雑誌『Precious』3月号では特集「おしゃれの常識を変えたあの人の「掟破りの美学」」を展開中。本記事では、その特集の中から、フィンランド首相のサンナ・マリンさんのおしゃれや生き方の「掟破り美学」について、服飾史家・中野香織さんが寄稿したくださったパートをご紹介します。
軽やかな風をまとい女性たちの可能性を広げる新世代のリーダー
フィンランド史上最年少で首相となったサンナ・マリンさんのしなやかな生き方や、的確な手腕に注目が集まっています。雑誌で披露した衝撃的なポートレートさえ、古い価値観にとらわれず、あらゆる社会的格差をなくして、本質的な社会変革に迫ろうとする新時代の女性リーダーによる、爽やかな宣言のよう!
素肌に黒いジャケットを直に羽織る。胸元のV字の先はバストラインを超え、さらに下方へ潜っている。デコルテには、ネックレスのブルーの石が踊るように配置される。
ロングヘアをカールして微笑みをたたえる美しい女性は、フィンランドの第46代首相である。『トレンディ』誌に掲載された世界最年少の首相、サンナ・マリンさんの写真がSNSに転載されると一大論争が起きた。
「一国の首相の立場にあるのに不適切」「品がない」「コロナ対策に立ち向かうべき時間を無駄にしている」という批判が殺到した。同時に「ファビュラス!」という賛辞も巻き起こった。SNSではマリン首相支持を表明する、素肌にジャケットオンの写真投稿が相次ぎ、写真には「#iamwithsanna」(サンナとともにある)というハッシュタグがつけられた。
プーチン大統領がしばしば上半身裸でスポーツをする姿を公表していることは批判されず、女性の首相のみ服装をとやかく問題にされるのは性差別主義だ、という意見も出た。
論争を傍観しながら、私は2007年の「胸の谷間事件」を思い起こしていた。合衆国次期大統領候補だったヒラリー・クリントンが、教育予算を語る模様がテレビで放映された。
後日、メジャー紙に写真入りで紹介された記事は、教育ではなく胸の谷間の話題だった。クリントン陣営が「アメリカ文化からこの種の下品な狭量さを排除しよう」と抗議したことをはじめ、ヒラリーの1センチの谷間をめぐって、人々はあらゆる視点から議論していた。
あれから14年。世の中は相変わらず、女性政治家に関しては、業績よりも服装や外見を論じたがる。しかし、谷間を見せる女性政治家の意識は、一段高いレベルに上った。
ヒラリーは「うっかり」だった。だが、サンナは、世の反応を認識した行動をとった。この服装は論争になるということを自覚したうえで、自らSNSにアップした。彼女の予想通り、人々は、女性だけに外見や品位を問われることに対し、声を上げた。とりわけ、性差別主義のない、ヒューマニズムを重んじる人々が彼女を援護した。
こうした人々は、モダンレフティストと呼ばれる。マルクス主義に根差すのではない、人間中心主義の21世紀的な左翼のことである。
両親はサンナが幼少時に離婚、母はその後、同性パートナーとともにサンナを育てた。いわばレインボーファミリーの出身である。2018年には長年のパートナーであるサッカー選手との間に娘を出産し、昨年8月に首相公邸で結婚式を挙げた。家族環境、パートナーシップに対する態度そのものが21世紀的なミレニアルズである。
サンナはフィンランドの社民党メンバーでもあるが、社民党と共に連立政権を組む4党すべてのリーダーが女性で、そのうち3人が30代である。ナチュラルなたたずまいの彼女たちの写真から伝わるのは、風通しのよさとそれゆえの頼もしさ。
サンナは、選挙戦の最中には社民党のカラーである赤を効果的に着ていたが、首相として執務するときには黒のパンツスーツや黒ジャケットを着ていることが多い。件の写真も、首相としてのいつもの黒いジャケットのバリエーションよ、という爽やかな風情で着ていることが痛快である。この軽やかな風が、日本にも吹いてくる日が遠くないことを願う。
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 中野香織
- EDIT&WRITING :
- 藤田由美、遠藤智子(Precious)