メンズプレシャス編集部からありがたい言葉をいただいた。なんでも好きなことを書いていいという夢のようなオファーである。

海外取材が多いので周囲から羨ましいとよく言われる。

ひとつのところに定住できない持病があるのでこの仕事は天職と思っているのだが、もともと極度の心配性なので、これはこれで苦労が多い。

取材申し込みからフォトグラファーを選んで仕事を依頼し、旅程のオーガナイズまで自分でこなすのだが、取材前日はすべてうまくいくかどうか、心配で眠れない。

そんな性格なのに、なぜこの不確定要素満載の仕事を続けているかといえば、現地取材に行くと毎回その土地でしか味わえない体験があり、その土地に暮らす人でなければ聞けない言葉を聞けるからだ。

通常は何日も、時には何週間もかけて取材しているので、誌面に書ききれなかった話はたくさんある。ここでは今まで書ききれなかった旅の話を書いてみようと思う。

アラン3島の中で最大のイニシュモア島にある景勝地、ドン・エンガス。毎年死者が出るという断崖絶壁は過酷な自然環境を物語る。

数ある取材の中でも、著作となった『ハリスツイードとアランセーター』の取材で行った、アイルランドの辺境にある島々、アラン諸島は忘れられない。

人からは「シングルモルトの聖地、アイラ島に行くのは大変でしょう」といわれることが多いが、アイラはスコットランドのグラスゴーから飛行機で1時間半。私にとってそう遠い場所ではない。

一方、アラン諸島へは東京→ロンドン→ダブリンと飛行機を乗り継ぎ、そこからレンタカーで本土を東から西へ横断する。 東端のダブリンから西端の港町ゴルウェイまでモーターウェイで4時間はかかる。

ゴルウェイからは、空港という規模ではないため地元の人がエアスリップと呼ぶコネマラ発着場から、アラン諸島3島それぞれに毎回、双発エンジンのプロペラ機で飛ぶのである。

東京からはかなり行くのが大変な場所のひとつだと思う。

発着場のチェックインカウンターの横に体重計があり、そこで乗客全員の体重を計るようになっていた。

14kg以上の荷物は積めないので、ハードのスーツケースなどもっての他である。私がスタッフのなかで一番軽いので、フォトグラファーのレンズとカメラが入ったバッグを持って計量。

9人乗りのプロペラ機は左右のバランスを取る必要があるらしく、各自の重量に応じて座席位置が指示される。東京ーロンドンといった都会間の移動にはない、なかなか面白い体験だ。

操縦室というものが存在しないので、パイロットの後ろの席だと計器類がよく見える。飛行前の静かな高揚を感じる瞬間だ。
飛行中。これほどダイレクトに飛んでいること感じ、空と海が近い感覚は初めてだった。

フォトグラファーは空撮をする必要上、毎回乗る前に最前列の操縦士の横に乗せてくれとリクエストを出していた。それで発着場の人全員が私たちが取材で来たのを知っていて、顔が合う度、全員から「いい取材をしてくれ」と励まされる。アイルランドの人は親切だと聞いていたが、ここでは本当に誰もが親切だ。

島が近づいてくる。晴天のアラン諸島は実に美しい。

ゴルウェイから島への飛行時間はわずか10分。すこぶる快適だ。ところが世の中そんなに甘くない。問題は最後にして一番重要なイニシュマン島への飛行で起こった。

朝、いつもの発着所に行ったところ、もはや顔馴染みとなった空港の係員が曇った表情でやってきて、「天候が悪いのでちょっと待っててくれ」という。仕方ないのでそこで待つこと1時間。

降りしきる雨の中、待合所には不穏な空気が立ち込めている。すると再び、彼がやってきた。

「ちょっと聞くが、取材でどうしても今日中にイニシュマン島に行く必要があるんだよな?」
彼の表情は切迫している。
「日本からわざわざ来てるので、今日、どうしても行く必要がある!」とこちらも力説。
「よし、わかった!今日は悪天候で飛行機は全便キャンセルになった。お前たちのためにフェリーを待たせてるから、急いで船着場へ行ってくれ!」

