスとカリブ海経由のアフリカ色濃厚なダンス。ことに、柔軟で多様な表情を持つコーラスは全編にわたって作品の濃密な空気を醸成して素晴らしい。ちなみに、ダンスの振付は昨年ブロードウェイ作品『クワイア・ボーイ』(Choir Boy)でトニー賞にノミネートされた若き才能カミール・A・ブラウン。

名曲が次々に歌われるソロ場面も多種多彩でたっぷり

ポーギーとベス_1
ポーギーとベス ©️Ken Howard

 もちろん、ソロの聴き応えは充分。しかも、多彩。ポーギーのエリック・オーウェンズ(バスバリトン)、ベスのエンジェル・ブルー(ソプラノ)の他、「サマータイム」を歌うクララ役ゴルダ・シュルツ(ソプラノ)、「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」を歌うセリナ役ラトニア・ムーア(ソプラノ)、「イット・エイント・ネセサリリー・ソー」を歌う悪役スポーティン・ライフを演じるフレデリック・バレンタイン(テノール)等、それぞれのハイライト・シーンで、聴かせ、魅せてくれる。主要キャラクターではない物売り(いちご売りとカニ売り)の歌声が楽しい場面等もあり、全編にわたって飽きることがない。

ポーギーとベス ©️Ken Howard
ポーギーとベス ©️Ken Howard

 そして、最初に書いたように、装置、衣装、照明が一体になった舞台全体の、ほの暗く淡いけれども鮮やかに感じる色彩感が美しく、心に染み入る。一転、中盤のピクニックに行く島では明るくポップなセットも登場。印象に残る。

 そんな風に様々な面で成果を上げている今回の新演出版を観て、音楽的に強く感じたのは、作品に流れるガーシュウィンの「フォーク・オペラ」的感覚が、例えばこの3月に来日するリアノン・ギデンズに代表されるような現代のアメリカーナ音楽の作り手と直接つながっているということ。そこには、アメリカ音楽の歴史に対する今日的な視線がある。

 METで観るアメリカ産オペラ『ポーギーとベス』は、やはり格別。ライブビューイング上映も人気になること必至だろう。どうかお観逃しなく。

METライブビューイング『ポーギーとベス』

METライブビューイング公式サイトはこちら

上映期間/2020年4月3日(金)~4月9日(木)

再上映日程/6月26日(金)~

この記事の執筆者
TEXT :
水口正裕 ミュージカル研究家
2020.6.5 更新
ブロードウェイの劇場通いを始めて30年超。たまにウェスト・エンドへも。国内では宝塚歌劇、歌舞伎、文楽を楽しむ。 ミュージカル・ブログ「Misoppa's Band Wagon」(https://misoppa.wordpress.com/)公開中。 ERIS 音楽は一生かけて楽しもう(http://erismedia.jp/) で連載中。
公式サイト:ミュージカル・ブログ「Misoppa's Band Wagon」