雑誌『Precious』3月号では特集「おしゃれの常識を変えたあの人の「掟破りの美学」」を展開中。本記事ではエッセイスト・光野桃さんが、デザイナーのガブリエル・シャネルについてご紹介します。

光野 桃さん
エッセイスト
(みつの もも)女性誌編集者を経てミラノに居住。帰国後、執筆活動に入る。1994年のデビュー作『おしゃれの視線』(新潮文庫)以来、優しく、美しい言葉に癒やされる読者は多数。近著は『白いシャツは、白髪になるまで待って』(幻冬舎)、『これからの私をつくる29の美しいこと』(講談社)。

タブーをスタイルに変えてクチュリエとして生き抜き、「時代の掟」を破った女

20世紀に、私たちのおしゃれのベーシックの多くを初めて世に送り出したガブリエル・シャネル。いくつもの時代のタブーに挑み、極められたそのスタイルは、ひとりの女性として、またデザイナーとして真摯に生き抜いた証でもあった。

――わたしはスポーツ着をつくった。ほかの女性がスポーツをやっていたからではないわ。自分がスポーツをやっていたからよ。(中略)それは、わたしが初めてこの二〇世紀を生きた女だったからだ――

「シャネルがいなければ、わたしたちはまだ男性用の下着素材だったジャージーの、ストレッチの効いたラクな着心地を知らなかったかもしれない」

1928年ごろ、フランス西部のリゾート地ビアリッツで。動きやすいジャージーのワンピースをまとったシャネルは、颯爽とドライブへ。
ガブリエル・シャネル。1883年、フランス・ロワール地方のソーミュールで生まれる。孤児院での質素でシンプルな暮らしは、後のデザインに影響を与える。写真は1928年ごろ、フランス西部のリゾート地ビアリッツで。動きやすいジャージーのワンピースをまとったシャネルは、颯爽とドライブへ。 ©️Getty Images

「軽やかなアクセサリーを好きなように重ねづけることも、英国の狩りのスタイルからヒントを得たツイードを、ノーカラーのエレガントなジャケットにして着ることも、あらゆる色の中で最もシックな色が黒だということ、そのリトルブラックドレスのすそが、膝が見え隠れする丈でなければいけないことも、すべてシャネルが教えてくれた。

それは掟破りと呼べるような個人的なセンスの在り方よりもっと大きな革命、女が一人で生きるために必要な、十九世紀的常識に真っ向から立ち向かった『反逆』だった。

髪は短く、スカート丈も大胆にカット、バッグには肩紐をつけて持ちやすくする。高価な毛皮はコートの裏に、両手を入れるポケットも必要、そして自身も髪を切った」

お気に入りの女優のひとり、ジャンヌ・モローと。象徴的なツイードスーツは、こうしてリラックスしているときも、女性を美しく見せる。
お気に入りの女優のひとり、ジャンヌ・モローと。象徴的なツイードスーツは、こうしてリラックスしているときも、女性を美しく見せる。 ©️Getty Images

一部のブルジョワ階級のものだったファッションを『金持ちの美学』の地位から引きずりおろし、働く女の日常着につくり変える。同時代の作家、ポール・モランは、そんなシャネルを『皆殺しの天使』と呼んだ。

――わたしはこの新しい世紀と同じ年齢だった。だからこそそれを服装に表す仕事がわたしに託されたのよ。シンプルであること、着心地の良さ、清潔さなどが求められていた。(中略)わたしは今、贅沢さの死、十九世紀の喪に立ち会っているのだ――

「反逆のモチベーションには、貧しい少女期への劣等感や復讐心もあっただろう。苛烈な精神でなければ、時代を牽引することはできない。しかし、それだけではない。一歩も引かぬ構えで二つの時代の境を駆け抜けたシャネルは、最後までクチュリエとしての覚悟をもっていたと思う。彼女は仕事に生きたのだ」

――人生がわかるのは逆境の時よ。いちど葬られても、あがいて、もういちど、地上にもどり、やりなおすことしか考えていないわ。

関連記事

PHOTO :
Getty Images
WRITING :
光野桃
EDIT&WRITING :
藤田由美、遠藤智子(Precious)
TAGS: