CGの技術は飛躍的に進化し、今や故人となった俳優や、ベテランの域に達した女優の若き日の姿まで蘇らせることができるほど。だが、たとえ数秒間の映像に膨大な時間と予算をかけたものであっても、所詮それはつくりものでしかない。見返すほどに粗が出てきて、感動はしぼんでいく。その点、手づくりが当たり前だった1970年代までの映画には、本物の魅力が備わっている。イタリアが誇る巨匠、ルキーノ・ヴィスコンティはご存知だろうか。壮大なセットを前に、名優たちが全力で演じた刺激的な名作は、心に深く突き刺さる。未見の方も、昔観た記憶があるという映画好きも、映像ソフトを手に入れて、自室でラグジュアリーなひとときを過ごしてみてはいかがだろう。

 ルキーノ・ヴィスコンティ。映画に思いを巡らせるとき、このイタリアの巨匠の存在を無視できる者はいない。

 ヴィスコンティの代表作のひとつ『山猫』を観ると、だれもがその絢爛豪華な舞踏会シーンに息を呑み、延々と続く貴族の日常描写にウンザリとし、最後は老いと貴族階級の失墜を静かに受け入れる主人公に涙する。

 そして強烈に悟るのだ。今まで自分が観てきた映像作品とは「モノが違う!」と。『地獄に堕ちた勇者ども』に充満する背徳的官能のにおいも、『家族の肖像』に漂う退廃的エレガンスも、『若者のすべて』の徹底した暗さも、すべてメーターを振り切っている!

 デジタル全盛の今、われわれはあらゆるCG映像を楽しむことができる。だが心のどこかでデジタルなつくりものを冷めた目で見ている自分がいることに気がつかないだろうか。

 ヴィスコンティのつくる研ぎ澄まされたナイフのような映像は、私たちのそんな迷いに容赦無く刃を突きつけてくる。

ヴィスコンティの官能と背徳を体現した男たちの肖像

「俳優を競馬馬を扱うがごとく丁寧に扱い、忍耐と演出術のありったけを尽くして演技の指導に打ち込む」これはヴィスコンティについて語ったアラン・ドロンのことば。20世紀の巨匠に選ばれし男優たちの美学の結晶である名場面をリピートする。

豪華絢爛な場面で見せつける世紀の競演

「ぱっと燃えて1年、あとの30年間は灰だ」柳澤一博著『ヴィスコンティを求めて』より

 ヴィスコンティ映画のまぎれもない代表作である『山猫』は、イタリア統一戦争時のシチリアを舞台に貴族の没落とブルジョアの台頭を描いた歴史絵巻。原作小説の作者ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサも貴族の末裔であり、ヴィスコンティ自身の心情が投影された作品だと見なされている。

 主人公サリーナ公爵は何事にも動じず、激動の時代を超然として生きるが、複雑な性格の持ち主でもある。粗野にもロマンティックにも、ときには愚かにさえなった。ヴィスコンティは公爵役にローレンス・オリヴィエを想定していたが、実際の配役はバート・ランカスター。威厳に満ちながらも繊細で気難しい公爵をランカスターは見事に演じた。何より、ランカスターの巨軀は原作にある母方のドイツ人の血を引く公爵の姿に適ったもので、圧倒的な存在感を放った。

 公爵が、月並みな自分の息子以上にかわいがっているのが甥のタンクレディ。快活で眉目秀麗、時代の変化に機敏に対応して生きるタンクレディ役は、’60年公開の『若者のすべて』で、すでにヴィスコンティから学ぶという修練を経験していたアラン・ドロンが挑んだ。

 サリーナ公爵の最後の大仕事は、新興ブルジョアの娘アンジェリカとタンクレディを結婚させること。そして、舞踏会でアンジェリカを社交界にデビューさせる。クライマックスはアンジェリカにせがまれて公爵がワルツを踊る場面。輝くばかりに美しいアンジェリカと終焉の近づくサリーナ公爵の姿は、とてつもなく優美で官能的だ。ふたりを遠巻きにする人々に混じりタンクレディが公爵を見つめる。その目は、俳優としての成熟を見せるランカスターに対するドロンの憧憬と嫉妬が入り混じっているようでもある。

二枚目俳優が演じ切った燃え盛る老紳士のプラトニックな愛

美と純粋さの創造は精神的な行為だ~『ベニスに死す』セリフより

 曙にほのかに染められた海を一艘の蒸気船が進んで行く。バックに流れるマーラーのアダージェットが静謐な彩りを塗り重ねる。人間の終末を見つめたヴィスコンティの世界の集大成といえる『ベニスに死す』の冒頭はこうして幕を開ける。

 デッキには、コートにくるまった旅人がひとり椅子に座っている。蒼白な顔に刻まれたシワが、迫り来る老いを物語る。旅人は高名な作曲家アッシェンバッハ。原作のトーマス・マンの小説では、アッシェンバッハは小説家である。ヴィスコンティが作曲家に変えたのは、マンが執筆時に念頭に置いていたのが作曲家グスタフ・マーラーだったからと言われる。

 心臓の病、娘の死、妻との離別、仕事のスランプが重なり疲れ切った主人公を演じるのはダーク・ボガード。二枚目スターだからこそ、そのギャップが老いた顔つきをリアルに、哀しく見せつける。

