優れた道具が「名品」と呼ばれるのは自明の論理である。しかし、そこには使う人それぞれの想いや、使い方によっていくつもの方程式があるようだ。プロが選ぶ道具には、必然的な理由がある。それがなくては仕事にならないという確固たる存在意義がある。プロが日々の仕事を通じて向き合っている愛用品には、だから確かな名品たるゆえんがあるのだ。MEN'S Preciousが追い求める「名品」とは何か。その究極の答えがここにある
プロにとって名品たる道具とは何か?
今では、あたりまえのようにダウンジャケットやフィールドブーツといったアウトドア・ガジェットがタウンユースのファッション・アイテムとして愛用されている。しかし、1970年代以前の日本で、それはあり得ない光景だった。そんなファッション・シーンをアッという間に一変させたひとりの男がいる。それが、日本初のアウトドア専門店として今や伝説的存在ともなっている「スポーツトレイン」を開いた油井昌由樹さんだ。油井さんは、それまで紹介されることのなかったL.L.ビーンやレッドウィングといったアメリカ発のアウトドア・ブランドを日本に紹介。いわば、道具選びにおける究極の目利きと呼んでも過言ではない存在なのだ。そんな油井さんにとってプロの道具とは何か、伺った。
それは、最高の仕事を成し遂げるための相棒
「俺にとってファッションは、人間という動物の最も外側にある組織、言い換えるならばもうひとつの皮膚だという意識がある。だからファッションっていうのは、第一義的な意味において、体を守るべき道具なんですよ。それは、アウトドアだろうが都会だろうが変わらない。ヘビーデューティであることが基本で、だからいつもそういう格好をして生きている。
道具についてもまったく同じ考え方で、俺にとっては生きて行くために必要な物なんです。それで毎日身につけているのが、ベルトのバックルに忍ばせているジッポーのライターやガーバーのマルチツールといった道具。自分の体ひとつじゃどうにもならないことが起きても、道具があれば対応できるからね。そういう意味で携行しているし、自分の命をそれらの道具に委ねているということなんだよね。もちろん自分もそうだけど、これがあれば人を助けることができるかもしれないから。
要するに、俺にとって道具とは、人が生きて行くために必要なモノだということなんです。道具の本質を語ればそういうことに行き着くんじゃないかな。プロの道具も同じことが言えるでしょ? 料理人が使う包丁だって、要するに人は食べなければ生きて行けないから料理があるわけで、それを生み出すために存在している道具なんだから。どんな道具も、これさえあれば人間が生き延びられる、っていうことに繫がっていると思う。そのためには、使う人間によって応用が利く道具でないといけない。
どんな職種のプロフェッショナルも、恐らくは与えられた道具を自分なりに創意工夫して、最高の結果を導き出そうとしているはず。自分のほうがいかに道具に馴染んで、どう使えばよいモノができ上がるかを考えて日々、使っていると思いますよ。翻って言えば、そうやって道具と格闘することでスキルも磨かれて行くんじゃないかな。
そういう意味では、プロの道具とは名品である必要はなくて、そのプロが最高の仕事を発揮できるかどうかで、初めて名品と呼ばれるようになるのだと思う。俺はそんなふうに考えています」
玄人名品〜1「シャツ仕立ての名人が敬愛するアイロン」
佇まいが美しく、温もりさえ感じさせる
シャツ職人である山神正則さんにとって、なくてはならない道具の筆頭がアイロンである。「シャツをオーダーいただいたお客様に、品物をお納めする最後の工程がアイロンがけです。ですから、自分が心の底から納得した道具で仕上げたい。それが最低限の礼儀だと思うのです。そういう意味でも、アイロンは最も重要なアイテムなんです」
