山下達郎の名盤『COME ALONG』シリーズが再始動し、実に33年ぶりに第3弾を発表、8月2日に新作『COME ALONG 3』をリリースした。また、コーネリアス=小山田圭吾も6月に11年ぶりとなるアルバム『Mellow Waves』をリリースしている。ジャパンポップスシーンのふたりの重鎮に共通する、年齢を重ねて到達する高みとは何か?
年齢を重ね到達する、密度あるポップスとは。
初めて山下達郎の『SONORITE』を聴いたとき、ドキッとしたことをよく憶えている。
ティーンエイジャーの頃から彼の音楽にはかなり親しんできたし、作品のいくつかは今でも聴くことが多い。そんな自分が、その時はひどく当惑したのだった。『SONORITE』は2005年、当時50代の山下が7年ぶりに手がけたオリジナルアルバムだった。
その2曲目、「KISSからはじまるミステリー」を聴いた際に、冒頭の感興を得た。もともとKinki Kidsへの提供曲を改変したこの曲には、ケツメイシのRYOがラップで参加している。その「時宜にかなった」スタイルも意外だったが、それ以上に耳を捉えたのは、山下の声の生々しさだった。
それまで個人的には彼の音楽をあまり「歌」と思って聴いてこなかった。それは周到なコーラスワークや手練のミュージシャンの演奏などで構成される「音楽」として味わうものだった。
ところがこの曲での山下の歌は、迫ってくるような存在感がある。そして、どこか青臭い恋の世界を描いた詞が、それを歌う50代の男性をより意識させてしまうように感じた。
その印象は当時周囲に多く存在した、40代後半〜50代になって、若い女性に恋情を抱き突っ走ってしまう男性たちが放っていたものにも通じるようで、なんとも切ない、独特な艶かしさがあった。
世代を超えた「ポップス」を生む職人・山下達郎だと思っていただけに、そのリアル感はショックでもあった。ポップスであり続けることの難しさがあるのかもしれない、そんな考えすら頭をよぎった。
いま『SONORITE』を聴いても、上記のような印象はなく、他の名作同様、2000年代における山下の重要な記録と捉えることができる。
「KISSからはじまるミステリー」も、その緩めのリズム感が心地よい曲として繰り返し聴くことができる。ただ、最初に聴いたときに味わった感触は、痕跡として、かすかに感覚のなかに残っている。聴くたびにそれをうっすら実感する。あれはいったいなんだったのか、という自問自答とともに。
コーネリアス=小山田圭吾が11年ぶりの新作をリリースするという話を耳にしたとき、まず去来したのが前述の、山下達郎のアルバムに感じた「ドキリ」の記憶だった。
ちょっと恐くもあった。前作『SENSUOUS』、またはその前の『POINT』のアブストラクトな感触のポップネスを味わい尽くした身としては、40代後半の小山田圭吾の男性としてのリアル感が不用意な形で表出するのを懸念していた。
どこかエロティックな印象のジャケットのアートワークは(その印象は単なる勘繰りなのかもしれないが)、懸念に拍車をかけるものでもあった。そして1曲目、「あなたがいるなら」での素朴で直截な詞と歌声は、前述の山下達郎の曲にも通じるものを少しだけ感じさせた。ただ、聴き進めるうちそのサウンドは、歳を重ねた彼の思慮を感じさせながらも、決してフレッシュさを失わず、ポップな魅力を放っていた。
その見た目もあって、デビュー以来彼にはずっと「少年」の印象が伴っていたように思う。フリッパーズ・ギターを経た渋谷系の時代はもちろん、それ以降においても。
そしてその少年のイメージに、「Star Fruits Surf Rider」のような言葉の音感を遊ぶような曲がよく合っていた(個人的にはそう感じていた)。
さらに2000年代にはさまざまな音響的エフェクトがロックやポップスにも持ち込まれる中で、コーネリアスもその潮流における重要なプレイヤーとして、日本のみならず世界で知られていった。
一方で、プラスティック・オノ・バンドへの参加やYMOメンバーとの共演など、彼の「ギタリスト」的活動も近年多く目にするようになっていた。
かつてのコーネリアスの活動においても時折ヘヴィメタルへの傾倒を見せたりしていたから、ギタリスト・小山田圭吾はなるほどと納得できる彼のもうひとつの姿だと思った。
『Mellow Waves』を聴くごとに、これはギタリストのアルバム、ギターが中心となって生み出される音世界だと、強く感じる。それは以前の『SENSUOUS』や『POINT』よりも顕著になっているようだ。
そしてこのことが本作に密度を生み出している。ギターソロ風な箇所も盛り込まれた曲の構成は、ダンスミュージック的循環サウンドに馴れた耳にはやや古風に聞こえるかもしれない。もちろんその点は理解した上で、小山田圭吾はあえてこの形を選んでいる。
ふとプリンスを連想した(彼もギターを自身の音楽の中心に据えていた)。
そしてこのギターへの比重は、時としてナイーヴに響きかねない詞をミニマルな印象に置換しているように感じる。それはポップスを実現する巧みなバランス感覚がなせる業だ。
その中で彼の少年らしさは一種のフレーバーとして、これまた程よく配剤されている。
山下達郎の、年齢を重ねてなお正面突破でポップスへと邁進する姿勢はマッチョな印象すら受けるが(横綱相撲的ともいえる)、それに比べると小山田圭吾のスタンスは実にしなやかだ。
いずれもベテランらしいスキルに裏打ちされたものだが、表れ方の差は世代の違いなのかもしれない。個人的には山下達郎の万年青年的なありように共感を抱きつつも、小山田圭吾のクールなマナーはやはりかっこいいと思う。しかも歳を重ねて、「マエストロ」的風格を感じさせるところもいい。
誰とは言わないが「万年王子」よりは中年男性としてはこちらに惹かれる。女性はまた別かもしれないが。
もっともこの『Mellow Waves』に人間的な温かみがないかといえば、それはむしろ過去のどの作品よりも強く感じられる。それが端的に表れているのが「未来の人へ」という曲ではないだろうか。
直前の「いつか/どこか」のような言葉をサウンドとして楽しむような曲とは対照的に、ナラティヴな歌詞を持つこの曲は、音楽家として、どのように音楽を捉えているかが窺えるものだ。
ポップスやロックの歴史においても音楽そのものを主題とした曲はいくつかあるが、ジャズやクラシックほどには、際立ってはいないように思う。
しかし小山田圭吾はここでそれを実にストレートに、そして完成度高く実現している。彼の言う(歌う)通り、「はるか」、いつもその彼方の地平を漠然と思い描きながら、私たちは音楽を求め、耳を傾けているのかもしれない。
- TEXT :
- 菅原幸裕 編集者