ここで考えている時間はない。空港の係員である彼が持ち場を離れ、フェリー乗り場まで誘導してくれるというので、こちらも焦ってダブリンから乗ってきたレンタカーで彼の後を追う。

発着場から40分ほど走り、フェリー乗り場に到着。そこでハッと気がついた。自分たちのレンタカーをどうするか、そこまで考えていなかったのだ。

「フェリーが待ってるから、すぐ乗るんだ!」と言い放つ親切な空港の係員に、「レンタカーはどうしよう?」とパニックになりながら訊くと、なんと彼が「車は俺が預かって発着場まで持っていく!鍵を貸せ」と言う。

普段、私はかなり用心深いので、海外でも盗難や事故など被害にあったことは皆無である。

いくら空港の係員とはいえ、ここは外国。空港の係官がセキュリティチェックの際に盗難しているという海外のニュースもある。

見ず知らずの他人に車の鍵を渡すことはあり得ないのだが、ここで選択の余地は無い。覚悟を決めて鍵を渡し、荷物を持って、大雨の中、スタッフとフェリーに向かう。

フェリーの係員は私たちを待っていて、乗り込むと同時に船は港を離れた。

今までの快適な10分の飛行が嘘のような大西洋の荒波の中、向こう岸にイニシュマン島が見えているのに、フェリーが近づく様子は全く無い。

船の揺れから気を紛らわそうと、船室の丸型の窓を見ると、水平線が激しく上下しているのが見えて、余計に気持ちが悪い。

一緒に行った編集者とフォトグラファーは、この前の取材がアラスカの捕鯨を追う取材でかなり過酷だったということで、私ほどのダメージはないようだ。

逆に、これくらいで具合が悪くなっている自分がちょっと恥ずかしい。

途中でフォトグラファーが消えたと思っていたが、土砂降りの雨の中、激しく上下するフェリーの屋上で、強風で荒れ狂う大西洋を撮影していたのであった。

そのプロフェッショナルな姿勢に感嘆すると同時に、私も彼の写真に見合った原稿を書かなければいけないと人生最悪の船酔いの中、自分に誓う。

もともと、アラン諸島は西端の孤島、作物は強風のため草木も生えず、貧しい土壌のため作物は育たない。それゆえ産業の無い荒蕪の島ではアランセーターが唯一の産業として発展した歴史がある。

アランセーターをアメリカに輸出した伝説の立役者パドレイク・オショコン氏も、現在、島に雇用と産業を生み出したイニシマン・ニッティング社のターラック・デ・ブラカン氏も、この島に宿るケルトの深淵なる文化と神秘に惹かれてここにたどり着いた。

1時間ほどの航海で無事に到着したイニシュマン島は雨に煙り、なにか不思議なスピリットのようなものが宿っている。侵食されていない、純粋なケルトの精神が残された聖なる土地。苦労の末に島の土を踏んだためか、改めて、そう強く感じたのだった。

ちょっと長くなったので、次回はここで飲んだ人生最高のギネスとレンタカーの顛末を書こうと思う。

アラン島はアイルランドでも珍しい、ゲール語が日常的に使われるゲール語保護地域である「ゲールタハト」だ。ジョン・M・シングの紀行文『アラン島』はこの島を舞台に描かれ、アランセーターの伝説も彼の戯曲がモチーフだとする人も多い。
ハリスツイードとアランセーター
ものづくりの伝説が生きる島
著・長谷川 喜美 はせがわ よしみ
ジャーナリスト。イギリスとイタリアを中心にヨーロッパの魅力をクラフツマンシップと文化の視点から紹介。メンズスタイルに関する記事を雑誌中心とする媒体に執筆している。著作『サヴィル・ロウ』『ビスポーク・スタイル』『チャーチル150の名言』等。

ハリスツイードとアランセーター ものづくりの伝説が生きる島

この記事の執筆者
ジャーナリスト。イギリスとイタリアを中心にヨーロッパの魅力をクラフツマンシップと文化の視点から紹介。メンズスタイルに関する記事を雑誌中心とする媒体に執筆している。著作『サヴィル・ロウ』『ビスポーク・スタイル』『チャーチル150の名言』等。