業務用のアイロンは、当然のことながら材質が金属ということもあって「無機質で冷たい印象のモノが多い」と山神さん。しかし、このタキイ電器製の『7型自動アイロン』は取っ手が木製であり、台面のフォルムも先端から後端にかけてのラインが、シャープでありながらふくよかであることから、佇まいがやわらかく感じられるという。「木製の取っ手は実際にプレスをかける際、手に自然にフィットするし、何よりモノとしての温もりを感じます。シャツの仕立ては子供を育てるような感覚があるので、道具も温もりのあるものを使いたかった。その理想に合致した道具がこのアイロンでした」『7型自動アイロン』の重量は、約2.8kg。手にするとずしりと重い。しかし、この重みが適度なすべりと自然なプレス感覚を生み出すという。スチーム機能は付いていない。しかし、熱を加えて生地を端正に仕上げるには、この単機能に徹した潔さが大いに役立つのだと語る。
玄人名品〜2「南極観測隊の隊員が着用するアウター」
国内外の冬山などでも重宝。軽くて暖かい究極のアウター
「極地で着用するアウターに求められる要件は3つ。風を遮断してくれること、体温を保持してくれること、そして外皮が破れにくく丈夫なこと。この3点に尽きます。風に吹かれると体感温が下がります。外は風を遮断し、一番の断熱材になる空気の層を内側のダウンがつくってくれることが何より大切なんです」
そう語るのは、女性記者として初めて第45次南極観測越冬隊(2003年)に参加し、以後も南極1回、北極滞在5回を誇る、極地取材のスペシャリストの中山由美さん。
そんな中山さんが、「南極観測という特殊な用途だけではなく、冬山用のアウターとして、これは名品と呼べる存在」と語るのが、ここにご紹介するモンベルの『ポーラーダウンパーカ』である。
このダウンパーカ、表地には耐摩耗性と引裂強度に優れたシェル素材を採用。内部には、800フィルパワー(フィルパワーとはダウンの品質を表す単位。600前後が一般的な良質ダウンで数値が高いほど高品質とされる。)を誇る良質な「EXダウン」が使用され、軽さとともに極めて高い保温性を確保していることが最大の特徴。また、野外での作業性を考慮して、内外合わせて10個のポケットが取り付けられているのも極地での作業効率を高めているという。さらに、凍傷防止のための樹脂性ジッパー、そで口からの寒気の侵入を防ぐフリース地による二重のインナーカフを採用するなど、寒冷地で作業する人たちのアイディアが細かいところに取り入れられているのも興味深い。
玄人名品〜3「極上ワインを提供する店主が手放せないソムリエナイフ」
程よくこなれた頃の、美しい経年変化も愉しい
ラギオールを使いはじめたのは、20年ほど前のこと。未だあまり出回っていない頃で、見たことがないものだから使ってみようか、というくらいの軽い気持ちだった。
僕たちのようなプロにとって、道具とは毎日使う必需品。だから「何を使っているか」ということよりも、それを「どう使っているか」が大事。姿形が美しいとか、素材が純銀だからなんていうスペック的なことではなくて、どちらかと言えば、頑丈で日々の酷使に耐えてくれそうなものに自然と目がいってしまう。
このラギオールのソムリエナイフも、スクリューの先端を針のように削るという、自分なりのカスタマイズに耐える強度がありそうだなと思ったので手にしたまで。実際、日に何十本とワインを開けても、このナイフはずっと耐えてくれたし、いつも数年間は活躍してくれる。
それまでのものはやっと手に馴染んで来たなと思うとスクリューと本体を繫ぐ部分が折れてしまったり。でもこれはそういうことがない。その上、純銀製なので日々の使用でいい具合に経年変化がついて、実に味わい深い肌合いになってくれる。いい道具は手に馴染んでから長く使える。そして、派手さはないが、用途に対して実に理に適かなっているから別のものに替えようという気がおきない。だから一生使い続けたいと自然に思わせてくれる。そこが名品たる所以だろうか。(談)
玄人名品〜4「洋服のリメイクやカスタマイズを手がける専門店主人愛用のハサミ」
疲労感の少ない道具こそ名品たる物の条件
私が服のリフォームを専門に行う店を立ち上げたのは、ヨーロッパのように上等な服を修理したり、トレンドに合わせて仕立て直したりして大切に着続ける行為、言い換えるなら本当にいいモノを大事に使い続ける文化を日本に根付かせたかったからである。そのためには、時に服を新しくつくるに等しい創造性と高い技術力が必要であると考え、自分なりに仕事のクオリティを上げる努力をし続けて来たつもりだ。
この庄三郎のハサミもそんな過程で出合った道具であり、今では決して手放すことのできない相棒のような存在となっている。
まず何よりその大きさがいい。自分が使っているのは全長28cmのものだが、この大きさで左手用の既製品は他にはない。また、とにかく切れ味が鋭く力がいらないので、圧倒的に疲れにくい。毎日の仕事をこなす上で、疲労感が少ない道具というのは職人にとってとても大切なこと。これこそ名品と呼ぶべき条件の筆頭に上げられるのではないか。また、使い込むほどにじんわりと手に馴染んでくる感触は、冷たい印象しかない刃物とは思えぬほどで、血の通った生きもののようにも感じられる。だからこそ、毎日でも使っていたいと思わせてくれるし、愛着も湧くのだろう。(談)
玄人名品〜5「自転車ツーキニスト御用達の電動アシスト・バイク」
名品は革新的な物の中からしか生まれない
自宅から勤務先まで、毎日自転車で通い自転車ツーキニストの異名を持つ疋田智さん。そんな自転車の達人ともいえる疋田さんがすすめる自転車の名品は、意外にも電動アシスト自転車だった。「本来は体力勝負のスポーツ・ロードバイクなのに、楽ちんな電動アシスト付き(笑)。一見、矛盾した邪道の極みのように見える電動アシスト・ロードバイクですが、乗ってみるとアップダウンの多い東京のシティコミュートにぴったり。上り坂ではパワフルなアシスト、しかし、フラットな道ではアシストレスでハイスピードを実現。それが自然にシームレスに実現します。ものすごくアタマのいい自転車なのです」
このヤマハ『YPJ-R』、電動アシスト付きとはいえモーターユニットが小さく、パッと見には普通のロードバイクのようで確かに違和感がない。それを実現しているのが、ヤマハが新開発したペダルのクランク軸をそのまま回す電動ユニット。従来のチェーンを引っ張るタイプに比べて圧倒的にユニット自体を小型化できるというメリットがある。さらに、美しい質感のアルミフレームを採用した上で、基本の部品に、SHIMANOの名品『105』シリーズを採用。通常のロードバイクとして見ても妥協のない仕上がりに名品の香りが漂う。「名品と呼べるモノは、機能的に優れていることはもちろんのこと、色、デザインなどの見た目も重要になってくる。いい道具は、常に革新の中から生まれてくるもの。この自転車も機能、デザイン、何より先見性という点において、これからの名品と呼べる逸材だと思っています」
玄人名品〜6「革靴のリペア職人が開発したエプロン」
靴磨きという最高の時間をより快適なものに
革靴のリペアを専門に扱う工房として、22年前にオープンした「ユニオンワークス」。その代表である中川一康さんに、靴に対する想いを伺うと次のような答えが返ってきた。「気に入った一足にブラシをかけてやるとき、磨き終わって鈍く光る一足を眺めているとき、最高の時間を過ごしていると実感します」
そんな中川さんが、靴磨きという至福の時をさらに快適なものとするため、自らの工房で制作したのが、このオリジナルのエプロンだ。
特筆すべき点はふたつ。ひとつは、椅子に座って膝ひざ上で磨くことを考慮し、膝下までしっかりカバーする着丈の長さを確保したこと。さらには、膝の上に重い靴を置いて作業しても、決してへたることがない、ハリのある丈夫な生地を採用したこと。ウエスト部にはひもがあり、結ぶと膝上の作業スペースがダブつかないという配慮もなされている。いずれも快適な靴磨きをする上では欠かせない要素で、「これがあれば、靴磨きの時間がさらに充実するはず」と語る。「どんな道具にも言えることですが、いい道具とは長い時間に亘って使用できる耐久性があること、また使い続けたいと思える質実剛健なデザインであることが大切だと思います」
このエプロンにはそんな中川さんの想いが込められているようだ。
玄人名品〜7「腕利き理容師が手がけたグルーミングアイテム」
すべては顧客のために、それが優れた道具となる
現在、都内で7つのサロンを展開する「ザ・バーバー」。代表のヒロ・マツダさんは、卓越した技能者のみに贈られる「現代の名工」を受賞した腕利きの理容師である。そんなヒロ・マツダさんが日々の仕事で愛用しているのが、自ら開発に携わったオリジナル・レザーである。
「以前、お客様から顔を剃ってもらいたいけれど、肌が痛くなるのが困るという声をよく聞かされていました。理髪店で使う一枚刃のレザー(写真中)は、髭はよく剃れるけれども、どうしても肌を痛めてしまう。では、どうすればよいか。考えに考えて、肌に圧をかけずに安全に剃ることを目的とした、一般にも売られている2枚刃、3枚刃のレザー・ヘッドを活用することにしたのです。これで剃ると肌に負担がかからないから、痛みが出ない。その上で、ヘッドを顔の形や凹凸に合わせて回転させられるようにし、理容師が仕事をしやすいような工夫も施しました。どうすれば的確に、安全に髭剃りができるか。そのための技を道具の開発に注ぎ込んだのです」
真に優れた道具、即ちプロにとっての名品とは「使う人間のためではなく、お客様のためにあるもの」だとマツダさん。「お客様が満足され、快適な時間を過ごせるような道具こそ真の名品」とも語ってくれた。
玄人名品〜8「世界の旅先で、創造力の発露となってくれるカメラ」
すべては顧客のために、それが優れた道具となる
僕はカメラを使用するとき、いつも標準レンズしか使っておらず、望遠レンズやズームレンズは、ほとんど使わない。撮影したい対象に自ら歩いて寄ったり、または離れたりしながら撮影をしている。この撮影スタイルを僕は「自分ズーム」と呼んでいる。
だから、近くに寄りたくても寄れない状況で時には撮影しなければならないし、逆にもっと離れて撮りたいけど、後ろに障害物があって離れられないから、その場所にとどまりながら撮った、ということもある。つまりは、その場に即した状況でしか撮影しないし、逆に言えばその事実がすべて写真に写る。それも写真の持っている面白さだと思うのだ。
自然を相手にして撮影していると、このカメラには助けられることが多い。ニッコールのレンズを採用しているので、明るくて描写のやわらかい絵が撮れる。何より、中判カメラなのに折りたたみの蛇腹形式なので、コンパクトなサイズで持ち運びできるのがとても便利だ。フルメカニカルカメラ故に、電池が必要ないという機構も極地や寒冷地ではありがたい。
機能性が高いのはもちろん、見た目も機械と呼ぶに相応しい存在感がある。機能に特化した物が、得てしてデザインの面から見ても優れていることは多いが、これはそのお手本のような存在。それもこのカメラが名品だと思える理由かもしれない。(談)
玄人名品〜9「自動車批評のスペシャリストが手放せない「七つ道具」」
道具で大事なのは機能性と耐久性。情緒の入り込む余地はない
一台の車に乗って試乗記を書く。それを読んだ読者は何百万、時には数千万もの大金を叩いて車を購入する。だから、自動車批評にはそれ相応の覚悟が必要だと思うのだ。そんなわけで試乗記を書く際には、現場に必ず持って行く「七つ道具」がある。
