2008年、銀座一丁目に開いた「クレマチス銀座」。当店の代表兼靴職人が高野圭太郎さんだ。静かなビルの2は靴作りに集中できるうえ、窓から見える鮮やかな街路樹が、訪れた客をほっとさせる。また、当時はすでに「六義」や「テツジ」など、雑誌で話題になっていたビスポーク靴店があったことも出店を後押しした。

今年で13年目。高野さんの話を聞くと、ビスポーク靴店は、修業時代から現在まで続く「靴作りの結論」に近づくための聖域のように思えてくる。

浅草にあった靴の専門学校エスペランサを卒業した高野さんは、プロの靴職人になるには、靴作りひと筋で生きる職人から学んでこそ、やっと一人前になれると考えた。人からの紹介もあり、ある職人の靴を ると度肝を抜かれた。「日本にこんな綺麗な靴があるんだ」と、高野さんは当時の衝撃を話す。その靴を作った人こそ、靴の世界で名の知られた大ベテラン、凄腕靴職人の関 信義さんだった。すぐに工房のある東京・荏原町に向かい、関さんと対面すると、そのギラギラとした目の力強さが今も忘れられないそうだ。

「長年技術で渡り歩いてきた自信、プロの職人のすごみが漲ぎっていました」と回想する。関さんの工房で徹底的に仕事を仕込まれながら、靴作りの重要な工程となる木型作りと底付けを主に習い、およそ1年で弟子を上がった。修業にしては短い時間のようだが、それは違う。

注文主と寄り添う理想的な場所としてのショップ「クレマチス銀座」

美しさを極めた渾身のビスポークと臨機応変に対応できる既製靴

右上/ハンドソーン・ウェルテッドのフルビスポークと、出し縫いのみをミシンでかける九分仕立てのビスポークに分かれている。 3足ともフルビスポークのサンプル。右から、外羽根のレイジーマンモデル、ローファーに見えるワンピース、同店の代表モデルとなるフルブローグ。右下/くびれた土踏まずやソールに飾りゴテを当てた「唐草模様」など、超絶技巧のフルビスポーク。左/2015年から開始した既製靴。ビスポークを受け継ぐ優しいトウシェイプだ。
右上/ハンドソーン・ウェルテッドのフルビスポークと、出し縫いのみをミシンでかける九分仕立てのビスポークに分かれている。 3足ともフルビスポークのサンプル。右から、外羽根のレイジーマンモデル、ローファーに見えるワンピース、同店の代表モデルとなるフルブローグ。右下/くびれた土踏まずやソールに飾りゴテを当てた「唐草模様」など、超絶技巧のフルビスポーク。左/2015年から開始した既製靴。ビスポークを受け継ぐ優しいトウシェイプだ。

「集中的に仕事を覚え、自分を追い込んでいけ」。関さんの職人として生きる厳しさの教えである。長い間習えばいいのではない。自分の色に染まることを決して望まない、独立した本物の職人だったのだ。

高野さんは独立後、ビスポーク靴のアウトワーカーの仕事を得る。アウトワーカーとは、取り引き先の店から、木型と木型を受け取り、一から靴を作る外注の仕事。仮縫いを経て、完成した靴を店に納品。いうなれば、一足いくらで契約する下請けだが、数多く仕事することで靴作りの技術が向上する。

しかし、アウトワーカーとして靴作りに没頭し、少しでも綺麗なでき映えを突き詰めていくと、注文主の足と若干干乖することがあったそうだ。

要するに、実際に注文主の足を見て触って採寸し、靴を作っているのではない。であるなら、やはり注文主と直接話すことが必 だ、と。

靴作りの勘所を熟知した技の積み重ね

● 上右/ひと穴ひと穴針を通して仕上げる出し抜いは、手と顔の角度を決め一定のテンポで作業する。片足で1時間半を要する根気のいる仕事である。●上左/包丁で革を切る作業ひとつも作り手の美学が必要になる靴職人の世界。革包丁を研ぐ。●下右/靴職人にとって道具は体の一部。最も大切な道具が釘抜きの作業で使うエンマ。すくい縫いと出し縫い用の針。甲革のつり込みに使うワニ。 ●下左/甲革をつり込んだ後、1週間を経てすくい縫いへ。靴作りの見せ場となる、腕を左右に大きく動かす作業が続く。縫い紐は、麻紐や合成紐を使い分けるそうだ。高野さんは、楽しんでもらえる靴を作っていきたいと何度も繰り返す。

いわば作り手側が抱える問題解決の糸口をつかむために、高野さんはショップをオープンするにいたったのだ。作り手が、つまり職人が積み上げてきた仕事のさらなる高みにたどり着くために店を開いた、というのはほとんど聞いたことがない。本来ショップは、売るために客に来てもらう空間。

高野さんの考え方は逆で、注文主の客に近づこうとする。ビスポークの本当の意味を実感するために。

さらに高野さんは、「ビスポークの靴は作りっぱなしではいけない。作った後の修理を含め、お客さんと長い付き合いになります」とショップでなすべき責任も語る。

「クレマチス銀座」の靴は、優しい曲面を帯びたなめらかなラウンドトウが魅力である。ビスポークの靴でイメージされやすい、靴の両側が切り立つ主張が強烈なスクエアな形のモデルとは、対極にある控えめな丸いつま先。

「特に参考にした歴史的な靴はありません。ラウンドトウは細身にもなり、ボリュームある形もできます。どこまでがラウンドトウなのか、その広い領域で微妙なバランスを整えています」。作り手の気持ちが強く出ない、優しい表情のラウンドトウが高野さんの好み。靴のフォルムにも注文主に寄り添う思いが溢れている。

花言葉で“旅人の喜び”を意味するクレマチス。靴作りという旅を続けている職人として喜びを感じ、旅人として客がふとショップを訪れたとき、喜んでもらえる靴を作ることが高野さんの矜持なのである。

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2021年春号より
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PHOTO :
篠原宏明
EDIT&WRITING :
矢部克已(UFFIZI MEDIA)