南部鉄器の歴史は、17世紀の中頃、南部藩主が京都から盛岡に釜師職人を招いて茶の湯釜をつくらせたことに始まる。以来、そうした茶釜から細々とした日用品に至るまで幅広い用途に応じた製品をつくり、発展を続けた。その代表的な製品である鉄瓶は18世紀になって茶釜を小振りに改良したことが始まりで、その手軽さから家庭でも使うようになり普及したと言われる。
今や、南部鉄器は言わずと知れた岩手県の誇る伝統工芸品。脈々と続くその製法を受け継いだ職人たちが切磋琢磨して作り出す製品は、海外でも認められるようになっている。そして、ここで紹介するのは、岩手県奥州市に工房を置く1848年創業の老舗『及富(おいとみ)』。職人15名ほどの小さな町工場のようなそのメーカーが世に送り出す鉄瓶が、実は密かに話題になっているのだ。
アーカイヴの中の魅力的な姿を復刻させた鉄瓶も並ぶ老舗メーカーならではのラインナップ
老舗がずらりと並ぶ南部鉄器の製造メーカーの中にあって『及富』ならではの特徴は、「伝統的なものを踏まえて革新的なデザインを生み出していること」だという。
答えてくれたのは六代目及富の次男・菊地章氏の長男・菊地海人さん。「挑戦し続ける工房でありたいと思っています」と言う海人さんは、幼少の頃より工房で遊んで育った。学生時代にはプロダクトデザインを学び、その後、Web制作、広告業などで経験を積んだ後、2014年に跡継ぎになることを決心して同社に入社。現在はアートディレクターとして製品の企画開発、マーケティングなどを行なっている。
ここで紹介するのは、その菊地海人さんが発売に関わった代表的な鉄瓶。その中でも、鉄瓶初心者にも扱いやすい急須との兼用ができる小容量サイズのものを紹介する。
鉄瓶 正方角あられ 星月夜 0.6L
真四角の鉄瓶。しかも、ハッとするほど美しい青と金のツートーンカラーがなんとも斬新だ。今から30年ほど前に七代目及富がデザインした四角形を基調としたアラレ※の鉄瓶を3年ほど前に復刻したもので、発売当初は日本よりも海外からの支持を集めた。及富の平成の代表作の一つであるという。
四角というこのフォルムは、高い技術をもつ職人にしか作れない難しい形。対角線上に注ぎ口がついているため、お湯も注ぎやすく、日用品としての機能も計算した設計になっている。
そして、アラレを星、蓋のつまみを月に見立て「夜空の借景」をイメージした色とデザインは、画家ゴッホの代表作「星月夜」が発想のベースにあるという。
※アラレとは南部鉄器の伝統的な文様。霰の粒のような凸状の模様で、保温効果を上げるために生まれたといわれる。
鉄瓶 ブラックホール 0.5L
この鉄瓶に映し出された風景、どこかで見たような……。それは、たぶん、「銀河の中心にある巨大ブラックホールの撮影に成功」というニュースで見た写真の記憶。2019年4月に大きく報道されたブラックホールの画像は、「イベント・ホライゾン・テレスコープ」(Event Horizon Telescope, EHT)と呼ばれる、世界中の研究者が関わる巨大な国際共同研究プロジェクトによって得られたもの。日本では同プロジェクトに、奥州市の国立天文台水沢の観測チームが参加した。
そんな偉業に地元(奥州市)が関わったことを記念して生まれたのが、この鉄瓶。ブラックホールを中心に渦巻く赤とオレンジのグラデーションが表現され、伝統紋様であるアラレは宇宙の星に見立ててある。さらに、蓋を開けたときに中に見える茶こしには金メッキが施してあり、美しさへのこだわりも完璧。いつまでも愛でていたくなる。
鉄瓶 スワローポット 0.6L
2020年、菊地海人さんがTwitterにすでに廃盤になっていた商品の写真を上げたところ大反響を呼び、復刻生産に至ったという鉄瓶。海人さんの父、菊地章氏が昭和後期にデザインしたもので、開発当初、細君が「燕みたいね」と言ったことからスワローポットと名付けられたという。
いかにも南部鉄瓶といった姿とは異なる、スタイリッシュなデザインだが、キッチンに置いたときに違和感なく馴染むという声も多い。また、漆仕上げをした木製の摘みを採用して、蓋を開けるときに触っても熱すぎないように工夫されている。ただし、火にかけると本体の持ち手部分は熱くなるため、キッチンミトンなどを必ず使用したい。
鉄分の補給も可能な急須兼用の小振りな鉄瓶
それぞれに個性的な魅力をもつこれら3点の鉄瓶。いずれも小振りなサイズで、茶こしが付属するため、急須としても使用できる。
南部鉄器の急須は一般に内側がホーロー仕上げになっている。そのため、「南部鉄器の急須は鉄分が取れない、という声がすっかり常識となってしまいました。ならば、鉄分補給も可能で、直火で使える急須兼用の鉄瓶を作ろうと開発したのが、このような茶こし付きの鉄瓶なのです」と菊地海人さん。
内部は、ホーロー塗りではなく、釜焼きによる“金気止め”という錆びにくくなる仕上げを行なっている。蓋を開けて中をのぞくと内側がねずみ色になっているのが、伝統技法である釜焼き工程の証。 鉄瓶本来の持ち味である鉄分の補給も可能な、からだにもうれしい急須兼用鉄瓶なのだ。
もちろん、沸かすと舌触りがまろやかなお湯になるという、鉄瓶の魅力はそのまま。大きく重い鉄瓶を使いこなす自信がない、と諦めていた人にとってはうれしい小振りなサイズ。なにより、この美しい姿形に心を動かされるにちがいない。
※3点とも紹介したものより大きなサイズ(容量)の鉄瓶も発売されています。
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- TEXT :
- 堀 けいこ ライター
- PHOTO :
- 島本一男(BAARL)