試乗とは時に数時間、与えられても数日間という短い期間の中で行われる。さらにはメルセデスの『Sクラス』にも乗れば、ポルシェの『911』にも乗ることになるので、極力、車同士の相対評価にならないよう常に感覚をリセットしておきたい。そのためにこれらの道具を駆使するわけだ。その意味で道具には、見た目が美しいとかこのブランドが好きだからという情緒が入り込む余地はない。また、壊れてもすぐに替えが利くありふれたものである必要がある。メジャーはステアリングセンターとシートのオフセットを見るために吊るして使えるスチール製の重量感のあるモノを、ノギスはステアリング径が適正かどうかを測るためにパーツを傷つけない樹脂製を、エアゲージは常にタイヤの状態を適正に保持したいので、狂いのない小型をと選んでいったら、ここに紹介したモノに行き着いた。
プロが選ぶ道具とは、つまり単一機能に徹した揺るぎない品質のモノということになる。
名品とは実はそういう品を指している言葉なのではないだろうか。
玄人名品〜10「レーシングチームのメカニックが手放せないツール」
コンマ1秒を争うレースシーンにおける信頼度の高さ
現在、国内で最も人気の高いモータースポーツと言っても過言ではないスーパーGT。中でも各メイクスが主にGT3カテゴリーの車両を用いて鎬ぎを削るGT300クラスは、レース毎に熾烈な戦いが繰り広げられ、特に盛り上がりを見せている。ここでチーフエンジニアを務める鈴木直哉さんは、サーキットのガレージにおいて、ポルシェと同じくドイツを代表する工具メーカー、ハゼットのツールセットを主に愛用しているという。「ハゼットのいいところは、ミラー系ツール(鏡面仕上げ)の代表格であるブランドのスナップオンなどとは対極にある質実剛健さにあると思います。特にスパナやメガネレンチは手に馴染みやすく、しっかり握れる点がとてもいい。表面が梨地なので手にしっくりとくる。
だから、力が入れやすくて作業していても疲れにくいのです。さらに、ソケットレンチを含めて、それぞれの加工精度がとても高いので、ボルトやナットをなめることがない。とても信頼のおけるツールだと感じます」
コンマ1秒をかけて争うレーシングカーのメンテナンスを担当するだけに、ツール選びには1点の妥協も許されないのだ。
玄人名品〜11「洗車の達人が推奨するカーケアアイテム」
環境性能にも配慮した英国王室御用達
「世の中には、ボディを美しく保つためのカーケアアイテムが星の数ほどもありますが、このオートグリムの『スーパーレジンポリッシュ』が特に優れている点は、クリーナー効果と、ツヤ出し保護効果を、これ1本で高いレベルで実現できることにあります。これさえあれば、ボディの完璧なクリーニングと同時に、特殊配合のコンディショナーによって、塗装面に深いツヤを生み出す強固なコーティング皮膜を同時につくることが可能になるのです」
そう話すのは、ホテルニューオータニのガーデンタワー内で洗車場を展開する「プレミアム・カーケア・ジャパン」のスタッフ田代直也さんだ。車好きならばよくご存じのように、英国製のオートグリムは、英国王室から2つのロイヤルワラントを授かるカーケア・ケミカル用品のトップブランドである。
50種ものラインナップを誇るアイテム数の多さとともに、自動車のボディを完璧に保つための先進のテクノロジーを追求し続けていることが最大の特徴。環境保護の観点から生分解性クリーナーの開発をいち早く行うなど、環境への配慮でも最先端をいくことで知られる。
「ケミカルな製品にありがちな、鼻につくようないやなにおいがしないことも魅力で、爽やかな柑橘系の芳香によって、より快適な環境で洗車に向き合えるのもオートグリムの製品が優れている点だと思います」
玄人名品〜12「魚の目利きたる寿司職人が愛用する包丁」
何よりも、慣れた道具でありさえすれば
東京・渋谷にほど近い、神泉のマンションの一室にその鮨屋はある。存在を知らなければ店があることさえわからない。しかし、本物の鮨を食べたいと願う客が、夜ごと集う店として名高いのが「小笹」である。
主人の佐々木茂樹さんは多くを語らない生粋の職人気質。自らが仕事で使う有次の包丁についても、「毎日通う築地の場内に店があったから、たまたま手にしただけのことです」と涼しげに答えるのみ。しかし、その研ぎ澄まされた柳刃包丁の姿を見れば、仕事で使う道具に対する真摯なまでの想いが、静かにではあるが確実に伝わってくるのだ。