 予後を養うために訪れたヴェネツィアのホテルで、14歳のポーランドの美少年、タジオに出逢う。その美しさに心を奪われ、アッシェンバッハは「美とは自然に発生するものではなく芸術家が創造するもの」という持論が覆される。のべつ幕なしにタジオを目で追い、恋慕の情を募らせる。その絶頂は、若さを取り戻すための白塗りの化粧をし、白の夏服にパナマ帽、赤いネクタイに襟に花を挿した出で立ちでタジオ一家を追って歩く姿。それは、失笑するほどグロテスクで悲惨でさえある。ヴィスコンティから出演要請を受けて原作を何十回も読んだという、ダーク・ボガード一世一代の名演だ。

 ボガードはヴィスコンティ映画のクレジットのトップを2作続けて飾っている。とはいえ、1作目の『地獄に堕ちた勇者ども』ではヘルムート・バーガーのあまりにも強烈な演技に食われた感がある。しかし、セリフが極端に抑えられた、この『ベニスに死す』で発するダーク・ボガードの終末と官能の極限のオーラは、観る者の心の奥底まで入り込み、決して消えることはない。

ビスコンティの寵愛を一身に受けあふれ出た妖艶な芳香

「変わった家だ趣味じゃないが良さはわかる」『家族の肖像』セリフより

『地獄に堕ちた勇者ども』に始まるドイツ3部作の完結作である『ルートヴィヒ』の撮影直後に、血栓症で倒れたヴィスコンティ。全編セット撮影という室内劇的なこの映画『家族の肖像』は、厳しいリハビリに耐えたヴィスコンティの2年ぶりの映画界復帰作である。『家族の肖像』の英語題である『カンバセーション・ピース』とは、18世紀のイギリスで流行した家族団だん欒らんの様子を描いた肖像画を指す。物語は、カンバセーション・ピースの収集を趣味に、静かな生活を送る教授の邸宅内で展開する。

 突然、教授のもとにビアンカという中年のブルジョア女性と愛人コンラッド、ビアンカの娘と婚約者が、部屋を貸してくれと現れる。押し切られて、受け入れることになった教授は価値観の違う侵入者たちの振る舞いに苛立ちを募らせる。教授を演じるのは『山猫』以来、ヴィスコンティの信頼厚いバート・ランカスター。一方、闖入者として現れるコンラッドを演じるのが『地獄に堕ちた勇者ども』で鮮烈な印象を残したヘルムート・バーガー。前作の『ルートヴィヒ』に続いて、刺激的な大役を果たす。

 ある日、一枚の肖像画について交わした会話から、コンラッドとの間に意思疎通の可能性を見出す教授。そんな折、コンラッドが部屋で暴漢に襲われる。血まみれの彼を引きずるようにして秘密の部屋に運び、ていねいにベッドに横たわらせる教授の姿は、さながら息子を庇護する父親のように映る。人生の終焉も近くなって、家族のような感情を芽生えさせた教授に、コンラッドの心も共鳴する。

 しかしながら、コンラッドがスクリーンに放つ妖しげな芳香はなんなのだろう。バーガー自身に内存する資質なのか。いや、こうも考えられる。ヴィスコンティの愛の対象であったとされるバーガーのうちに潜むエロティシズムを導き出し、演技として昇華させたヴィスコンティの執念の香りなのだと。

情念のたぎりを見せたイタリア屈指のセクシー俳優の鮮烈演技

「人生に快楽や興味を感じないようなそんな時が来たら幕を引くさ」『イノセント』セリフより

 赤を基調にした華麗で妖艶な衣装と室内装飾、激しい情念の交錯と、かつてないほどのエロティシズム。ヴィスコンティ最後の映画『イノセント』は、全編が刺激的な映像で埋め尽くされている。その撮影開始の日、数か月前の不慮の事故により大腿骨を骨折したヴィスコンティは、車椅子で撮影の現場に臨んだ。

 原作はガブリエーレ・ダヌンツィオの小説『罪なき者』。ダヌンツィオはファシズムを支持したデカダンスの詩人で作家だったが、ヴィスコンティは政治的立場を超え作家として高く評価していた。

 舞台は19世紀末のローマ。裕福な貴族トゥリオ・エルミルの人生が崩壊していく様が描かれる。トゥリオを演じるのは映画『流されて……』でスターダムに躍り出たジャンカルロ・ジャンニーニ。舞台俳優の経験もあり、その演技力を認めていたヴィスコンティは、猫のような目を含め、肉体に備わった素質をまだ十分に発揮し切っていなかったジャンニーニに、飛躍の機会を与えた。

 主人公のトゥリオはニヒリストで無神論者。美男で趣味もよく、フェンシングの腕も達者。美しい妻がいながら色恋沙汰は数知れず、魅惑的な伯爵夫人の愛人がいる。ところが、貞淑な妻の不倫を知るや嫉妬に燃え、情念の虜となる。遂には妻の不貞の子を死に至らせる。髪をかき乱し、視線を虚ろに泳がせて醜く堕ちていくトゥリオ。ジャンニーニの演技が凄まじい。ヘルムート・バーガーやアラン・ドロンにはない、イタリア南部の男特有の濃厚さが熱く表れる。ジャンニーニのすべてを出し切った演技といえる。

 ヴィスコンティは結末を原作とは変え、トゥリオの自殺で幕を引いた。愛人の前で銃の引き金を引き、仰向けに床にくずれ落ちるトゥリオ。その情景は、ヴィスコンティが求め続けた退廃の美、ここに極まれり、といった感さえある。『イノセント』の撮影を終え、編集を残すだけになった1976年3月17日、ヴィスコンティは帰らぬ人となった。

この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
BY :
MEN'S Precious2013年 ルキーノ・ヴィスコンティ官能と背徳に潜む、善良なる眼差し
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