シャネル『J12 ファントム』は、真っ黒と真っ白のモデルである。両極端を鏡写しにしたどちらもが衝撃的に美しく、またそれ以上に知的好奇心を惹きつけ、心に訴えてくる。なぜ〈視認性〉の常識から確信的に逸脱した腕時計が、こんなにも素敵に映るのだろうか。
一休禅師に「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生れぬ前の父ぞ恋しき」という歌がある。〈闇夜のカラス〉の〈鳴かない声〉、つまりは見えないものの聞こえない声を聞くことができ、生まれる前の父=真理にたどり着けた。本当のことは知覚を超えたところにあると、おなじみの一休さんは悟ったのである。
ワントーンの世界観に魅せられて
シャネル『J12 ファントム』
かつて腕時計は、時間が読みやすいことを絶対的に求めた。だからこそ常識であった白をバックに黒の表示を『J12 ファントム』は、潔く採らない。時刻を読むためだけのプロトコルに従わない姿勢は、時計の新しい時代の意思表明だ。その勇気が『J12 ファントム』の独創的な美意識を生み出している。ラッカーダイヤル、インデックス、ベゼルとベゼル上の数字は、わずかに明度をずらしながらすべてブラック。高耐性セラミックのブレスレットは磨き上げられた黒を輝かせ、リュウズ上にも同じセラミックのカボションを置いた。漆黒によって統一され、墨色のシックな陰影を立ち上げる腕時計の幽玄は、気配を消しながら実は圧倒的な存在感を潜ませている。
ベースとなる『J12』38mmモデルは、2019年から新世代に移行した。ベゼルを細く、リュウズも小さくした、よりシャープなフォルム。時分針と秒針、文字盤上の文字も変更した。ムーブメントもエクスクルーシブ自動巻きに換装された。
この魅惑のリファインの意味を口添えするように、特別な『J12 ファントム』がある。腕時計がただ腕時計であるなら、1本あれば必要は充足するし、それ以上は必要ないだろう。しかし逆説的に、だからこそ心を満たす時計に気づき、欲しくなる。闇夜のカラスのような『J12 ファントム』は、特別に雄弁な腕時計なのである。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2021年冬号より
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- PHOTO :
- 戸田嘉昭(パイルドライバー)