「包丁は毎日研いで使うものなので、慣れがいちばん重要なんじゃないでしょうか。僕は鋼が比較的やわらかい有次の包丁にこの25年で慣れてしまった。だから、もうこれ以外に手を出す気にはなれない、ただそれだけなんです」
佐々木さんにとって、道具は日々の仕事を真っ当にこなせるものであればそれでよく、「たまたま出合ったモノを日々手入れして大切に使っていれば、どんな道具でも愛着が湧いてくるし、自分が道具に慣れていく。包丁も同じで、自分なりの使い方をして毎日自分で研いでいれば、重さとか硬さとかにこちらが慣れるもの。それより何より、僕らはいい鮪さえあればそれでいいんです。いい鮪を、お客様の前で美しく切れる包丁があるなら、即ちそれがいい道具なんでしょうね」と語ってくれた。
玄人名品〜13「釣り名人の作家が10年来、使い続ける渓流竿」
竿を振るとき、魚を寄せるときのバランスがいい
竿に求めるポイントはいくつもあるが、これは軽くて持ち運びに便利だし、一日中振っていても疲れないので、渓流に行く際は必ず携行している。最近の竿はどれもカーボン製で軽くていいが、自分には竿全体の重量バランスがよく、この竿がいちばん合っている。だからこの10数年来、この長さの渓流竿はこれ1本だ。竿は手でモノを摑むように、常に手先の一部であってほしい。眼で見たモノをすっと手でキャッチできるように、竿も狙ったポイントに毎回仕掛けを正確に落とせることが大事。その意味でもこの竿は、自分の脳と竿先が直結している感覚がある。自分にとってのいい竿の条件を、すべて満たした名品だと思っている。(談)
玄人名品〜14「名宿の主人が偏愛する万年筆」
使っているうちに愛着が増すのもいい道具の条件
「他のブランドにはないモダンさと、全体の雰囲気に妙な色気を感じたのがこれを手にしたきっかけです」
湯河原にあるミシュラン2つ星の旅館「石葉」の主人・小松秀彦さんはその出合いをこのように語る。
「でも初めは、なんだかインク詰まりは起こすし、書き味もさえなかった(笑)。でも、こちらが扱いに慣れたせいか、使い続けていたら書き味も当初より数段よくなりました。実は、この辺りが手放せない理由なんですね。つきあいづらさを超えたところに愛が芽生えるとでも申しましょうか。ここに至って、自分らしい文字が書けるようになったので、私の中ではこれぞ名品と感じている次第です」
玄人名品〜15「最高のコーヒーを生み出す名人が愛するコーヒーポット」
機能性と美しさを両立した希有なるポット
東京・世田谷を拠点とする「堀口珈琲」の主人・堀口俊英さんは、コーヒーのプロとして、独自の美意識を投影した道具選びにも定評がある。その好例がこのポットである。
「コーヒーポットは湯量を自在にコントロールでき、狙った一点に湯を注ぐことができるかどうかが重要です。即ち、自分の手の延長のように扱えること。しっかり握れる大きめの持ち手と、絶妙な角度で伸びる注ぎ口が、ポット内部の情報をしっかりと伝えてくれる。デザインの美しさは言うまでもありませんが、銅製なので使い込むほどに色合いが変化し、モノとしての味わいが増すのも重要なポイント。道具を使うことの醍醐味を感じられる逸品です」
玄人名品〜16「現代アートシーンを席巻する絵師が手放せない定規」
道具は手足の延長。至らないところは創意工夫する
この定規は、鳥瞰図的な街並みや、建物の窓枠、林立する柱など、等間隔で平行線を引きたいときに重宝しています。目盛りをたとえば2.5mmなどに設定すると、定規を上下に動かすだけでそのピッチで固定されますので、何本もの平行線を割と楽に描けるんですね。ただ、それほど精度の高いものではないので、もっと細かい線を描きたいときなどは、筆の当て方を工夫するなどしないといけない。でも、道具の至らない部分、不便なところをどうにか往いなして描いていると、新たなテクニックが生まれたりして(笑)。そういうところが実はいい道具の要件なのかもしれない、などと思っております(談)。
