夜道を自転車で走りながら、大声で歌う若者がいる。きっと、仕事帰りにストレスを発散しているのだろう。そこまでしなくても、直近に聴いた歌を口ずさんだり、頭の中でメロディがぐるぐるとループするのは誰しもあることだ。それがJポップやアニソンだろうと構わないし、反骨の気概あふれる紳士は、「アナーキー・イン・ザ・U.K」かもしれない。だが、人類の歴史と同じくらい長い音楽の、文化的な側面を考えるならば、その頂点にあるのは間違いなくクラシック音楽である。
音楽に貴賤なしとはいえ、クラシック音楽が「宮廷楽」と呼んでもいいぐらい王室との関係が深く、その出自もあって文化的ヒエラルキーの上階におわすのはご存じのとおりである。なかでも交響楽は管弦楽器のほぼすべてが出そろうクラシックの帝王である。曲から、演奏家から、指揮者から、どの角度から掘っても深い。いや、深すぎる。年間ベストパフォーマンス・リストの作成やオーケストラ・ドリームチームの編成など、紳士の知的スノビズムの極である。
ときとして頭で交響楽を奏でている
交響曲は、優れた指揮者とオーケストラの手によって、聴く者にほかには替え難い体験をもたらす。ドイツにあってナチに抗し、音楽を守った硬骨のマエストロ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮を、音楽評論家・吉田秀和は、高い精神性と濃厚な官能性が溶け合ったものと評した。クラシック音楽は、時には異性より魅惑的なのだ。
いかがだろう。クラシック音楽の深淵を覗くことで、人は思考を深め、感性を磨く。初めのうちは何もわからなくて当然だ。まずは音源を手に入れて聴き込み、そして演奏会へと足を運ぼう。いつの日か、頭の中でそのときの演奏が流れてきたら、ちょっとした自慢にしてもいいと思う。
- TEXT :
- 林 信朗 服飾評論家
- BY :
- MEN'S Precious2016年春号『東京ジェントルマン50の極意』より