玄人名品〜17「究極の靴磨きを実践する職人御用達のブラシ」
小判形のシンプルなデザインも名品たる所以
上質な靴を愛着ある一足へと昇華させる靴磨き。この靴磨きに特化した専門店「ブリフトアッシュ」の長谷川裕也さんが、手放せないという逸品が江戸屋のブラシだ。
「小判形の持ち手がしっくり手に馴染み、高品質な毛がたっぷりと植えられているので、とにかく使い易いのです。磨きの各工程が的確に行えるし、日々、数えきれない靴を磨いても毛が抜けたりしないので、耐久性が高いことも素晴しい。愛用の道具とは、言い換えれば仕事の相棒。仕事を究めたければ自然と高品質な道具に行き着くし、そういうモノは不思議とシンプルで普遍的なんです。このブラシを見ていると、僕もこんな職人になりたいと思います」
玄人名品〜18「新進気鋭のシェフが 見出したカトラリー」
見た目の美しさが物語る機能性の高さ
東京・恵比寿にある「ゴロシタ.」は、吟味された最高の素材を、繊細な味わいでシンプルに提供してくれる希有なイタリアン。店主の長谷川慎さんが選ぶカトラリーもまた、端正にして料理の味わいと同様に切れ味が鋭い。
「サラディーニは、とにかく切れ味がすごい。肉を切る際に、刃をスッと入れるだけでストレスなく切れる。ですから、お客様が切ることではなく食べることに集中できる。料理人の側から言えば、肉の繊維を傷つけないので、素材本来の味を損なわないのが一番のポイントです。デザインもシャープでスタイリッシュだし、何よりその美しさが機能のよさを物語っている。よい道具とはこうあるべしという、お手本のような存在ですね」
玄人名品〜19「住宅建築の名手が必要に迫られ開発したゲージ」
デザインした結果を正確に見定めるための道具
豊かで心地よい空間と、上質でシックな佇まいの住宅を手がけることで知られる建築家・中村好文さん。端正で美しい設計手法は、建築だけではなく家具にも発揮される。
「家具のデザインをする際、椅子の持ち手やテーブルの角の手触りを大切にしています。その角の丸みを数値としてきちんと把握するためにこの道具をつくりました。角を半径3㎜のアールでデザインしても、でき上がった物が本当にその丸みになっているかどうか、計測する道具がなかった。だから自分でつくることにしたんです」
道具単体として見ても美しい。まさに用の美の見本。時に名品とは、その道のプロが仕事を完遂するための発想から生まれるものなのだろう。
玄人名品〜20「住宅建築の名手が必要に迫られ開発したゲージ」
デザインした結果を正確に見定めるための道具
京都・花背にある美山荘は、地場の野草を主体とした「摘つみ草くさ料理」で知られ、美食家たちが密かに通う隠れ宿である。その四代目当主・中東久人さんは、山の幸を追い求めて日々山に入るという。その際に欠かせないのがフィールド・ブーツなのだ。
「山では夏冬ともに多種多様なシーンがあり、ふたつのブーツを使い分けています。特にカミックのブーツは保温性が高く、積雪の中でもつらい思いをすることがない。何より双方ともに色やデザインが山の風景に溶け込むので、履くことそのものが愉しみになる。いい仕事をするためには、その仕事に集中できる環境づくりが大事。その意識をサポートしてくれるモノが、いい道具の条件だと思います」
玄人名品〜21「音楽プロデューサーが将来の名品と語るスピーカー」
見た目の美しさが、優れた道具であることを物語る
スタジオ業界以外ではあまり知られていないことかもしれないが、名品と呼ばれるスピーカーは確かに存在する。時代によってそれが異なるのは、その時代によって求められてきた音が違うこと、プロセスが違うこと、そして機械そのものが違うからだ。具体的に挙げるならアルテック『A5』、タンノイ『SRM』、オーラトーン、ヤマハ『NS-10M』、プロアック等。プロの道具に於おける名品はとにかく「わかりやすい」ということがキーワードになるだろう。言い換えるならば音が見える、ということ。見えるからその先にどう作業したらいいのかわかる。基本条件は飾り気が少なくバランスがいい、ということに尽きる。それでいてある程度以上は気持ちいい音。長い間聴いていて気持ちよく、そして疲れないことはプロの道具の必須条件だ。エンジニアはいろいろな音量でチェックするから、幅広い音量の中でバランスがいいということも大事かもしれない。
アンフィオンは今の僕のレコーディングスタイルに対応すべく、エンジニアのGOHさんに教わり購入に至った。まだ世の中に多く出ていないので果たしてこれが名品として語り継がれるかどうかはわからない。ただ、現代の96kHzプロトゥールス録音に於いては圧倒的に音が速く、3Dで現代的な音がする。これを使った音楽家たちの中から名作が多数生まれれば、このスピーカーは将来名品として語り継がれるはずだ。
玄人名品〜22「野鳥カメラマンが手放せない双眼鏡」
遠くのものを正確に捉え短距離のものも的確に見える
私は野鳥写真を撮ることを生業としているので、フィールドへ出るときはカメラだけでなく、双眼鏡も必須アイテム。野鳥撮影をするためには、その野鳥をよく知ることが一番の近道で、生態観察はとても重要だ。また、鳥が食べる植物や昆虫も撮るし、生息地の環境などを知ることも重要で、野鳥を取り巻く自然全体に気を配らないと良い撮影はできないと思っている。そんな私の強い味方で、いつも頼りにしている双眼鏡は、興和光学の『GENESIS 33 PROMINAR 8×33』。
この双眼鏡は、まず解像力が良く、色収差が全くない。野鳥はちょっとした色の違いで、種類が違うことがあるので、自然そのままに見えることはとても大切だ。また、完全防水なことも大きな安心要素。そして、一番気に入っている点は、最短焦点距離が1.5mだということ。双眼鏡は遠くのものを近くに見るための道具だと思われるだろうが、私は近くのものを見るときにも使っている。トンボやチョウなどの細かいところを覗いたり、小さな花の形状を見たりと、毎日出番は多い。
これを使い始めてから8年近くなるが、良い双眼鏡に出合えたものだと、いまだに嬉しくて、これからも大切に使っていこうと思っている。
玄人名品〜23「ゲストリレーションズの支配人が制服に忍ばせているメモパッド」
手のひらサイズの上に、ポケット付きで何かと重宝
ゲストリレーションズは、宿泊、宴会、レストラン利用など、ホテル内における、あらゆるお客様の案内係です。ホテル内にいらっしゃるすべてのゲストのご要望に、即座にスマートにお答えすることを何よりの責務としています。ですから、ゲストのご質問等には素早く対応しなければなりません。その際に大いに役立つのがこのメモパッドなのです。お客様のご意見、ご要望を即座にメモに取ったり、また横に付いたポケットには駐車券や小さなガイドマップ、外国人向けのタクシーカードなどを忍ばせておき、必要なときにすぐに取り出せるようしています。私にとってなくてはならない必需品です。これを手にしたのは15年ほど前。
クレイン製ということで、上質な革を用いているので気に入りました。以来、これまで毎日使い続けていますが、未だに新品同様の使い心地でとても重宝しています。もちろん、手入れはしますが、質の高い物は長持ちしますし、使うほどに愛着が湧く。さりげないモノですが、機能美にあふれた名品だと思います(談)。
※価格はすべて税抜です。※価格は2016年冬号掲載時の情報です。
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2016年冬号 その道を究めた玄人愛用名品25より
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- クレジット :
- 撮影/戸田嘉昭・唐澤光也(パイルドライバー) スタイリスト/石川英治(tablerockstudio)構成・文/渡辺倫明